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人を動かす(自分を動かす)

人は人にこうなって欲しいなとか、こう動いて欲しいなとか、ついつい人を動かすことを考えてしまう。それは悪いことではないし、仕事だとかいろいろな場面でその必要性が出てくる。

でも、いざ人を動かそうと思うと他人なんてなかなか思った通りには動いてくれないものである。そして、多くの人は自分すら動かすことができていないのである。

毎日朝早起きをしよう。毎日英語の勉強をしよう。そう新年に掲げた目標は数日のうちに忘れ去られてしまう。子どもの頃からどんだけそれを繰り返してきただろうか。

自分すらなかなか思ったようには動かすことはできないのである。でも、だんだんと人を動かす方法というのがわかってくると、結局、自分も他人と一緒で他人を動かす時と同じように丁寧に丁寧に接することが大切だということがわかる。

丁寧にというのは、ただやさしくするという意味ではなく、その人その人に合わせた対応をしなければならないということである。その人にはその人に動くきっかけがあり、それは人それぞれなのである。

だから、自分自身にも動かすための動機やきっかけがあり、それを丁寧に探し当てることが大切なのである。自分自身のことなんだから、本当は自分が一番よくわかっているはずなのに、自分自身を動かすのが難しいのは、本当は自分のことをよくわかっていないからなのかもしれない。

僕の場合は、自分の癖や行動パターンなどを把握するようにしている。髪の毛をよく触る癖があるとか。そんなことはたいしたどうでもいいことなのだけれども、それこそ生きているとこういう場面ではこういう選択をするという傾向だったり、癖があったりするのである。

こういう人に言われたら、こういう反応をするだろうとか、他人であれば、予測がつくはずのことも、自分に置き換えてみると意外とそういうことって考えたことがなかったりして、周りの人から言われてはじめてそういう傾向があるだとか、癖があるとか、そういう行動をしているとかを把握できることがある。

それくらい、自分自身の行動についてはわかっているようで無意識でやってしまっていることがあるのである。
だから、そういう行動パターンみたいなものをひとつひとつ客観的に把握しようとする。

毎年毎年、新年に目標を立てても、次の日には忘れているというパターンがあったり(苦笑)、面倒だなと思っても、ついつい友達の誘いを断ることができなかったり、朝早く起きるのが苦手だったり、いろいろと自分自身のことを見ていくと傾向やパターンがあることがわかるだろう。

じゃあ、そういう自分自身を客観的にみていると、そりゃあただ新年に一時的時やる気を出してもダメだよな。そういう方法では自分は動いてくれないよな、ということがわかってくるのである。

そうやっていると、自分はこういう時にはやる気をだして、こういう時にはやる気がでないとか、こういう場合は継続できるけど、こういう場合はできないとか、そういうことがちょっとずつわかってくるのである。

だから、自分自身を動かそうとする時も、無理に気合いで何とかしようとするのではなくて、相手の気持ちに寄り添いながら、相手の行動パターンや思考の癖を考えながら、丁寧に動かしていくのである。

それくらいやっていると、他人を動かすことができた時と同じように自分を動かすことができるのである。結局、やりたくないことはやりたくないし、面倒なことは面倒なので、じゃあ、そういう風に感じるであろう自分と対面した時に、どのようにしたら、それがやりたくなるのか、とか、面倒だと感じないのか、とか考える必要があるのである。

そうやって、自分自身と丁寧に接しているとだんだんと自分を動かせるようになるのである。本当に他人以上に自分自身はやっかいな奴だと思うのだけれども、でも、ちゃんと動いてくれるようになると、それはそれで、考えている自分も、それに乗っかって行動している自分も楽しいので、2倍とは行かなくても1.2倍くらい楽しくなるのである。

A world where everyone can live with peace of mind🌟