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風の流れのように

僕にとってのソーシャルアクション

Feeling(今日のひとこと)

最近、自分にとってのソーシャルアクションとはなんだろう? ソーシャルグッドとはなんだろう? みたいなことをよく考えます。

もちろん、前からどうやったら世の中の役に立つだろうか? ということは考え続けてきたのですが、社会活動、特に現在気候変動危機にある世の中で、環境活動のことについて考えていかなければならない。そんなときに自分は何ができるのだろうか? と。

例えば、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』が好きで、このメルマガでもオマージュのような形で書かせてもらっているところもありますが(然前、あの本のように美しく書くことがまだまだできていませんが)、彼女は、生物学者の立場から『沈黙の春』を書き上げて、それが市民にも広まり、環境保護運動の始まりとなったと言われています。

自分が具体的なアクションをすることもそうですが、そう言った、本や文章、映像などの形で、多くの人たちに知らせること、知ってもらうこと、ムーブメントを起こすこともひとつのアクションであると思うのです。

ただ、具体的にどうやったらいいのかわからないし、そもそも、自分のやることが本当に正しいのだろうか? その方向で間違っていないのだろうか? なんてことをついつい考えてしまうのですが、気候変動危機は待ったなしでやってきてしまうのです。

僕が昔から、それこそ、3.11をきっかけに強く意識し始めたのは、自給すること。まだまだ自給自足とまではいきませんが、いつか、自分が住みたい場所に引っ越したときに自給自足のベースをつくれるようにと、実験的にいろいろなことに取り組んでいます。いまは主に自分の食べたいものを育ててみるということをやっているのですが、毎年試行錯誤の連続で、発見の連続です。無肥料で、しかも場合によっては無耕作、無除草で、自然栽培で何が育つか、なんてことはやってみないとわからないわけで、でも、そういうことができたら、どんな場所でもある程度、食べ物をつくっていけるのではないか、と思って実験しているのです。

周りからみたら、草がぼうぼうで、何をやっているのだろうか? と思われるかもしれない(というか、土地の所有者にも、一緒に畑をしている父親にもすでにそう思われて、勝手に除草されてしまったりしているという現実があり涙)ですが、でも、周りの人がしていないことだからこそ、実験する意味があると思うのです。

そんな周りからみたら意味不明なことも、僕にとっては実はとても小さなソーシャルアクションで、いま、物価が高騰して、食べ物だけではなく、食べ物を育てるための肥料すらも値上がりしてしまい、農家さんが大変な中で、僕は何も足さない方法で作物をつくっているので、特に影響を受けることがなく、ただ淡々と作物を育てているのです。
できるだけ環境に負荷を与えず、小さな自給からはじめること。これも立派なソーシャルアクションではと、最近思えるようになってきたのです。

それは、僕もソーシャルアクションというと、もっと活動家的な人たちをイメージしていたので、そうじゃなくて、きっと自分にもできる小さなものもそう読んでいいんだな、むしろ、そういうところから始めていけばいいんだな、と腑に落ちることがあって、そう思えるようになったのです。

インスタなんかでは、ちょっとずつそれを配信していけたらいいな、と思いますし、こうやって文章を書くこともソーシャルアクションに生かしていけたらいいな、と思う今日この頃です。

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