求めているのは安心

パンデミックになってより明確になってきているのは人々が求めているのは「安心」ということ。平時であればお金があればある程度の安心は確保することができていた。住む場所があって、定期的な収入を得られる仕事があれば、人はある程度安心して暮らすことができた。

しかし、パンデミックが起こってからはより健康への不安が大きくなった。どんなにお金を持っていてもすぐにはワクチンを手に入れることはできないし、ましてや治療薬を手に入れることはできない。どこか別荘に引っ越すなどの対応はできるかもしれないが、完全に防ぐことはできない。

そもそも、土地などの資産を持っている人たちにとっては人が移動できないということがとても大きなリスクとなってしまった。これまでは資産と思っていたものが一気に価値がなくなったり、負債となってしまった。

今まではお金や資産を持っていればある程度の安心は確保できていたはずなのに、なんな小さな小さなウイルスのせいで、僕たちはどんなにお金や資産を持っていても安心できなくなってしまったのである。

でも、変わらずに生活している人もいる。自給自足とまでいかなくても、そういった食料を自給しているような人たちにとっては、そんなに生活に不安を及ぼすものではない。もちろん、税金などを払わなくてはいけないので、お金も必要なのであるが、都会に住んでいる人よりも全然少なくて住むのである。

だから、自給自足がいいというわけではなく、なぜそういう生活をしたいと感じるのかと考えた時に、こういう時のためだったのではないかな、ただ、そういう生活が楽しいというだけではなく、人は心のどこかで「安心」を求めて行動しているのではないかと思ったのである。

僕も、3.11があってから、自分の生き方についてとても考えた。何が起こっても変わらず安心して生活できるようにと思って、家庭菜園をはじめたり、畑を借りてそこで作物を栽培したり・・・。
残念ながら、まだ全然自給自足というまではいかないし、それこそいまはそれを本格的にはじめるための場所探しのさなかで、パンデミックが起こってしまったのでまだ全然道半ばなのであるが、それでも、準備していたことで、きっと準備していなかった時の何倍も安心していま生活ができているのではないだろうか。

このパンデミックによって、現れたのは「人々の不安」である。多くの人たちがいま「安心」を手に入れようと躍起になっている。
僕たちが求めているのは実は、「安心」というもので、お金とか、健康とか、人間関係とかって、そのための手段であるのかもしれないと思うのである。

僕も今回のパンデミックで気がついたことにひとつであった。どうして自分がそういう生活をしてみたいと思っていたのか、なかなか言語化できていなかった時に、そんなたったひとつの言葉で表されるようなものが見つかるなんて。

僕も結局は「安心」を求めているのだろう。そして、これからも求め続けるのかもしれない。本当に安心して暮らせる日が来るまで。

A world where everyone can live with peace of mind🌟