湖と石 Part 1 - B♭の呪い編

私はあるバンドでアコースティックギターを弾いているのだが、そのバンドで採用しているギターのチューニングが、なんとも特殊だ。6弦から1弦にかけて、B♭FB♭FB♭C(因みに、いわゆる「ド」が「C」である)。
ギターを嗜まない人にわかりやすく説明すると、身長170cm体重60kgの人間にXXLのパンツを履かせている感じだ。通常のチューニング(EADGBE)よりもかなり音程を落としたチューニングなので、弦のたるみが出てしまい、一般的なネックの長さでは弦のテンションを維持できない。ぶかぶかのパンツを穿きながら42.195kmを走るのを想像してみてほしい。出だし直後にパンツがズレ落ちフルマラソンどころではなくなるのは容易に想像できるだろう。

XXLのパンツがフィットする人間はいる。ただ、B♭FB♭FB♭Cがフィットするギターを見つけるのは、本当に難しい。

ゴムの両端を指で摘んで伸ばすと、ゴムはピンと張る。同じように、ギターの竿の部分(ネック)が長ければ長いほど弦の張りは強くなる。一般的なアコースティックギターのネックの長さは635mm〜650mm程度で、低くチューニングをしたときのテンションを維持するためのものとして680mm〜710mmのネックを採用したバリトンギターというものもある。

じゃ、バリトンギターでよくね?と思いきや、そうは問屋が卸さない。何故かというと、B♭FB♭FB♭Cというチューニングは、レギュラーチューニングから「全ての弦が同程度に低くなっていない」からだ。

6弦はEからB♭(3度半下げ)に対し、1弦はEからC(2度下げ)。つまり、バリトンギターでB♭FB♭FB♭Cにチューニングを合わせようとすると、6弦のテンションを維持する代わりに、1弦が必要以上にキツくなってしまうのだ。再度パンツで例えるなら、ウエストはXXLでちょうどいいのだが、下半身の筋肉が異様に発達しているせいで、太もものあたりがもはやスパッツのようにパッツパツではち切れんばかりの様相を呈している、といったところだろうか。

この問題を解決するためには、6弦(低い音)のテンションはバリトンレベルに高く、1弦(高い音)のテンションは一般的なギター程度になるように作られた、マルチスケール呼ばれるギターが必要となる(その見た目が扇=ファンに似ているため、ファンフレット/ファンドフレットとも呼ばれる)。

このマルチスケールは、楽器一般的に言えば珍しいものでもなんでもない。グランドピアノを想像してほしい。低い音ほど弦が長く、高い音ほど弦が短くなっているのは皆が知るところだろう。ハープも同様。

ただし、アコースティックギターでファンフレットを探そうとすると、なかなか巡り会えない。お茶の水や秋葉原の素敵な楽器屋さんに足繁く通って、いろんな紳士淑女に相談した。しかし、どこに行っても返ってくる言葉は「うちにそういったギターは置いてないっすね〜。オーダーメイドしかないんじゃないっすか」だった。

オーダーメイド。高そう。でも最近はカタログから選んでカスタムする比較的安価なセミオーダーなるものもあるらしいし、とりあえず要望だけ伝えて、見積もりだけでも出してもらおう。それで予算感をつかもう。そう思って、見積もりを依頼した。カナダの、ファンフレットのアコースティック作りに定評のある職人が一番信頼できると案内された。その人の名前は確かに私も聞いたことがあった。バイオリンやギターなどの弦楽器を制作する職人はルシアー(lutheir)と呼ばれ、世界には名の知れたルシアーが何人か存在する。カナダのルシアーもその一人だった。

数週間後、見積もり結果がでた。

250万円。

「払えるわけなくてマジ大草原」
と、何故か覚えたての若者言葉が心の中で大きく鳴り響いた。

何故そんなにも高くなってしまうのか。それは、やはり職人の技術料、使用する木材の希少性、そして、想像を絶する緻密な作業が求められるファンフレット部分の制作にかかる負担からくるものだった。最初値段を聞いた時は「車じゃねぇかw」と思ったが、その後、実際にギターが出来上がるまでの工程などを聞き、自分でも少し勉強し、今では250万円という値段は決して安くはないものの、ぼったくりの類のものではないと思っている。

まぁただ、250万円は今の自分には出せない。代替案として、日本の若手のルシアーによるオーダーメイドも紹介してもらった。そちらは、60万円。250万円からはかなり額が落ちたし、払えない金額ではない。ただ、正直まだ高いと思った。加えて、こっちはどうしてもデザインが好きになれなかった。見た目が好きになれない楽器に今後全力で愛情を注げるか、とても不安な気持ちになった。そういった諸々を踏まえると、やはりこの60万円は払いたいと思える値段では無かった。

B♭FB♭FB♭Cがうまく乗るギターは見つからないのだろうか。
鬱鬱としていた時、あるニュースが飛び込んできた。

「Jon Gommが、IbanezからJGM10というシグネチャーモデルを出す。完全受注生産で、価格は約40万円。」

Jon Gommといえば、現代のアコースティックシーンにおいて世界を代表する超絶技巧プレイヤーで、私も大ファンだ。彼の楽曲も非常にヘンテコなチューニングを採用していて、場合によってはB♭よりも半音低いAまで落とすこともしばしばである。ただ、彼はすでに、北アイルランドを代表し日本でも知名度の高いルシアーGeorge LowdenによるLowdenから、堅牢な作りのシグネチャーモデルを出していたはずだ。

Lowdenは日本でも比較的手に入りやすいが、やはり値段が高い(写真はLowdenから出ているJon Gommモデルで、値段は80万円前後)。そのJon Gommが、新たにシグネチャーモデルを、しかもアコースティックギターというよりはメタルのイメージが強いIbanezから、40万円で出す…だと?

Part 2 JGM10編へ続く

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