見出し画像

子どもの遊び声をうるさがる大人の気持ち

子どもが外で遊ぶのはいいことだ。
公園で遊ぶ子どもたちの姿を見ると微笑ましい気持ちになる。

私はあまり外で遊ぶ子どもではなかったので、子どもの頃にああやって遊んでおけばよかったなぁと彼らを眩しく見ている。

さて、そんな子どもたちに対して苦情が寄せらえることがある。
遊び声がうるさいというものだ。
公園や小学校、児童館など子どもが集まるところならどこにでも来る苦情だろう。そんな苦情に対して世間では、「大人げない」「心が狭い」「自分だって昔は子どもだっただろう」と冷ややかな反応も見られる。
私もどちらかといえば遊び声くらい大人の方が我慢してやればいいのにという意見であった。しかし最近は少し意見が変わる出来事があった。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言により学校が休校になったことで子どもたちの行き場所がなくなった。学校にも行けず、公園まで出かけるのも憚られる世の中で、子どもたちがマンションの前庭で遊ぶようになった。

最初は別に気にしてなかったし、こういう世の中だからせめてマンション内でくらいは自由に遊んでほしいなと思っていた。

しかし、次第にいくつか気になることが出てきた。
一つは声の大きさだ。私の部屋は前庭に面しているので窓を開けているとその声がよく聞こえてくる。普通に遊んでるくらいなら気にならないのだが、テンションが上がって大声を出し始めると少々きつい。窓を閉めればいいのだが、窓を開けたくらいがちょうどいい気候で空調を付けるほどの気温でも無いので、窓は開けたい。時には窓を閉めてても外の遊び声が気になってしまう時もある。
また、前庭だけでなくエントランス(別にあるメインの入り口)やエントランスと前庭をつなぐ駐輪場などでも遊んでいることもあり、通る時に多少気になるなということもあった。こちらは本当に苦情が来たようで管理事務所からエントランス付近では遊ばないようにという掲示がなされた。

私としては子どもが遊ぶことを邪魔したくはないので、できるだけ苦情を申し立てたりはしたくない。東京に住んでいてそんなに遊び場も無い中なのだから外で遊べる場所を減らしたくはない。
とはいえ気になるものは気になるのだ。もう少しだけ静かに遊んでくれないかなと思う。せめて叫んだり奇声を発しないでくれれば、自由に遊んでいてほしいと思っている。

新型コロナウイルスの影響でテレワークやオンライン授業を受けるにあたり高齢者でなくても自宅に長くいるようになった。今後の新しい生活様式において、子どもの遊び声と大人という対立は更に激しくなる可能性がある。

さて、私はこの問題について真の問題点は何なのか考えてみた。
本来、子どもの遊び声がうるさいなら「もう少し静かに遊んでね」って注意できれば済む話かもしれないのだ。真の問題点は都市におけるコミュニケーションの不自由さなのかもしれない。

マンションでのご近所付き合いといえば廊下ですれ違って挨拶をするくらいだ。同じマンションでも家の中まで上がりこんでお茶をするほどの関係の人はほとんどいない。そのような希薄なコミュニケーションの環境では子どもの遊び声に苦言を呈するのもなかなか難しい。

大人の側からすれば遊んでいる子どもに対して何か言って、もし親が抗議しに来たら怖いなと思ってしまう。だからうるさいなと思ったら管理事務所や不動産屋に相談して何らかの対処をしてもらうことが多いだろう。また、自分で注意するにしても、全く知らない子どもだからと言葉がきつくなってしまうこともあるかもしれない。
子どもの親たちからしたら見ず知らずの人からの苦情のせいで自分の子どもたちが自由に遊べなくなったとして不満に思うかもしれない。直接注意を受けたともなれば、子どもに対してひどいことをしたと言って抗議しに来るかもしれない。ちょっとした社会の分断だ。
子どもにしてもうるさいと思われてるなんて言われるまで分からないだろう。また、仮に直接注意を受けたとしても見ず知らずの人からいきなりかけられた言葉が「遊び声がうるさいから静かにしろ」とかだったら怖くなってしまう。

もしマンション内で適切にコミュニケーションがとられていれば、問題が起こらないか、円満に解決できるかもしれない。
子どもは近くに知っている人が住んでいて、今も家にいることを知っているから邪魔にならないように声を抑えようと思うかもしれない。大人も知っている子どもだから雑談や会話の中でうまく自分の言いたいことを伝えられるかもしれない。子どもたちの親に対しても同じだ。

だが実際は都市においてなかなかそのような交流は難しいのが現状だろう。
私は今日も子どもが外で遊ぶ声をうるさいなーと思いながら作業をするのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?