時の足音

2021年3月11日
東日本大震災から10年目の今日

10年目という大きな節目を迎える時、どこにいたいか。
そう考えたら、宮城県のどこかにいたいと思い、やってきました。

10年前、学部卒業を前にしていたあの日、ぼくは大学の研究室にいました。
そして、あのニュースが流れた後、隣の研究室に在籍していた同級生4名が東北を旅行していると聞きました。
そのうち3名は帰らぬ人となりました。
親友だったというわけではありません。
廊下で会ったら声をかけたり、たまに食堂で一緒に食べるくらいの関係です。
それでも、よく知る同世代が亡くなるという経験はそれが初めてで、悲しいという言葉だけでは表せない感情になりました。
その後、被災地支援ボランティアにはほとんど参加しませんでしたが、あの日の出来事をテレビや本で知るうちに、少しでも東北と関わりたいと思うようになっていきました。

去年は行けませんでしたが、4年前くらいから3月に東北の太平洋側に足を運ぶようになりました。
きっかけが特にあったわけではなく、仕事に慣れてきたから行ってみようというくらいの感じでした。
災害直後にほとんど何もできなかったからこそ、復興しつつあるタイミングでお金を落としに行きたいと思ったのかもしれません。
あとは、悲しいという感情はもうなく、それによってあの日の出来事を忘れてしまうのが嫌だからというのもあります。

今年も、職場の上司にわがままを言い、3日間のお休みをいただいて2年ぶりに宮城県にやってきました。

仙台空港に着くと、ぼくはいつも堤防の方に向かいます。
同級生3名は仙台空港に戻る途中で被災したと聞いていますが、具体的にどこかは知りません。
だから、仙台空港の近くの海を見ることにしていたのですが、堤防工事中で海を見ることはできませんでした。
そういえば2年前もそうだった気がします。
振り返ると、とても綺麗な夕焼け空だったので、それはそれでよかったです。

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一晩経ち、名取市にある震災メモリアル公園の献花台に花を手向けてきました。

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当時、この石塔の高さまで津波が来たそうです。
どんなに恐ろしかっただろうか、想像もつきません。

ここに来るのは2回目ですが、あまり周辺を回ったことがなかったので、少し歩き回ってみました。
町並みは驚くほど美しく、空も海も穏やかな朝でした。
少し歩くと、最近できたらしい名取市震災伝承記念館という場所があったので入ってみました。

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ここでは、当時の街並みを再現したジオラマや、震災当時の映像などを見ることができました。
それ以外にも、当時のことについて話している人たちの会話も聞こえてきました。
悲しい雰囲気というよりは、単にあの時を懐かしんでいるような、そして今生きていることに感謝しているような、そんな雰囲気がありました。
こんなふうに当時の出来事を知る機会があり、テレビで見るだけでは伝わらない何かを感じられたので、現地に足を運ぶことの大切さを改めて知りました。

その後に石巻市へ
石巻には何度か来たことがありますが、駅周辺を少し回る程度でそれほどじっくりと過ごしたことはありませんでした。
あまりにも無計画だったためいろいろと失敗しましたが、宿の人に聞いて日和山を訪れてみました。

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テレビで見たことがあるような景色が広がっていました。
今はこんなに美しい景色ですが、当時は津波が迫ってきて多くの建物を洗い流すシーンがここから撮られていたようです。
10年という月日を感じずにはいられませんでした。

その後、ふらっと入った定食屋さんでテレビを見ていて「がんばろう石巻」の看板のニュースを見かけました。
これは行かなければ、と思いすぐに足を運びました。

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灯籠でライトアップされていて、多くの人が訪れていました。
震災で亡くなった方の数と同じ数の灯籠を用意しているそうです。
当時の様子を伝える施設が隣接していたので入ってみると、震災から1ヶ月後の写真が大きく飾られていました。

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今では想像もつかないような光景でした。
現在の看板は2代目ということですが、当時と同じ場所に建てられているそうです。
ベニヤ板で作られた簡素な看板が10年経った今でも残されているということは、それだけこの看板の持つメッセージが強く人々の心に残ったということなのかなと思いました。

今日はそんな一日でした。

ぼくには東北の人との強い繋がりは残念ながらありません。
たまたま同級生が被災して、それ以来勝手にシンパシーを感じているだけの場所です。
東北に関わりたいとは思いつつも、何ができるのかわからず、10年という月日が流れていきました。
そんな繋がりしかないため、こんなふうに足を運ばなければ、自分の中で全ての繋がりが切れてしまうような気がしています。
だから、何ができるわけでもないけれど、こうしてここに来ています。
3月11日、この日にはただこの場所にいたいのです。
そしてそれを発信することで、見た人に3月11日という日を改めて思い返してほしいと思っているのです。
それが自分と東北をつなぐことであり、亡くなった同級生のことを思うことでもあると思っています。
10年が経ち、自分の中で何かが変わるわけではありませんが、こんなふうにゆるくてもいいから東北に関わり続けたいと改めて思いました。

少し今までと考え方が変わったとすれば、観光だけじゃない関わり方がしたいと思ったことです。
いつもなら少しでもいろんな場所を回ろうとひたすら動き回っていましたが、今回は石巻に少し軸足を置いてみようと思っています。
というのも、公私共にしなければならないことがたくさんあり、Wi-Fi環境のあるところで作業がしたいからです。
また、仕事の関係で少し見てみたいところがあるからです。(そこには明日行く予定です。)
こういう考え方をできるようになったのはリモートワークができるようになったからというのもありますが、「関係人口」という考え方に仕事の中で触れたことは非常に大きいと思っています。
今までしたことのない東北との関わり方ですが、何か新しいことが起きたらいいなと期待しています。


今回の記事のタイトルもコブクロの曲の中からいただきました。
コブクロデビュー10周年のシングル曲である「時の足音」
その中でも印象的だった歌詞がこれです。

短い針が止まれば 長い針も止まる
同じ痛みをわけ合えること いつしか喜びに変わるから
誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を
躊躇わず生きてゆける そんな出会いを探してる

「同じ痛みをわけ合う」ということはできないけれど、ぼくが少しでもその痛みを理解しように努力して、その結果、誰かの喜びになったらいいなと思います。
その出会いが誰かの生きる力になったら嬉しいし、ぼく自身もそれが生きがいになると思うので、そんな出会いをぼくも探していきたいと思います。
そのためには、一歩一歩進んでいくしかないので、その一歩を大事にしていきます。(余談ですが、今日の歩数は45,000歩というとんでもない歩数になっていました笑)


最後になりましたが、業務がバタついている中、ぼくのわがままを聞いていただき快く送り出していただいた職場の方々に感謝すると共に、10年前に亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。

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