iART

自分が求めるもの、PCやスマートフォンなどの端末を通じて体験できるアートを勝手に"iART"と呼ぶことにしたい。現在のアートワールドの用語で、これらを過不足なく定義するものがないからである。(今読んでいるNOAH HOROWITZ「ART of the DEAL」(光村推古書院、2020年)で出てきたら取り下げるが)
これはメディアアートの一部ではあるが、メディアアートの概念は広すぎる。それはほとんどがデジタルアートではあるが、デジタルアートではデジタルを手段として使いインスタレーションに展開するTeamLABの印象が強すぎる。ネットアートが近いが、ネットを題材とした物質的なアートも含むために必ずしも一致しない。よって、陳腐化しているが頭に小文字のiを付与したiARTと呼ぶことにしたいと思う。このiはIntangibleの略であり、絵画や彫刻などの物質性があるものと違って、触ることのできる実体がないからである。同時にスティーブ・ジョブスがiPhoneのiにinternet, individual, inspireなどの意味を込めたこととも共通し、また、このスマートフォンの普及という背景の上に成り立っているという意味ある。

自分がこのiARTを作り始めたのは今から40年近く前になるだろうか。当時、父親が購入したCASIOのFP-1100を使ってプログラムを組んでいた。左からX座標を動かす際にY座標をランダムに増減させると、ギザギザの横線が描ける。この横線の下の部分を塗りつぶすと遠くの山脈の一本の稜線となる。当時はグリーンCRTだったが、この山脈をグラデーションをつけて重ねていくと、それは架空の遠くの山々の景色になるのだった。この決して再現されない一度きりの景色を飽きずに眺めていたことを覚えている。それ以来、折に触れてこうしたプログラムを書いてきた。冨田勲のシンセサイザーを聞きながらプログラムを組むのは至福の時間だったし、いくつかの賞も受賞した。特にFLASHの全盛期、2003年のShockwave Awardでグランプリを受賞した際は嬉しかっただけではなく、こうしたアート体験が世界に満ちるのだと楽天的に思っていた。
ところが、そこから既に20年近くたった2021年となっても世界は変わっていない。それどころかFLASH Playerのサポートが終了し、多くの作品が失われた。インターネット経由で体験できるはずの映像作家たちは相変わらず収益性に悩んでいる。個人的にはMBAの修論でビジネスモデルを提案したがしっくりきていない。そして、何よりも許せないのは自分自身がiARTに熱狂的になっていないのである。

これが自分が大学院の門を叩いてアートワールドに足を踏み入れた動機である。願わくばこの冒険の中で数多くの素晴らしいiARTと出合え、さらにはiARTを発展させるための洞察が得られることを。

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