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takuの日常―勉強、とは―

こんにちは。takuです。

takuの日常、今回は勉強について語っていきます。

皆さんが勉強というワードを耳にした時、たいていの場合は学校の勉強、受験勉強の事だと思います。

そしてそれに伴い、勉強というワードに対して嫌な反応をすること、堅苦しい印象を持つことが多いのではないでしょうか。いわゆるガリ勉とか、分厚い眼鏡とか。

確かにそれが主です。でももちろんそれだけではありません。

もちろん?と思った方。良いですね笑
お察しの通り、ここが今回の記事のポイントです。

それでは参りましょう。

これで決まりだ!

勉強という言葉の意味

勉強というワード自体の主な意味は、先述の通り学問を習うニュアンスが入っている勉強です。

国語、数学、理科、社会、英語…これを勉強することを通常は指します。

ただ、これだけではありません。

一番メジャーなのは運転免許の学科試験の勉強です。あれは標識や運転の仕方を覚えなくてはなりません。しかも学科試験は9割以上を取らないといけません。

なので、勉強をすることになります。これは皆さんの思う勉強とは少し違います。車校と学校は違うからです。

は?と思う方。これも良いですね。
少し、という所が実はミソで、車校も学校の一つという解釈ができるわけです。

というのは、車校も運転免許を取るうえで必要な知識について覚えるという意味では、数学などの知識を覚えるという学校の本質に共通しているからです。

何が言いたいのかというと、勉強の本質は「知識を身に付けること」だ、ということです。その知識は何も中学高校で教えられる知識とは限らないのです。

例えば、美容師になりたければ美容の専門学校へ行き美容師になるために必要な知識を勉強します。音楽家になりたければ音楽の知識、音楽記号などの基本的な知識だけではなく、演奏技法、演奏技術、曲のコード理論という高度な知識を勉強しなければなりません。

何も専門知識に限った話ではありません。身の回りの話だと料理。上手な料理を作るためにレシピを調べてそのレシピで料理をするということは、作り方という知識を学ぶという意味では勉強だと言ってもおかしくはない。

どんな人間も必ずどこかで知識を得ようとしている時点で勉強していることになるのです。

studyとは

別の観点で考えましょう。英語です。

英語で勉強はstudyです。ちなみに学習はlearn(ing)。結局どちらも知識を得るという要素が入っています。
※厳密に言えばstudyは得る動作、learnは得た結果の意味が強いです。

さて、このstudy。同じようなスペルでstudioという単語がありますが、これはスタジオです。

このstudという要素のルーツは熱意・情熱だそうです。このように勉強というのはそもそも自分が得たいという思いがあって知識を得るという様子のことを指しているのです。

studyとstudioというのは学問と芸術という点で異なる単語ですが、学問と芸術は結構一緒くたに考えられてきました。

かのレオナルドダヴィンチは万能の天才と言われていてヘリコプターの設計図なんかも書いていたと聞いたことがあるくらいですが、もちろん彼はモナリザを描いていますよね。

当時の人の価値観や考え方自体については詳しくは知りませんが、おそらく教養として捉えていたのだと思います。貴族などの上流階級はそんな教養を兼ね備えなくてはいけないという思想があったのでしょう。

だから、芸術を学ぶことも一つの勉強として捉えていたのではないでしょうか。

そういう意味では勉強をすることは自分のステータス作りにもなるのです。

前回お話した音楽の話。僕は色々なジャンルが好きだという話をしましたが、極端な話、嵐が好きと言っただけで多くの人が食いつきますよね。

何が好き?trouble maker!もうこれで会話が成立してますし、しかも楽しい。

昔ならちょっと堅苦しくなっちゃってた芸術ですが、今はこんなにゆるゆるで楽しいですよね。だから大衆音楽という名前が生まれたのだと思います。

だけどこれも立派な勉強。嵐がどんな歌を歌っているのか知ることも一つの勉強なのです。

※音楽の話は一番下にリンクを載せておきます。

勉強をやる意味

ちょっと複雑な説明になってしまいましたが、短く言えば勉強は知識を得ることなのです。

もうお分かりですね?勉強は必要だからやるのです

免許を取りたいから学科の勉強をする。美容師になりたいから美容学校で勉強する。音楽家になりたいから音大に入って勉強をする。料理をできるようになりたいからレシピを調べて勉強する。友達が嵐好きだから自分も調べて嵐の勉強をする。

ぜ~~~~んぶおかしな文章ではないでしょ?

では学校の勉強はなぜ必要なのか。少なくとも一つ言えるのは大学受験で必要だからですが、これ以上になぜ必要なのかと聞かれたら、それは自分次第でしょう。

例えば、弁護士になりたいのであれば法律を学ぶ必要があります。だけどやっぱり公民などの勉強はした方が良いですよね。三権分立の話は憲法で必ず出てきますから。

一方で、サラリーマンでいいや、という人でも、商社で働くなら経済の勉強はしておいた方が良いですよね。少なくとも円高とか円安とかは知らないとまずいですよね。

これらの知識は結局突き詰めてしまえば中学高校の知識が前提であるようなことが多いのです。

まあそれに、就活の時にSPIとかやりますしね。こうなってくると今まで勉強してきたかどうかが自分の人生を左右してくるという次元にまでなってくるのです。

終わりに

ここまで読めばご理解いただけたかと思います。

ただ、ここでは勉強はしなければならないというのが趣旨ではありません。

なぜ勉強する必要があるのか、ということについてご自分で考えてみてほしいのです。そうじゃないとやらないから。

人間、他人に言われてやるほどそんなに適当ではありません。

僕の経験を話すと、本を読めと言われても読んできませんでした。僕は読書というものが大嫌いだったのです。

だけど、あるタイミングで読書をするようになりました。具体的には株の本です。それは株を始めようと思い、その為には知識を得る必要があると感じたからです。

今も読書は好きではありません。だけど必要だから読んでいます

もう一つ言えばイタリア語を勉強するのもイタリアで喋りたいからです。
必要だから勉強をしているのです

この必要性というのは人それぞれ価値観によって分かれます。だから他人がどうこうできる話ではないのです。「必要だからやりなさい」というワードはただの価値観の押し付けに過ぎません。

だから皆さん。やりたいことをやってください。
必要だと思うこと、やりたいと思うことを思う存分やるようにしてください。好きにやらせてあげてください。

その繰り返しの果てに勉強があるはずです。

チャンスを掴め。


途中で言及した音楽の話はこちらです↓↓↓



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