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保身と地の利からテクノロジーを拒否する地域

※この記事は2022年4月4日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。


日本は250年以上の長い間外国との接触を断つ「鎖国」をしていた国として有名だ。その影響で歌舞伎や書道、花道、刀といった日本独自の文化が発達し、それは世界に誇れるまでに成長していった。
ただ、外の世界で技術や文化がどう変化しているのかに一切目を向けない方針を続けたことで、黒船来航による圧力に押されて、その後の外交政策がほとんど下手に回っていたことも事実である。
黒船の圧力に押された何よりの原因は、彼かの持つ兵器の技術力だった。刀では到底太刀打ちできないほどの大砲や銃をふんだんに備えた彼らの船には、一度やり合えば確実に滅ぼされると悟れるほどの差があったのだ。

では、なぜ日本はこれまでテクノロジーを拒否し続けてきたのか?
その大きな要因は、日本の「保身」と「地の利」にある。

まず「保身」についてだが、テクノロジーを拒否し続けたその発端は、豊臣秀吉による布告された武装解除政策による。巨大な大仏の鋳造を口実に、日本では侍階級以外の者は全員武器を政府に差し出すことを命じたのだ。
目的は、支配下にある軍事階級が武器を独占し、国内の平定を推し進めることだった。

次いで1607年以降には、火器と大砲の製造を集中して、政府を唯一の購入資格者とする政策を家康が打ち出す。
鉄砲鍛冶は全て、鍛冶場を特定の街に移るよう命じられたので、人知れず鉄砲の技術が流出するリスクも低い。言ってみれば、「鳥籠の中で大事に管理されている鳥たち」のような感覚に近いだろう。
政府のもとで完全に管理された鉄砲は、その後発注量を徐々に減らしていく。結果として、日本は火薬の時代から撤退することになったのだ。

ではなぜ、鉄砲の開発はここまで規制されたのか?理由は大きく分けて3つある。1つ目は、鉄砲がキリスト教の布教拡大と結び付けられていたこと。2つ目は、鉄砲が社会の不安定化要因であるという認識があったこと。そして3つ目は、そもそも鉄砲は外国から押し付けられたものだったからだ。

1つ目の理由に関してだが、鉄砲の技術を取り入れれば、それを伝えたヨーロッパの宗教であるキリスト教も布教されやすくなる。日本全体がキリスト教化してしまえば、ヨーロッパでその時期最も勢力ある国の子分に成り下がる可能性がある。
何より、キリスト教社会では教皇の権力が強い。教皇の指図一つで国のルールや権力構造まで根こそぎ変えられることも十分にあり得る。
つまり、銃の技術を取り入れれば、それに付随してキリスト教普及の下地も整ってしまう恐れがあったのだ。

また、銃の受け入れは民衆の力の増大も助長しかねない。銃は刀と比べてれば比較的扱いやすいので、一度使い方を覚えてしまえば、それを利用して高い身分の者を倒すことも可能になる。権力の維持を続けたい政府にとって、民衆に力を持たせることは都合が悪かったのだ。

最後の理由に関しては、そもそも日本はヨーロッパとは違い、宗教改革のような大規模な事態が起きていない。銃を手にする大きな理由は、そうした思想の違いで対立した者同士が、戦争によって自分達の意思を貫くためというのが大きい。ところが日本にはそれが起きていないため、銃をわざわざ国内に広める必要がなかった。
こうした理由が、日本の銃の技術の受け入れ拒否に大きな影響を与えたのだ。

次に、もう一つの要因である「地の利」についてだが、日本は四方が海で囲まれた島国だ。こうした地域では、外国勢力はヨーロッパのように国境を超えて攻め入ることができない。
加えて、一年を通して季節が目まぐるしく変わるという特徴もある。海を渡ろうとしても気候変動に影響されて、列島まで到達しづらいという特徴が日本にはある。13世紀にモンゴルが攻めてきた元寇などがまさにその代表的な例だろう。
結果として、外国との交流をあまり経験してこなかった日本は、当然、兵器の技術も長らく伝えれられることはなかったのだ。

このように政治的、地理的な要因が全て絡み合ったことで、日本という島国は鉄砲の技術の発展を自ら拒否していった歴史がある。
外国が攻めづらい環境下にある日本において権力者が何より優先すべきだったのは、「勢力拡大」より「権力の維持」だ。
確かに、他所から攻められる心配が少ないのであれば、そういう方向に舵を切ろうとするのはある種自然なことなのかもしれない。

ただ、そうした過去の思想が根強く引きずられたことで、現在の日本の技術力が周回遅れになっていることは事実だ。航空機の発達やインターネットの進化が広まった世界では、物理的距離を飛び越えて世界と繋がれる。そうした世界の変化を理解してこれからの政策を僕ら自身で考えていかなければ、文化や利点はあっという間に消滅だろう。
学ぶべきところは学び、技術は徹底してパクっていくべきだ。

参考文献: 戦略の歴史(上) (中公文庫)

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