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三次方程式が解けることが何を意味するか?:ウマル・ハイヤーム

※この記事は2022年2月18日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。


今日も数学史の解説していこうと思う。数学はこれまで、理論や定理を何の前触れもなく、唐突に教わってきたので面白さが見出しにくかったが、歴史が過去のストーリーを伝えていくのと同じように、数学も理論や定理がどういう経緯で完成されていったのか?そのストーリーだけでも知ることができたら、より親しみやすくなると思っている。
その足掛かりとして、この解説が役に立てば嬉しい。

今回紹介するのは、11世紀から12世紀にかけて活躍したイランの数学者ウマル・ハイヤームという人物についてだ。

コラーサン州という今のイランにあたる場所で生まれた彼は、そこで哲学、数学、科学についての知識を深めた後、裕福な豪族の宮廷で個人教授をして生計を立てる。今でいう家庭教師のようなものだ。
君主が変わったある時期に、官房長官のような大臣についていたアルムルクという人物がウマル・ハイヤームと学生時代からの友人で、彼は君主を説得してウマル・ハイヤームに高い年俸を与えさせる。この年俸によってウマルは数学や科学の研究に専念することができたのだ。結果として彼はその期間、計3点の本を書くことになる。

彼の残した功績の中で最も重要と言えるのが、「三次方程式の解き方」についてだ。

三次方程式というと高校数学で習うものだが、今では方程式をf(x)の関数において微分をして、因数分解をして増減表を作り解を求める、というのが一般的だと思う。

ところが、当時は微分の概念はまだ存在しないことはおろか、座標軸の考案すらされていないため、方程式を関数として表すことはできなかった。そのため、当時の認識では「三次方程式は解くことができない」と考えられていたのた。

そんな時にこの問題の解決に踏み切ったのがウマル・ハイヤームである。
彼は、三次方程式を解くにあたって、円と双曲線を使った解法を示した。
三次方程式はその式の中で一番大きい次数が3、つまり3乗の項が含まれているため、式変形や代入といった、いわゆる代数的な手法で解こうとするとかなり大変になる。代数は、距離や面積、体積、時間などに関する問題を解くことに利用されるので、その計算があまりに複雑だとかなり苦労してしまう。そこで彼は、円と双曲線がなす交点についての「近似値」を求めることで、方程式の解に近づける方法を展開したのだ。

この「近似値」という考え方は、以前の放送でも話したブラーマグプタの正弦関数のまとめ方と同じだ。
分数として表せない数、つまり無理数が出てきてしまうような問題に対しては、完璧に求めようのとするのではなく、それに近い近似値を出せれば全体の性質を大まかに捉えられる。これが近似値大きなメリットだ。ウマル・ハイヤームはこの近似値という考え方を三次方程式の解法に応用して、円と双曲線という二つの図形によって生まれる交点を求めれば、実際の解に限りなく近づくことができると述べたわけだ。
ちなみに、この解法で得られる値は、実際の値との誤差が1%もないほど正確である。

ウマル・ハイヤームの示した解法は、三次方程式が解けるかどうかに関する説として、知られている中では最も古いものになる。ヨーロッパの数学者が同じ結論に達したのは17世紀のことで、その説が証明されたのは19世紀になってからのことだ。なので、三次方程式が解けるようになったのは、実は割と最近のことなのだ。そう考えると、当時のアラビア世界の数学がいかに進んでいたかがよく分かる。

彼はこの功績以外にも、整数のn乗根の近似値を求めるための二項係数を使った方法や、非ユークリッド幾何学の確立にもつながる一群の定理の証明、他にも詩集や哲学に関する著作など、たくさんの功績がある。

興味のある方は是非調べてみてほしい。

参考文献:『数学を生んだ父母たち―数論、幾何、代数の誕生 (数学を切りひらいた人びと) 』

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