見出し画像

謙遜と謙虚の違いとは?

おはようございます!
三寒四温の春から、やっと服装など落ち着く時期になってきように感じます。

謙遜と謙虚の違いは明確

ある程度、馴染みのあるこれらの二つの言葉。
「聞いたことはあるけど、詳しくは考えたことがなかった」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?

辞書で引いた結果からお伝えします。
”謙遜”とは、へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。
”謙虚”とは、自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。

両者は明確に異なります。
混合して利用される方が多くいらっしゃいますので、この機会に振り返る機会になれば幸いです。

結論から書くと、両者の違いは自分という存在をどこに位置付けるかによります。
”謙遜”とは、あえて自分の価値を下げます。
”謙虚”とは、ありのままの自分の価値です。

「”謙虚”な人柄」という表現は用いますが、「”謙遜”する人柄」のような表現では用いません。
”謙遜”とは、”謙遜”するというように行為に焦点が当たる。
一方、”謙虚”とは状態に焦点が当たる。

”謙遜”は行為。一時的。
”謙遜”は状態。持続的。

”謙遜”の裏にあるものとは?

一時的な行為である”謙遜”の裏に何があるのか。
明確に共通するとは限りませんが、何かしらのメリットを感じていることは確かです。

例えば、
「Aさん上司の前では”謙遜”する。」
Aさんは、一時的に自分の価値を下げることで、上司に怒られることを避けているかもしれません。
もしくは、一時的に自分の価値を下げることで、上司から認められたいという承認欲求があるかもしれません。
(決して承認欲求が悪いわけではありません。)

他の例えでは、
「Bさんは”謙遜”のしすぎ。」
Bさんは、褒められることに慣れておらず、自分の価値を下げることがコンフォートゾーンとなっているかもしれません。
もしくは、自己評価が著しく低く、他者評価との相違を恐れているかもしれません。

このように謙遜するということは、それなりの対価を得ています。
いつも”謙遜”する方は、いつも何かを得ています。
それは往々にして、自分を守るための手段の産物である可能性があります。

”謙虚”とは?

”謙虚”でいるということは、在りのままであるということです。
”謙虚”でいるということは、素直であるということです。

つまり、謙虚な態度にはある意味奥行きがありません。
自分の価値以上でも以下でもなく、そのままの状態です。

”謙虚”さがもたらすものとは?

結果的に、”謙虚”さは多くのものを引き付けます。
”謙虚”な人柄に対して、人は助けたいという気持ちになるかもしれません。
”謙虚”な人柄に対して、人は一緒にいて心地良いと感じるかもしれません。

誰しも「自分の方が理解している」とマウントを取りたくなることがあるでしょう。
誰しも、「アドバイスしてくるな」と傲慢な自分が出てくることもあるでしょう。
誰しも、「そういうことね」と相手の真意とは異なるにも関わらず、早とちりしてしまうこともあるでしょう。

その時には必ず”謙虚”さが欠けています。
”謙虚”な人間は、他者を優劣や上下関係で判断しません。
”謙虚”な人間は、誰からも学ぶ姿勢があります。
”謙虚”な人間は、相手にしか分からないことがあると洞察できます。

そして、”謙虚”さには同時に必ず”感謝”が伴います。
両者は例外なく同時に存在します。
”謙虚”なき”感謝”はなく、
”感謝”なき”謙虚”はありません。

そして、何事にも奥深さが存在します。
しばしば二元的に捉える方は多いですが、それは次元が低い証拠です。
”謙虚”には、「謙虚である」or「謙虚でない」と二つではありません。
「謙虚である」の中にも、分かりやすく例えれば、謙虚レベルのように奥行きがあります。

まずは今日という日をいつもにも増して、”謙虚”に過ごしていきましょう!
本日もお読みいただきありがとうございました!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?