支えてもらっていたんだ

ここ数日、やる気というものが徐々に削られていくのを肌で感じていた。

自分の好きだったゲームが急に面白くないと感じた日、その日が始まりであった。
「なんだろう、この感覚」
好きなアニメを見、笑うところは笑うのだが
心の底から楽しんでいる感覚が感じられない。
ゲームをしてみるが、以前のようにやり続けることは当たり前のように出来ない、面白いけど面白くない。

本当によくわからない感情で過ごしてきた。

彼女にも今の現状を伝え、連絡をとるのも最小限にしてもらい、自身への負担を減らすようにした。
そうすると、少し余裕がでてきたような気がしてきた。
そう、気がしていただけなのだ。

この感情の正体は、コロナで自粛し続けなければいけないといったしがらみによるものだと勝手ながら判断をした。
新しい刺激が必要だ。
だったら以前から欲しいと思っていた一眼レフを買おうと思い立ち、行動に移した。
6万5千円の物を買い、風景を遠くから撮ったりするのなら誰にも迷惑はかけないと思っていた。
今週には彼女と少しお出かけの予定も立てていたからその際初めてのカメラデビューを果たそうと思っていた。

昨日の夕方まではそう思っていた。

寝る準備をしベッドに入った。
彼女と電話を繋ぎ、「好きだよ」と言われた時に、いつもなら湧いてくる同じ感情が全く湧いてこなかった。
いつから気持ちが無感情のような状態になっていたのだろう、どんどん気持ちが薄れていく感覚が胸を締めつけてきた。

どうしようもない感覚、この感情のまま会ったとしても楽しくない、本当の意味で楽しむことはできない。ただ、好きでもないのに一緒に居ることは辛いから嫌だと思った。

そして、日をまたぎながら本心を伝える。
「感情が薄れている、前のように戻ってくる自信がない、これ以上期待をさせたくない」
この上記が常に頭の中をぐるぐると回りつづけて、別れて楽になりたいと思った。

ただ、彼女は違い、「今の状態で正しい判断ができるとは思えない。自分以外の人に相談できてないし、自分の感情が戻ってきてからでも、私への感情が湧いてこなかったら仕方がないけど、別れ話はその時ではだめかな」と言われた。

始めはただ別れたくないだけであるとも思った。
そして自分自身も早く楽になりたい、このしんどい気持ちから解放されたいと願っていた。

でも、自分の口からどうしても別れたいと言うことはできなかった。
さっきまで苦しかったのに、なぜその一言を発することが出来なかったのだろう。

私は電話を切り、少し夜風にあたりながら散歩をしてきた。定番ではあるが、散歩はやはり自分を見つめるためにもとてもいい時間であることは間違いない。

さっきまでの会話を思い出しながら歩いていくと、かけられた言葉がすごく自分を思っての言葉だなや、辛いのにこうやって真剣に言葉を受け止めてくれて、自分の判断を静止してくれていたなと相手側への気持ちが湧いてくる。

好きといった感情とは違うが感謝の気持ちが湧いてくる。
そう考えると、やはり自分の中で手放したくないといった感情は心の奥底にあるのだということ

それに気づかされたのは間違いない。

安易に判断を下さなくて本当によかったと思った。

つい先程あった出来事を綴ってみました。
自分の気持ちを整理する方法としてもいいかなと思い書きました。

感情はあまり戻ってきてはいないけど、大切な人の存在、自分は1人じゃ生きることが出来ないほど弱く脆い、だから支えてもらいながら生きているということを改めて感じられた。

これは自分に課せられた一つの試練でもあるのだろう。
乗り越えるまでにどれほどの時間がかかるのだろうかと思うが、乗り越えることができれば、また楽しい日々が待っている。

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