最近見たいろんなものの感想やら何やら トラペジウムとか

トラペジウムはいいぞ。


映画編

トラペジウム

初見では「俺は間違いなく凄いものを見たが、絶対処理しきれてない」という確信があった。実際見終わった後しばらく思考がトラペジウムにジャックされていた。
ただ、万人受けは絶対にしない(ので商業的には微妙だと思う)。少なくとも「雰囲気で作品を楽しむ」タイプの人には向いてないし、そうでなくても主人公への嫌悪感が強くなる人は多いと思う。

本作の主人公、東ゆうの描き方はだいぶ露悪的と言うか、性格の悪さを押し出している。それ自体は事実なのだが、サラッと流されている部分に「そうなった原因」や「そうじゃないところ」がこっそり描かれている。
例えばOP。オーディション落ちまくって「なんもない」と自己肯定感を失っている(にも関わらず夢を諦められなかった)のが伺える。
映像で「オーディション落ちまくったんだなぁ」と気づけるかどうかでいきなり篩にかけられてるの、あまりにも視聴者を信頼しすぎている。でも、これは「初見で気付けるやつだけついて来い」ではなく、作中で後から答え合わせをしているのが恐ろしい所だ。
オーディション落ちまくったのは中盤に台詞があるように、「実はちゃんと描いてあったんですけど覚えてます?」というポイントが度々入ってくる。そこで覚えていることができれば、「なるほどこういうことだったのねー」と納得できる。だが、ここを乗り越えないと「なんで最終的にいい終わり方してんだよ、ご都合主義じゃん」みたいな感想になってしまう。んなもん万人受けするわけないが、同時にある程度適合するとリピーター化する構造ができている。

それぞれのキャラクターの話をしよう。
東ゆうは、とにかく愚直であった。実力不足を補うために他者を巻き込むことを厭わず、その性格の悪さを自認している。しかし、彼女は「手段を選ばないこと」ではなく「結果として選んだ手段」にさえ愚直だった。ただ4人揃えるのではなく、ちゃんと友達になることを選択した。ボランティアだって(目的のために必要なうちは)ちゃんとやっていたし、電話越しでもお辞儀をするあたりもそういう愚直さの表れと取れる。
だから、東西南北(仮)は崩壊した。自然消滅とか、そういうぬるい感じにはならなかった。
必要でなくなったボランティアは切り捨てた。
シンジとも会わなくなった。
だが、東西南北(仮)を切り捨てる選択肢はなかった。一人でアイドルになれなかった自分が、明らかに人気で劣る自分がアイドルであり続けるためには、必要なことだった。
そして他の3人も、この4人でいることを辞める気はなかった。
違いがあるとすれば、それは「アイドルの東西南北(仮)」だったか否かだ。

華鳥蘭子は、ただ流れに身を任せていた。憧れはあったが、そのために努力するではなく。
PCを買う時も親がその分お金を振り込んでくれると言っており、端的に言えば「何不自由なく」生活していけるのだろう。目的意識を失うのも自然と言える。
しかし、光を見た。
目的のためならば孤独であることさえ良しとした、諦めの悪い虎と、そんな虎に華鳥という翼を授けるために現れた龍。
目的のために一緒に何かに打ち込むことの喜びは、どれだけの人が知っているだろうか。少なくとも、華鳥蘭子にとっては初めての経験だっただろう。
虎は良い結果を残した。そして次は龍の番。虎がそうだったように、きっと流れに身を任せていれば上手くいくと思っていた。
実際、夢を叶えるまでは上手くいったのだ。
問題はその後だった。
簡単なことだ。虎も龍も目的地が違う。同じ流れに乗って、本来うまく行くはずがない。流れに身を任せて良かったのは、目的地のない自分だけだ。
その上、龍が選んだのはとんでもない激流だ。仲間がいなければ無事で済むはずがなく、だから龍は自分たちを求めた。
でも、虎はもう限界だ。龍に至っては自身が傷だらけであることにすら気づいていない。
この流れは断たなければならない。本当にバラバラになってしまう前に。

大河くるみは、我が儘だ。とにかく自分がやりたいようにやる。ロボコンではメンバーから孤立したし、登山では違う班なのを嫌がったし、取材に至っては来なかった。
こういう我が強い人は、多分高専やスポーツ強豪校だと珍しくないと思う。それが吉と出るか凶と出るかは運と実力によりけりだが、孤独になりやすい傾向にはあるだろう。
その点くるみはどちらも持っていた。東ゆうと華鳥蘭子という友人により救われた。そして、亀井美嘉、サチという新たな友人にも出会えた。そして、いつの間にかみんなで一緒にいることが、くるみにとってのやりたい事になっていた。人前に出るのは嫌だったけど、一緒にいる方が大事だった。
矛盾は、それを認識できる者をおかしくする。
一緒にいたいのに、ソロの仕事をするようになった。人前に出るのは嫌なのに、人前に出る必要があった。好きなロボットを触る時間だって、どれだけ取れただろうか。
このままでは自分が自分でなくなる、何がやりたくて、何がやりたくなかったのか分からなくなってしまう。
それでも、アイドルになる前、東ゆうと、みんなと過ごす時間が楽しかったのだけは確かだった。だって、そうじゃなきゃくるみは一緒にいなかったんだから。

亀井美嘉は、救いを求めていた。いじめられ、顔を変えても逃げ切れず、辿り着いた先がボランティア活動だった。
いやカルト宗教じゃなくて良かったね本当に。家に居場所があるのかわからんのが怖いところだけど。
かつて自分を救ってくれた東ゆうに再会できたことがどれだけの喜びだったろうか。およそ命の恩人と言って差し支えない存在だ、どれだけ輝いて見えただろう。
でも、東ゆうがいない間に自分を救ってくれた人だって大事だった。アイドルになる上で彼氏がいるとまずいことも分かっていたが、そう易々と手放せるものではない。
これはあんまり良くない例えだが、恋愛経験のない奴が何かの拍子に急にモテ始めると浮気とかしがちだったりする。愛に飢えていると、自分に向けられた好意を一つも無駄にできない。そして二兎を追う者は一兎をも得ず、となりがち。
そしてヒーローから告げられた言葉は「友達になんてならなければ良かった」。
「友達になんてならなければ良かった」と言ったということは、少なくとも友達だと認識してくれていたということ。東ゆうはあの時自分を救ってくれたヒーローではなく、友達であった。
だから、友達として救わなければいけない。

東西南北(仮)は破綻した。東ゆうは失敗した。
では、今までのことは無駄だったのか?
断じて否である。
一緒にやれて楽しかったと言ってくれた人がいた。
夢を託してくれた人がいた。
「これからどうするんですか」と気にかけてくれた人がいた。
そして何より、友達がいた。

亀井美嘉は、自分を見つめ直させてくれた。
大河くるみは、あの日々を肯定してくれた。
華鳥蘭子は、再び夢を見る勇気をくれた。

東ゆうの「これから」を語る必要はもはやないだろう。だって、答えは得た。


あとはシンジお前だよお前!!!!!!!!!!しれっと夢叶えてんの強すぎんだろ!!!!!!!

ちなみに一番感情移入しやすかったのは華鳥さん。僕は流れに身を任せて生きてきた人なので。そのせいで高専では落ちこぼれだったんですけど。

ウマ娘 新時代の扉

これはウマ娘を見てて常々思うことなんですけれど……

ウイニングライブが!!!!ノイズ!!!!!!!!

要るか要らないかで言ったら要る(鋼の意志)
けど完全スポ根モードの時にお出しされると初見の人絶対困惑するわよね。事前に「そういうもの」という認識がないと。
それはそれとして出来は凄く良い。アニメ3期はなんだったんですか?
やっぱり王道スポ根はいいね。タキオンの心が徐々に揺れていくのたまらん。

アグネスデジタルが大人しくしててくれてたのがファインプレーって感想見て笑っちゃった。僕はデジたん大好きです。

数分間のエールを

これまたド直球なのが来たな、といったところ。
映像の良さで「もうこれだけできるようになったんだなー」という楽しみ方もできる。

夢破れた人を引き戻すの、凄く残酷なことで、大抵の創作者は救われないんですよね。
それでも、夢を追い求めることで救われる誰かはいる。そう信じないとやっていけないって側面もあるんだろうけど、これは紛れもなくエールでした。

総集編ぼっち・ざ・ろっく!

まぁ総集編だもんねー、というのが率直な感想。個人的には元のアニメぼざろのほうが好きだけど、2期来る前に復習するには最適かも、という感じ。

ディア・ファミリー

えっアニメ映画じゃないの混じってますよ
いやいいんだってこれも見たんだから

世の中上手くいかないことなんていくらでもあるけど、険しい道を選べば当然苦難は多くなる。それでも「次はどうするの?」と前を見続け、これまでの全てを総動員して、立ち向かい続ける。広義のトラペジウムやドリトライです。
靴の演出が雑に入れた御涙頂戴シーンじゃなくて、のちの展開で必要なところなのが好きです。いなくなった彼女が、忘れられていないんだなって。

妹が「死人出るなら見たくない」って言ってたので「じゃあアンパンマン見てろよ」と思いました。アンパンマンも家族客が少ないタイミングで見てみようかな……。

アニメ編

ガールズバンドクライ

徹頭徹尾「私は間違ってない」と主張し続ける作品。
ダイダスが好きだった2人が、いじめへの対応を巡って仲違いし、一人は欠員の出たダイダスの新メンバーになってを、もうグループを一人はダイダスを抜けた一人とともにダイダスの魂を守り抜いた。あの時、決してどちらも間違ってなかったんだ。
「どちらが正しいか」という問いには「どちらも正しい、どちらも間違っている」といった解がある場合があるが、その答えに必要なのは納得だ。
仁奈は納得した。であればそれが全てなんだと思う。
彼女たちは音楽を通して相互理解を成し遂げた。
でも、行動原理が変わったわけではない。
今後も仁奈は納得できないことがあればトゲを出し、そこに彼女たちの音楽が生まれるだろう。

ダンジョン飯

2期はよ。
コメディチックだけど死と隣り合わせで、これからよりシリアスになっていくであろうことに怖さを感じつつもとても楽しめた。
この手の作品が1発ネタじゃないことに好感を覚えているし、原作買いました。
2期予告されちゃったので読めません。助けて!

ブルーアーカイブ

純粋出来が悪い。
ソシャゲ原作で、ソシャゲのストーリーをそのままアニメ化するの、プレイヤーの分身と呼べるキャラクターがいる場合かなり難しくなるのだが、本作はそこが兎に角上手くいってなかった。
ゲームの「先生」は「ゲームの外から先生ごっこをしている我々」でもあると言えるが、アニメの「先生」はそうもいかない。となれば黒服との問答に改変が必要になる。しかし、大人のカードという切り札を省略してしまえば、「先生の覚悟って結局どんなもんなんよ」みたいな話になってしまう。
その他、特に先生周りは改変すべきところと残すべきところがチグハグだった印象を受ける。
あと純粋に作画。多分ゲームの戦闘シーンの方がよくできてる。遮蔽使うし。

でもゲームは好きだし、最終編まで見れるもんなら見たいので、今後ノウハウを積んでいい感じに引き続きアニメ化お願いしますよ

漫画編

ウソツキ!ゴクオーくん

「嘘」に対する向き合い方がとにかく真摯。それは「自分を守るため」「誰かを守るため」などの嘘の目的だけでなく、嘘が暴かれた後の反応にさえ個性があり、1話完結のほぼ全てが無駄にならない。

他者とのコミュニケーションには、どうしても嘘が発生する。良い悪いではなくそういうものであり、だからこそ我々は嘘と上手に付き合っていかなきゃならない。
もちろん上手くいかない時もある。人間は間違いを犯すものだ。でも、それでも前に進んでいけるという強い意志を感じる作品。

特に印象に残ったのは濡れ衣を着せられて追い詰められた時と、罪を背負っていく時ですね。

これはコロコロになくてはならない作品だったと思う。小学生が読むべき漫画暫定トップくらいの気持ち。最終回の後大泣きした。

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