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Sputrip 8thオリジナル曲『トイ×トイ☆パーティー!』 歌詞考察

ちょっと昨日今日とフルで聴く機会が多くて、聴いてるうちにこの歌詞ってもしかしてこういうこと?とか思ったことが色々あったので、2〜3周遅れですが歌詞考察などしてみる!

はじめに

まず最初に、この前の振り返り配信でハノンちゃんが言ってた話から考えると、くーちゃんとカナメちゃんのワードが多く使われているAメロとサビ部分は韻を踏むってこととかあとそのパートを歌うメンバーに合わせた語感とか音を優先していて、あんまり強い意味はないのかなぁと思ったので、そこは一旦外して考えます。

で、そのつもりで考えると着目すべきはBメロとCメロ部分ってことになりそう。実際BメロとCメロは完全にハノンちゃん作詞みたいですし。

1番Bメロ

ということでまず1番のBメロがこれ。

最初に前半2文を見て思ったのが、唯一の正解が存在する秩序だった世界を否定している?ということで、じゃあ何を求めているのか?と考えて出てきたのが、シュレーディンガーの猫の話。

いわゆる量子力学で「何者にも観測されない状態では唯一解を持たない、観測によって解が決定する」という世界を求めているのかな?と思いました。

そう考えると、確かにハノンちゃんが言ってた「子供達が寝たら動き出せる、夜が明けたらパーティは終わり」という言葉からも「夜に動き出すおもちゃ」=「観測されない存在」=「唯一解を持たない存在」となり、だからこそ秩序だった世界を否定する言葉が並んでいるというのはおかしくなさそう。

2番Bメロ

そう考えたところで、2番のBメロ。

この「最終形態はヒミツのままで」という言葉を聞きながら、最近なんか近い文を見た気がするなと思い出したのがハノンちゃんのポリス生写真のサインに入っていた「A secret makes a woman woman」(女は秘密を着飾って美しくなる)という言葉。

ハノンちゃん名探偵コナン好きだったはずだし、そこから取り込むのもありうるかなと思いつつ、じゃあ「最終形態」ってなんだ?と考えて思ったのが、アニメとかに出てくる形態変化するキャラクターの最終形態って、余分なものが剥ぎ落とされたシンプルなありのままの姿になりがちじゃない?ということ。(代表例がドラゴンボールZのフリーザかな)

そうだとすると「最終形態」=「ありのままの自分」という解釈もできそうで、そう考えてさっきのセリフと繋げると「ありのままの自分を隠すことで美しくなる」ということになりそう。

で、ありのままの自分を隠すって、表現を変えると嘘をついているという捉え方もできそうで、そうした時に思ったのが推しの子に出てくる「嘘はとびきりの愛なんだよ」という言葉。

これをファンに夢を見せ続けるために嘘を吐くことがファンへの愛であるという意味で捉えると、前の解釈と繋げて「ファンに夢を見続けてもらうためにありのままの自分を隠す魅力的なアイドル」という存在が導き出されそう。

そう考えるとやっぱりこの「歌詞の主人公」=「アイドル」と考えていいのかなと。実際にライブで出た箱のパッケージにも「スペーストイドル」って書いてあったし。

で、ここまで考えて思ったのが1番のBメロだと、自分達は「観測されない存在」であるのに対して、2番だと自分達は「アイドル」となっていて、ここで疑問になるのが「アイドルは観測してくれるファンがいるからこそアイドルでいられるのでは?」という話。

そう考えると1番と2番で「観測されないから存在できるもの」と「観測によって存在できるもの」という対立が生まれていることに。

だとすると「曖昧模糊なココロが騒ぐ」ってのはこの対立構造に対するフラストレーション的な意味合いにも取れそう。

また2番の「センチメンタルな夜なんて要らない」は、夜子供達が寝静まった時に動き出せる存在が「夜なんていらない」って言うのはおかしくない?って話があって、だとするとこのおもちゃ達は「観測されたい」=「アイドルでありたい」と考えていると解釈できそう。

そして最後に「【全知全能】の限界だって知りたい」の部分、先にハノンちゃんが考察書いてた人に「人だから」ってリプ飛ばしてるの見えちゃったので、それをヒントにしつつ考えてみる。

まず普通に全知全能って言葉を考えて出てくるのが「神」、だけどハノンちゃんの言葉からするとこれは「人」なので、神ではない人が全知全能を騙っているということになる。

先に出てきた推しの子の言葉とも合わせてアイドルは嘘をつくものとすると「【全知全能】」=「人」=「嘘を持ってファンに夢を提供するアイドル」と解釈できる?
だとすると「【全知全能】の限界だって知りたい」は、「嘘を持ってファンに夢を提供するアイドルの限界を知りたい」ということになり、つまりアイドルとしての自分が、この嘘をつかってどこまで夢を提供できるのか、ってことになるのかな。

Cメロ

そんなところでCメロ。

ここで気になるのが「また逢えますか?」という言葉で、また逢えますかってことはもう逢っているということでもあるので、すでにこのおもちゃ達は「観測された」=「アイドルになっていた」存在である。

しかしアイドルになるという魔法が解けていく、つまりアイドルとしての夢が破れて引退していくみたいな描写なのかな?

その上で、「また逢えますか?」=「またアイドルとして舞台に立ちたい」という思いを持っているみたいな?

まとめ

で、ここで1番Bメロ→2番Bメロ→Cメロと時系列で話が進んでいると仮定しつつまとめてみる。

まず1番が、自分達は「観測されないからこそ存在できる存在」であることを受け入れているが、内心としては「アイドルになりたい」という潜在的な欲求を持っている。

2番では既にアイドルになっていて、アイドルとしての限界にチャレンジしている。

そして最後のCメロが、アイドルとしての夢が破れて引退した。しかし、心の中ではまたアイドルとして舞台に立ちたいと考えている。

最後に

とりあえず今考えたのはここまでだけど、ここまで考えて思ったのはこの曲って実は「一度アイドルとして表舞台に立った女の子が夢破れて挫折したが、まだ諦めてはいない」ってのが裏テーマだったりする?ということ。

だいぶ歌詞のワードから発想を飛躍させたので、全然そんなこと考えてなかったーと思われて当然だと思うけど、まぁこの歌詞見てこんなこと思ったよ、っていうまとめとしてでも見てくれたら嬉しいかな。

最後に、こんな乱文見ていただいた方本当にありがとうございます!

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