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健康とは?

「健康」と聞いたら、どう応えますか?


さすがに「ん〜元気な状態?」みたいなフワッとした解答はされないと思いますが。。。


私なりに、「健康」について考えていることがあるので、共有していきたいと思います。


WHOの健康の定義


まず、WHOの健康の定義を一部掲載しますね。

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Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。


詳細はこちら

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心と体の健康はなんとなく感覚的に分かると思います。私の事業はQOL向上を目指した内容ですので、健康については大いに関係があります。


健康で「満たされた状態」とはどういうことなのでしょうか?以下に、私なりの「健康」について記述してみますね。


身体的健康とは?


身体的健康とは、ただの五体満足ではなく、食べたものを消化・吸収し、カスはちゃんと排泄すること。そして、この肉体をちゃんと意識的にコントロールすることができること。


・食べたものを誤嚥しないかどうか。

・ちゃんと腸が働き、排泄まで円滑かどうか。

・自分の身体をちゃんと意識的にコントロールすることができるだろうか?


随意筋など、意識できるとこはちゃんと意識的に動かすことができる状態。寝つきが良く、目覚めもスッキリしているかどうか。生理的欲求もちゃんと働いているかどうか。


老化による体力の低下は誤嚥を招いたり、腸の働きが鈍くなって、消化・吸収、さらには排泄までの流れが鈍くなってきてしまいます。


たとえ、先天的に何かしらの障害を抱えてしまったとしても、道具や介助によるサポートがあることで、円滑な生活を送ることができるなら、それは健康と言えるでしょう。


現代では子供たちの体力低下が心配です。若年性の生活習慣病が増えてきてますから。ガンだったり、糖尿病だったり、アルツハイマーだったり。生活習慣病とは関係ないこともありますが、ほとんど生活習慣と関係のある病気です。人生100年全うできるのが普通になると言うのに、体力レベルが低いとどうなるのでしょうか?


若いうちの体力レベルの低下は経済面から観ても危機感を感じます。何をするにも体力が必要です。日本人のほとんどは「労働収入」により生活を賄っているためです。収入の質が「権利収入」でも体力は必要ですよ。資産を構築するのにも一定期間は必要ですから。経済のお話は別の機会で。


で。体力レベルが低いとどうなるのか?それは単純にただの長生きで終わってしまうということ。


健康寿命”が延びない → より医療費がかさむ → 財政に圧迫をかけてしまいかねない → 医療保険料の支払増大の可能性が高くなる


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自分の健康寿命を延ばしていかないと、結果的に自分の首を自分で締めることになりかねません。ただでさえ働けなくてツライのに、医療費や健康保険料の支払額が増えたらツライ状態で働くことになるので、負のスパイラルにどっぷり浸かることになります。


”働く”ということに関しても、根本的に考え直さないといけないですね。QOLに大きく関係しますから。


精神的健康とは?


厚生労働省による「こころの健康」について

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https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b3.html


一部抜粋すると、

 いきいきと自分らしく生きるための重要な条件である。具体的には、自分の感情に気づいて表現できること(情緒的健康)、状況に応じて適切に考え、現実的な問題解決ができること(知的健康)、他人や社会と建設的でよい関係を築けること(社会的健康)を意味している。人生の目的や意義を見出し、主体的に人生を選択すること(人間的健康)も大切な要素であり、こころの健康は「生活の質」に大きく影響するものである。
 こころの健康には、個人の資質や能力の他に、身体状況、社会経済状況、住居や職場の環境、対人関係など、多くの要因が影響し、なかでも、身体の状態とこころは相互に強く関係している。


さまざまな要因がこころに影響を与えます。そして、こころの健康はQOL(生活の質)に大きく影響を与えます。


問題を挙げたらキリがありません。そもそも”問題じゃない状態”ってどんな状態ですか?私が思うに、幸せだな〜と思っている状態、豊かな生活を送れている状態であれば、精神的健康に近づきやすくなるんじゃないかなって思います。


では、ヒトが”幸せだ”と思う状態になるには、どんな要素があるのでしょうか?


・身体的健康であること

・経済的健康であること

・時間的健康であること

・家族や仲間、絆が良好であること

・存在価値を見出していること


これら5つの要素が満たされていれば、ヒトは”幸せだ”と感じれるようです。そして豊かな生活を送れていることになります。これらの要素は【人生の5健幸】と言われています。5つは単独でありながらそれぞれ相互作用として働きます。


私の目指しているQOL向上のための要素と直結しています。QOL向上をするとこころの健康も手に入れる可能性が高くなる、ということです。絶対ではない理由があります。


それは一人ひとりの価値観や認識のズレがあるためです。4番目の「家族や仲間、絆が良好であること」というのは、コミュニティがあり、コミュニケーションがちゃんと取れている可能性が高いので、この項目の健康度が高ければ、こころの健康度も高めであると言えます。


社会的健康とは?


良好な関係性をもっているかどうか。ヒトだったり、職場だったり、お金だったり。。。自分とその取り巻く周囲との関係性ですね。


個は社会全体の一部でしかないように見えて、社会を形成する最小単位でもあると思います。


現代、一人ひとりの意識がおかしくなっているように感じます。というのも社会全体の縮図である”家庭”が崩壊しつつあるからです。


家庭は身体でいうと”細胞”だと思いませんか?


細胞が集まって組織となり、器官となり、それらが組み合わさって一つの身体になる。37兆個(昔は60兆個と言ってましたね)の細胞の集まりが一つの身体を作っているので、正直、細胞一つだけ”異常”になったとしても異常な変化は感じられません。


自分の身体が一つの社会であると考えてみると実に面白いものです。そして細胞内にもいくつかの小器官があるので、細胞一つが社会的な観点で観ると、家庭のようなものだと思うのです。


細胞内(家庭)の働きが円滑にいかなければ、身体(社会)にも少しずつ綻びが出てくるもの。一つの細胞(家庭)ならなんとも感じないものが、多くの細胞(家庭)がガタついてたら身体(社会)に異常を感じてくると思います。


私が成人になって、社会のことに目を向くちょっと前から、この社会的健康に違和感を覚えました。


かれこれ15年以上経ちました。


その違和感が今でははっきり目に見えるくらいになりました。当初は私にはどうにもできないなーなんて思ってましたし、ただの違和感でしかなかったので、それほど注力してませんでした。


今となっては、これはマズイんじゃない?何かできることがないだろうか?なんて思うようになってきました。もちろん、はじめは何をすればいいのかなんて分かるはずもありません。だからと言って独りでいても何の解決策は思い浮かぶこともありません。


いろんな人と対話したり、コミュニティに参加してみることで、何となくフワッとした意識に芯を伴うようになってきました。


この社会的不安定の原因は何なのか?


日本には1億2千万人、世界には70億人くらいの人たちがいます。原因は一つではないと思いますが、一つ挙げるとしたらこれかな。


・社会を滅ぼす「三大カルマ」の状態。日本人のEQの低下。


要するに、「心の在り方」に問題が起きてきてるんじゃないか?ってことです。心の在り方って、日本人が古来から大切にしてきた考え方が実践できていれば、いいんじゃないかな?って思うくらいのことだと思うのです。


日本人が古来から大切にしてきた精神は、今は海外でブームになり、一方日本ではそれを忘れて欧米化してきている。精神や食文化ね。


マインドフルネスとか瞑想とかが逆輸入されているのを見て、あれ?日本人大丈夫?と思いました。


戦後、ヒトの周りの道具ばかりが発達(バージョンアップ)してるのに対して、ヒトはいつまで経ってもバージョンアップしていない、というのも頷けてしまう。


三大カルマとは、仏教の教えの一つで、これらのカルマは世界を滅ぼす、なんて言っているのを見て、あながち間違いじゃないなって思いました。


無知

無責任

無関心


無知とは、知らない、だけではなく、知ろうとしない、というのもあるようです。やはり何事も「知る」ことから始まりますよね。知らないと何もできないし、やってもうまくいきません。


無責任とは、例えば会社で言うと「責任取りたくないから、部長や課長にはなりたくない」なんて言って、平社員で居続けながら、給料安い!と文句ばっかり垂れるヒト。自分の考えを全うしてうまくいかないと困るから、他人に言われるのを待ち、その通りにやってうまくいかなければ、「言われた通りにやりましたよ」と責任転嫁をするヒト。


無関心とは、例えば道端でヒトが倒れているのを見ても、見て見ぬ振りをするヒト。面倒なことには関わりたくないって思ってるヒト。どうせ誰かがやってくれるよって思っているヒト。


無知で無責任で無関心なヒトは、見ていて活力がないよね。死んだ魚の目みたいな。


今でこそ私はこうやって発信する側におりますが、10代はまさしく「死んだ魚の目」をしていました。どうやって死のうか、なんて考えていました。やる気0です。生きていく価値すら見出せずにいました。ただ一つ思ってたことは、「そういや、世界を直接この目で見てないなー」って心の片隅に思ってたくらい。これが私を生かす原動力になっていました。


アレルギー体質で病気がちでしたので、自分の身体的健康に関してはそこそこ関心はありました。こうやって少しの関心から私の生き方が変わりました。


働き、対価をいただく、その利益で学ぶ、その知識と技術をもってして還元する…


自分のために始めた勉強は、次第に他人に「ありがとう」といわれるくらいにまでになりました。



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