見出し画像

子どもの父親との別れ

子どもの父親とは籍を入れなかった。
認知もしてもらえなかった。
その時点で「あー…」って普通なら思うけど
当時の私は完全に周りを助けを求めることもできず
激しい束縛に命の危機と、子どもを失う怖さがあって
逃げることができなかった。

この男と出会って4年間は、全てのSNSを監視され、たとえ仕事の話でも男の人とやり取りがあるとブチ切れることがあった。
同性の友人と遊ぶ時も「俺と過ごす時間よりもそっち?」とチクチク言われることもあった。
残業をして、帰りの時間が伝えていた時間よりも遅くなったときも「浮気でもしてたのか」なんて言われたり。
(普通に仕事だったのに…なんでそんな発想になるの?)と信用されてないことの悔しさと、何を言っても通じない諦めが募ってきた。
※入籍と認知しない時点で別れろよって今はとても思う
※でも結果的に入籍しなくて良かった

この時点で4年目。情はかなりあったし、生い立ち故にこんな感じになったんだろうな、かわいそうだなぁという気持ちから別れを告げることもできなかった。
少なくとも最初はとても好きだった。いつからこうなったんだろうなと考えるようになった。子どもが生まれてから酷くなった。父親になることを受け入れられないんだろう。
私は子どもが生まれて嬉しいし、守っていかなければいけない。
そんな疲れも相まって、1人で遠くに出かけたくなったのがサウナに出会った話と繋がる。

その時にサウナを教えてくれた人にこの話をした。
私の素性も大してしらないし、一度きりの人だし
知らないから故に話しやすいって言うのもあった。

「それは、世間一般的に言うと…怒られるタイプの人だよね?やばくない?」

と言われて目が覚めた。
きゅーっと狭くなった視界がひらけた気がした。

「だよね…ありがとう」

このサウナを教えてくれた人と話をしていたら
あれ?私ってこんな人だった?
温泉が好きで、友だちと過ごすのも大好き、山に行くのも、海へ行くのも好き。ドライブだって好き。やりたいことをやる自分が好き。
…だったのに、彼は私の好きなものを全て否定してた。
あー、バカだったなぁ…なんでもっと早く気づかなかったのか、なんでもっと早く誰かに話しておかなかったのか。

心の中で「この人は変わってくれる」という望みも少なからずあった。でももう変わらないことを確信したし、私では変えられないとも思った。

こうして別れる決意をした。

別れるまでは時間がかかった。

別れようと伝えると泣かれた。初めて泣かれた。
失うことが怖いのはお互い様だけど、彼の異様な執着に怖さも感じた。それまで私が傷ついていたことも伝えたが、伝わらなかった。なんとか繋ぎ止めようとしていたけど…。

認知してくれなかったこともまじでムカつくと伝えると
「今からでもするよ」と言われた。
子どもよりも私か…。子どものことは本当にどうでも良いんだなぁと思った。

連絡を絶った。家にまで来られたこともあった。
家の外にいて、私と娘の楽しそうな声を聞いたのかもしれない。

「幸せそうだねーいいですねー」

なんてメッセージも来た。
無視を続けた。
最初のうちは家を燃やされるだろうな、殺しに来るだろうなと思った。
「お前の大切なもの全部奪ってやる」と言われてたから。
でも案外大丈夫なもんなんだなと思った。

今もこうして生きている。
きっと向こうも諦めたのだと思う。
新しい依存先を見つけたのかもしれない。

辛いことばっかりじゃなかったのも事実。
とても幸せを感じていたけど、徐々に共依存になっていった。健全な関係ではなくなった。

彼は彼で幸せになっていると良いなと思う。
だって私は今とても幸せだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?