見出し画像

自己紹介記事〜経験の先に経験がある〜

おはようございます!!こんにちは!!こんばんは!!


こちらの記事に遊びにきてくれてありがとうございます!!
noteやTwitterを初めて1ヶ月程度経つので自己紹介記事を書いてみたいと思います。

まずは簡単なプロフィールを

名前 ぷれーんぴざ
年齢 1993年生まれの26歳(社会人5年目)※記事執筆当時
出身 東京都
趣味 野球 キャンプ サウナ 
職業 1社目メガバンク→2社目HR系企業

こんな感じ!!
ちなみに、祖父も父も兄も銀行員の銀行員一家で生まれ育ちました!!

僕の人格を形作った主なトピックごとに紹介していきたいと思います!!

■小中高野球部主将

小学2年生から野球を始め、ずっと野球小僧でした!!笑


小学校、中学校、高校とずっとキャプテンをやらせてもらい、順風満帆な野球小僧生活を過ごさせてもらってました。

キャプテンをずっとやってきて良かったなと思うことは

・常に模範であり続けるという意識が潜在化したこと
・相手の性格ごとに、伝え方を変える必要があるということに気づけたこと

1つめは『常に模範であり続けるという意識が潜在化したこと

キャプテンなので、監督からもコーチからもメンバーからも信頼を得ることが一番大事だと思っていました。

なので、必然的に誰よりも早くグラウンドに行き、誰よりも全力で声を出し、誰よりも全力で練習をするということを毎日当たり前のようにやるようになりました。

この経験があったからこそ、どんなことにも真剣に全力で立ち向かうという、意識が知らないうちに自分のものになったな〜と感じています。


2つめは『相手の性格ごとに、伝え方を変える必要があるということに気づけたこと

高校のキャプテンになりたての頃、僕はめちゃくちゃ鬼キャプテンで
自分にも厳しいしメンバーにも厳しい。そんなキャプテンでした。

当時は、そんなキャプテン像だったのでめちゃめちゃうざがられていたと思います。うざがられているのを知りつつも、メンバーに厳しく当たっていました。

人は正論だけじゃ動かない。今ではそのことに気がつきましたが

当時はなんでわかってくれないんだ、どうしたらあいつは動いてくれるのか。と悩み苦しみ続けていました。

悩み続けるうちに気がついたのは、人それぞれ性格が違うのだから、性格に合わせて伝え方やアプローチを変えるということ。

それに気づいてから、メンバーとの関係性は徐々に改善し
引退する頃には、信頼関係を築き、気持ちよく高校球児を卒業することが出来たと思っています。

学生時代に12年間、キャプテンを務めさせてもらった経験は僕にとって間違いなく大きな財産になっています。

■高校野球部助監督 〜大学編〜

大学に入り、母校の高校野球部の助監督に就任することなりました。

助監督となり、後輩達に伝えたかったことは1つ

真摯に野球に向き合うことで
想像以上の結果をもたらすことがあるということ

僕が通っていた高校の野球部は毎年予選負けの弱小校でした。
推薦組もいないし、グラウンドが小さすぎてバッティング練習も出来ない。

それでも、僕の代で約40年ぶりとなる都大会ベスト16という結果を残すことが出来たんです。

僕自身、高校野球部に入部する時は、楽しく野球がやれれば良いな
くらいの感覚でした。

でも、本気で野球に取り組む先輩方や監督の姿を見て、俺も本気で野球に取り組んでみようと、決意し、毎日死にたくなるくらいの苦しい練習を乗り越え、入学当初は想像もしていなかった結果を残すことが出来ました。

月並みだけど、本気になれば、想像以上の成果をもたらすことができる
という成功体験を後輩達にも経験して欲しかった。

大学にはほとんど行かず、週5で高校に通い、高校生達と熱い青春を過ごしました。

後輩達は期待以上の頑張りを見せてくれ、僕が助監督最後の年に、甲子園出場経験のある名門桜美林高校を破るという快挙を成し遂げてくれました。

あの時の感動は、今でも鮮やかに僕の脳裏に焼きついています。

■自転車日本一周の旅 〜大学編〜

高校野球部の助監督を大学2年の終わりに引退し、自転車日本一周の旅に出ました。

助監督として、高校野球の指導経験をする中で、人は経験の中から気づきを得て、成長することが出来るという学びを得ました。

もっと多くの経験をしたい。自分が出会ったことのない人と出会いたい。

そう思い、ママチャリで自転車日本一周一人旅をすること決意しました。

旅の中で、多くの人に出会い、色んな価値観に触れることが出来ました。

でも何よりも、僕の心に刺さったのは『人のエネルギーの偉大さ』でした。

ちゃりんこで1日150キロ〜200キロ走る旅路は想像以上に苦しく

何度も、逃げ出したくなったのですが

各地で出会う人たちに、励まされ、応援をしてもらい、何とか諦めずにペダルを漕ぎ続けることが出来ました。

※これは各地で出会った方々にもらった応援メッセージです。宝物!!

人が人を応援する力って本当に不思議なパワーがあると思います。

このパワーを今度は僕が誰かに還元したい。
そんな想いが、後ほどお話するフラッシュモブ団体立ち上げに繋がっていきます。

■バックパッカー 〜大学編〜

自転車日本一周の旅で一人旅の面白さに気づいた僕は
日本を飛び出します。

東南アジアとヨーロッパをそれぞれぐるりと1周する旅に出ました。

海外1人旅を経験して良かったことは

良い意味でも悪い意味でも怖いもの知らずになったこと

きっと誰でも出来るようなことだと思うんですけど、僕にとって海外1人旅は結構なチャレンジで怖さもありました。

今となっては良い思い出ですが、ドイツフランクフルトのゲストハウスでは、国籍不明の中東系の外国人2人組の男性と同部屋になりました。仲良くなろうと軽い挨拶をした所
いきなり『NO!!!!』と大きな声で怒鳴られ、一晩中襲われないか不安で眠れなかった夜もありました。

また、イタリアのベネチア滞在中にパリでのテロが起き、事件が解決しないまま、ベルギーに向かうと、テロリストがベルギーに潜伏している可能性があるというニュースが流れ、地下鉄が全面封鎖になり、身動きが取れなくなる、みたいなこともありました。

他にも色んなハプニングがありましたが、異国の地で、一人で乗り越えられた経験は僕にとって大きな自信になりました。

各地で出会った、日本人の友人達とは今でも定期的に飲みに行く仲です。

■ヒッチハイク 〜大学編〜

ここまで来ると、旅のジャンルを全部制覇したいと思い
ヒッチハイクにも挑戦をしました。

ヒッチハイクは合計2回経験しました。
1回目は友人と2人で、2回目は1人で

【ヒッチハイク経路】
1回目 東京〜大阪間往復
2回目 東京〜対馬間往復(対馬は長崎県の島です)

合計20台ほど、乗せて頂き、ヒッチハイクを楽しむことが出来ました。
心優しい方々に助けられ、本当に感謝しています。

車内では基本的にこれまでの旅話をさせて頂き、嬉しいことに『乗せて良かったよ!!楽しかった!!』と言って頂くことが多く、経験することの大切さを実感しました。

■フラッシュモブ団体立ち上げ 〜大学編〜

大学3年の11月。まわりは就職活動真っ只中という、なんとも謎なタイミングに学生団体を立ち上げました。

そう、フラッシュモブ団体です。

自転車日本一周の旅、海外バックパッカー、ヒッチハイク

旅路の中で、多くのトラブルに遭遇し、何度も心が折れそうになりましたが、僕を助け、力になってくれたのは、各地で出会ったたくさんの『人』でした。

僕が好きで一人旅をやっているだけなのに、初めて出会った僕に対して、優しく声をかけてくれたり、応援をしてくれたり、時にはカンパを頂いたり

たくさんの人の優しさと応援で、前に進み続けることが出来ました。

僕がこれまで多くの人にもらった『恩』を返したい。

でも、旅で出会った人に直接返すのは難しい。

だったら、もらった『恩』を返すのではなくて、また誰かに繋げば良いのではないか。

そんな思いが芽生え『恩送り』をテーマにフラッシュモブ団体の創設を決めました。

キャッチコピーは『僕らのエナジーを、誰かのハッピーに』
理念を『誰かの幸せのお手伝い』とし団体を立ち上げました。

多くの仲間に恵まれ、団体立ち上げから約半年でメンバーは150名を越え、在籍していた大学のサークルの中でもトップクラスの規模の団体に成長しました。

あれから約6年たった今でも、団体は約200名ほどの規模で活動を続けてくれています。

■メガバンク就職 〜社会人編〜

新卒で就職したのはメガバンク

就活の軸は以下3つ

・経営に携われること
・あらゆる業界に携われること
・モノではなく、コトを提案出来ること

主に、金融、商社、コンサル、リクルートグループを見ていました。

説明会含め、訪問した会社の合計は137社。
面接でいつもこの数を驚かれてました。笑

大学3年時代にインターンシップに参加し、面白みを感じた銀行をファーストキャリアに決めました。
他の会社は中途で入れるかな〜とかも思ってました。

配属は、千葉の八千代緑ヶ丘という田舎支店。

出来たばかりの小さな支店でゆるーく銀行員生活をスタートしました。

銀行員の新人のノルマと言えばクレジットカードの獲得。

試行錯誤を繰り返し、クレジットカード獲得数は首都圏でトップの成績を納めることが出来ました。

そして、入行後9ヶ月で錦糸町の法人営業拠点に異動。

下町の中小企業100社ほどを担当し、融資をメインに営業活動を経験しました。

毎日社長と話している中で、社長達が口を揃えて言っていたのが

『金はいらないから、人をくれ』

という言葉。

良い技術力やサービスを持っていても、その運用を担う、人がいなければ
お金の使いどころがないのです。

もちろん、銀行員の僕には、その要求に応えることは出来ない。

今の時代、お金の価値はたかが知れている、ヒトこそ価値なんだ。

日々、それを痛感し、営業活動を続けていました。

そしてある日、担当していた社長から電話が

『会社を畳むことにした』

業績は悪くないけど、従業員がやめてしまって、新しく入ってくる社員もいないし、会社を畳むことにしたんだよ。
自分の無力さを痛感しました。良い会社だったし、よくしてくれた社長だったので、悔しくてたまりませんでした。

そこで転職を決意。ヒトがいないから事業をやめざるを得ないなんて、許せない。ヒトで社長や事業を救いたい。

そんな思いで人材紹介会社に転職をしました。

■大手人材会社転職 〜社会人編〜

銀行から転職して約3年が経ちました。

最初の半年間は新規開拓を経験。
1日300架電をするような日もありました。笑

それからベンチャーから中堅企業の採用支援を経験。

今は大手企業担当を任せてもらえるようになりました。

転職をして後悔したことは1秒もないですし、今の仕事に誇りとやりがいを持ち、社会人生活を送れています。

人材紹介の仕事に関してはまた個別で記事を作りたいと思っています。

■将来の夢

僕の将来の夢は具体的には定まっていません。

でも人生のテーマは

『人にきっかけを与え、人の可能性を最大化すること』

今は人材業界でこのテーマにおける成果を最大化出来るよう奮闘していますが、今後は提供出来る価値の総量と幅を徐々に広げていきたいと思っています。

noteやTwitterを始めたのもその一環です。

多くの人に、きっかけを与え、その人の価値や可能性を最大化出来るような情報を発信出来るような存在を目指し、頑張っていきたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします!!


この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?