「小説感想」 #塚森裕太がログアウトしたら

私がなんとなく手に取ったこの本を読もうと思った理由は、物語のプロローグ部分での比喩が非常にわかりやすく、心に刺さったからです。この物語は塚森裕太という人物の述懐から始まります。同性愛者である塚森裕太は、周囲が受け入れてくれるだろうことを半ば確信しつつ高校三年生まで自身の価値観をだれにも明かすことなく過ごしていました。彼はそれを、ガスマスクを着けているとか、宇宙ステーションにたどり着くも宇宙服を脱げない状態とか、塚森裕太というアカウントにログインしていると表現していました。ここまでの文が私の感性と非常にマッチしていて、そこまで読んだ時点でこの小説を読み切ることを決めました。

 この小説には複数の主人公がおり題名の通り塚森裕太がログアウト、つまり自身がゲイであることを明かすこと、をしてからのそれぞれの人物を描いています。これがそれぞれ非常にリアルというか、最近まで高校生だった私にはとても想像しやすく、多様な人の感情に没入することができます。また、それぞれの視点になる人物同士にはそこまで深いつながりがなく、小説の主人公になるような人物もその葛藤も、はたからは何もわからずモブと変わらないものに思えるはかなさも味わえます。非常に身近で等身大な人物像が一つの流れに沿った一冊の本でこれだけたくさん見られたのは初めてでした。
 特に私がこの小説で気に入ったのは、塚森裕太がカミングアウトしようか迷っているところからモノローグが始まり、カミングアウトによって揺れる人物を描いてから最後に塚森裕太本人のエピソードで締められることです。一つの感情描写に過ぎないのですが、物語の終盤で塚森裕太がこの世界は自分には毒だと苦しむ姿は、最初の比喩とのつながりも感じさせ伏線を回収したような気持ちよさがありました。

 まとめると、それぞれが本当に引き込まれるような複数の人物が描かれており、しかもほかの始点から見るとそれは何もわからずモブに見えるという、単に心境に没入するだけでなくそのやるせなさというか奥深さが感じられる作品でした。

 鬱病にかかっている私としては、自己否定を乗り越えた最後には共感しきれない部分もありましたが、それでも元気な時に見たかった素晴らしい作品でした。


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