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小説感想 ゴールデンタイムの消費期限

 うつ病にかかり、新しい物語に触れなくなってからかれこれ2年。私がこの小説を読もうと思えたのは、その題名とモノローグが私に刺さったからだ。何とか大学に受かったものの精神的に疲れ果て引きこもりになった私は、小説というものに憑りつかれながらも何も書けないまま小説家の自分を食いつぶしていた主人公の心情に否応もなく引き込まれた。無理に理解しようとしなくても登場人物に入り込めたことで久しぶりに小説が読めたのだろう。

 この作品の中ではかつて天才と呼ばれた子供たちが集められ、閉鎖的空間の中でレミントンと呼ばれる人工知能にそれぞれの分野における正解を教えられる。映画監督、ヴァイオリン、料理、小説、日本画、将棋。それぞれの分野でかつて天才と呼ばれながらも落ちぶれた子供たちは、レミントンという正解に師事することになる。そして、これから先もレミントンと協力しながら活躍することを提案される。この作品ではレミントンという不透明で無機質な人工知能と、また、自身の枯れかけの才能と向き合う若者が描かれている。

 この小説を読んで私が感じたことは、子供に期待を押しつけることの残酷さであった。この小説のメインキャラクターである子供たちは皆、自分がこれまでいた舞台からははじき出されることを非常に恐れていた。それぞれの舞台に執着していた。無理もないことだと思う。物心ついてすぐ、天才だともてはやされ、その分野においては世間から最大級の賛辞を贈られる。また、才能が誰かに認められる条件だと思い込む。彼らの送ってきた幼少期は彼らにその短い人生をかけさせるに十分なものだった。そして、才能が枯れ努力だけではどうにもならない壁にぶつかったとき、無責任な期待や賛辞から生まれたその覚悟は呪いに代わることになる。それまで挫折を乗り越えたことがなく、他に人生の支えになるものも教えられなかった子供たちの葛藤。それがこの小説で私が一番心打たれたものだった。

 この小説に出てきた子供たちには天才はいなかった。そして、たぶん天才なんてものは人間ではありえない。それがあるだけで理想を貫徹できるものを才能と呼ぶのなら、天才はそれこそレミントンのような無機質なものになるのだろう。人を天才と称すとき、そこにあるのは無責任な期待と無理解である。すべての人にあるだろう葛藤と苦しみを、突き放すことなく分かち合える人間になりたいと思った。

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