灯台の最上階に2時間いた理由
昨年3月に三重県志摩市にある大王崎灯台に行ったことを書いた。今の勤めている仕事が内定が決まり4月から働くことが決まった。その記念に旅に出かけることにした。近鉄特急→英虞湾定期船→三重交通バスを乗り継ぎ到着した。次のバスに乗る2時間40分後まで、のんびり灯台がいけると思い潮風を受けながら昼ご飯を食べてから灯台に行った。入場料金を払い、灯台の最上階に登り熊野灘や遠州灘がある南東方向を眺めていた。時なんて気にならなく2時間も眺めていた。この2時間の間、様々のことが思い出し4月からのことを水平線を眺めながら考えていた。
2023年3月までは少しでも仕事で嫌なことがあれば、すぐに辞めてしまい家族に迷惑をかけた。自分的な身勝手な考えが、どれだけ家族や今までに辞めた職場に迷惑かけただろうか?計り知れないと思いながら過去の過ちを反省しながら思い出した。時々、涙を出ながら過去に戻れるならと悔やんだ。そして4月からの新しい職場では過去の身勝手な考えを無くして職場を、すぐに辞めずに頑張っていこうと決意した。これでいいかと思い時計を見ると乗るバスまで20分だったので灯台を後にしてバス停留所に向かった。灯台にいる間は、何か?ゆっくりと時間が流れた感じがあり2時間以上ほど灯台に留まっていたような気がした。
それに自分は、もう50歳だし転職なんて無理があるだろうし既に、やり直しなんて何回も可能じゃないし今の仕事が前に勤めていた大手配送会社に比べたら仕事が、やりやすいので現在は『やりがいのある仕事』と思いながら頑張っている。もう、これ以上は泣き言は許されないと考えた。家族を養うために。
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