見出し画像

初めての寝台急行&最初で最後の碓氷峠 レールウィーク2日目

1997年の9月30日にJR信越本線の軽井沢<>横川が廃止されることが決まった。その翌日に東京<>長野間に新たな新幹線が開通するからである。軽井沢<>横川は碓氷峠と言い66.6‰(パーミル)という日本一の勾配区間であり普通の車両での単独運行では不可能なので専用機関車EF63を重連を連結して横川>軽井沢は編成の後ろに繋げて押し上げていくように走行し軽井沢>横川は車両の先頭に繋げて速度を抑えながら峠を下っていく感じである。

自分は9月17日にの夜に出発することにした22時過ぎのJR奈良線の普通電車で京都に行き、京都0:02発急行きたぐ新潟行きの5号車B寝台に乗った。3段寝台の真ん中で手のひらサイズの窓がありすぐに寝ころんだが全く眠れなく小さい窓から景色を見ていた。寝台に乗ったのが初めてだったので楽しみだったせいか寝られない状態だったが敦賀を過ぎて全長15kmの北陸トンネルに入ったころに寝れた。

富山と糸魚川の間あたりに起きたが窓を見ると夜明け直前の景色だった。5号車の周りを見てみると京都から乗った時より乗客は半減していたので空いている下段に入った。下段は窓が大きく親不知から見た海の景色は絶景だった。

6:25直江津到着し長野方面の普通電車に乗り換えるため降りた。降りたホームの反対側の北陸本線ホームには大阪行き寝台特急トワイライトエクスプレスが停車していた。乗換時間は約30分なので売店でパンとコーヒーを買い朝御飯を食べた。7:00に長野方面の普通電車に乗り約1時間半の電車の旅だった。長野からは特急あさま上野行きに乗り横川へ向かうことにした。途中の軽井沢で先頭にEF63重連を連結するが近くで見れたが多くの人で混んでいた。横川に着いたときは何か?疲れている感じだったが30分後の長野行き特急あさまに乗らないと思い横川駅で駅弁を買い特急あさま車内で食べようと思った。長野行き特急あさまが横川に到着後に最後尾にEF63重連を連結し軽井沢まで押し上げるように出発した。軽井沢到着後は機関車を切り離して長野まで乗った。

長野からは特急しなの大阪行きで一気に京都まで乗換なしで乗った。長野>岐阜>愛知>再び岐阜>滋賀>京都と約4時間50分と今までの特急の長時間だった。途中の大垣>関ヶ原は貨物&特急専用の新垂井路線に乗れたのは感激だった。晩御飯は途中の名古屋で駅弁を買って車内で食べた。京都に到着したのは夜19時前で奈良線に乗り換えて20時ごろに帰宅した。翌日は仕事なので帰宅早々に寝ることにした。

今では思い出深い旅だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?