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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(村上春樹著)を読みました。


先日『街とその不確かな壁』を読みました。

この本のあとがきに、だいぶ昔に読んだことのある『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』についての記述があり、 久しぶりに再読してみることにしました。

高い壁に囲まれた街の話は、共通しているんですね。
読んだのがだいぶ前だったせいか(恐らく20代前半)、全然内容を覚えていませんでしたね…。
『街とその不確かな壁』 を読んだときも「あ、この話って以前読んだような」といった気づきは訪れませんでした。

高い壁に囲まれた話を数十年後にリニューアルして出してくるなんて、村上春樹はよっぽどこのシチュエーションが好きなんでしょうね。

ただ以前から


深い悲しみは涙という形を取ることさえできないんだ


というフレーズだけは心に残っていて、その出典が思い出せなかったのですが、この小説に出てきました。
このフレーズだけしか控えていなかったのですが 、その前の部分から心に残るものがあったので下記に引用します。

涙を流すには私はもう年を取りすぎていたし あまりに多くのことを経験しすぎていた。世界には涙を流すことのできない悲しみというのが存在するのだ。それは誰に向かっても説明することができないし、たとえ説明できたとしても、誰にも理解してもらうことのできない種類のものなのだ。その悲しみは どのような形に変えることもできず、夜の雪のようにただ静かに心に積もっていくだけのものなのだ。もっと若い頃私はそんな悲しみを何とか言葉に変えてみようと試みてきたことがあった。 しかし どれだけ言葉を尽くしてみてもそれを誰かに伝えることはできないし、 自分自身にさえ伝えることはできないと思って、私はそうすることを諦めた。そのようにして私は私の言葉を閉ざし、私の心を閉ざしていった。深い悲しみというのは涙という形を取ることさえできないものなのだ。

物語の最後で主人公が「人生最後の日」を過ごす描写も心を打ちますね。
人生最後の日にコインランドリーに行き、おいしいご飯を食べ、公園でクレジットカードを燃やし、鳩に餌をやる。普段気にもとめていなかった、古びた金物店や道端のカタツムリにも意識が向く。そして自分にいい印象を与えてくれた物や人に対して心の中でそっと祝福を与える。

通常私たちは幸せなことに「人生最後の日」を意識せずに過ごしていますが、今日が人生最後の日だとしたら、この主人公の過ごし方を参考にしたいと思います。

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