真似をオリジナルにする方法
今朝Xで流れてきた投稿にこんなことが書かれていました。
「最近のトレンドは“キャプションなし”です。」
この投稿は非常に面白く興味深いな、と思い記事の題材にさせていただきました。
この投稿を見たとき、素直に「キャプションなしで投稿してみよう」と考えた方は柔軟な思考の持ち主であると言えるでしょう。
しかし、ただキャプションなし“で”投稿をしても、元からキャプションなし“の”投稿を行ってきた人にはなれないと個人的には考えています。
その理由を説明いたします。
まずはじめに1つだけ質問をさせてください。
このキャプションなし「で」とキャプションなし「の」の違いが何かお分かりでしょうか?
国語の授業をよく思い出してください。
正解は「で」は助動詞で「の」は助詞ということです。
助動詞は動詞に繋がって1つの述語を作る働きを持っています。
なので、キャプションなしで“投稿する”となるわけです。
一方、助詞は言葉と言葉を繋げて1つの意味を作る働きを持っています。
故に、“キャプションなしの投稿”といった1つの言葉になり、その後に「〜で〇〇する」のような違った動詞が来ることになります。
この違いから読み解ける両者の違い。それは、前者は「キャプションなし」であることが目的になっていることに対して、後者は「キャプションなし」はあくまで手段であり、別の目的がその先に秘められているということです。
僕はこのトレンドといった話が上がる以前からキャプションなしの投稿をしていました。なぜキャプションをつけなかったかというと、写真を読める人に巡り会いたかった、あるいはできる人が増えてほしいという想いと狙いがあったからです。写真を読む際、「文字」がそこに添えられていると、どうしても文字の意味に写真が引っ張られてしまいます。そういったことを踏まえた上で「文字(キャプション)を載せない」といった手段を選択していました。
このように、“キャプションなし”といった手法は同じでも、僕の投稿にはこういったその先の目的を意識した意味が込められています。
確かに僕以外にもキャプションなしの投稿を行っている人を最近見かけることが多いのでトレンドであることは間違い無いでしょう。
しかし“流行っている”といった考えだけで真似をしても、それは上っ面をなぞっただけの廉価版になってしまいます。
どうしてこの人はキャプションなしの投稿をしているのだろう?
一旦その“真意”について考え、あなたなりの答えを見つけたとき、その手法はあなただけの手札になります。きっとその手札は、今後のあなたのクリエイティブ活動にも大いに貢献してくれることでしょう。