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SDGs礼賛への違和感

 SDGs(持続可能な開発目標)について、様々な取り組みがなされています。先進国になればなるほど、その目標達成が強く求められています。国連が目指す目標という事で、理念としては確かに崇高な目標だと思います。ただ、国際関係全体を見渡すと、その遂行に国々のパワーバランスの駆け引きが見られます。

国連という組織のもつ矛盾

 日本では、国際連合ともっともらしい名前が付けられていますが、実態は、先の大戦での連合国の集団です。実際の問題として、未だに敵国条項が完全には撤回されていません。ロシアでは、北方領土でのロシアの主権の存在に、敵国から本来の領土を奪取したとの論として敵国条項が援用されています。
 ほぼ死文化したとは言われていますが、未だ枢軸国の地位に置かれ、連合国の敵のままの日本が、国際連合と言い換えた連合国で、尽くし続ける姿勢に、ある意味矛盾を感じます。SDGsと同様に国連改革も、先ず先行する課題だと思います。

国際連合を通底する2極

 そもそも国際連合(連合国)は、終戦からベルリンの壁に象徴される1980年代まで、社会主義国と自由で民主的な国に大きく分断されていました。その後は、混沌の時代を経て、ヨーロッパでは自由で民主的な国が増えましたが、他の地域の国の多くは、政党や軍・宗教などの、権威に頼った主義とも言い換えられる、権威主義国家に変化しました。その最たるものが隣国の中華人民共和国です。私たちは自由で民主的な国体を当然と思っていますが、世界でその様な国は実は少数なのです。近年のデータでは、混沌としていた中東やアフリカなどで、更に権威主義的な国家が増加しています。この2分された、少数の自由で民主的な国と、多数の権威主義の国で構成されているのが、現在の国際連合(連合国)の本来の姿です。

SDGsの進捗と国際関係

 日本やヨーロッパなどの国々では、今の時点でのSDGsの達成度は高いですが、その全ての実現には、大きなムーブメントを起こす必要がありそうです。なにせ、最終的には個人の内面に訴える事しかできないのですから。なんか今のパンデミックへの対応にも似ています。
 それに対して、権威主義の国家では、国家の目標として設定すれば、国民は従いざるを得ません。これもパンデミックの対応に似ています。

 恐らく、SDGsの項目の中には、権威主義の国と相性が良いものもあるので、それらの国では成功を収める項目も多いでしょう。権威主義の国の発言力が強くなることで、国際連合(連合国)が変容していく可能性があります。SDGsの活動が膠着する日本やアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国の地位が相対的に低下し、中華人民共和国やロシアが台頭し、SDGsを口実に権威主義的国家の優位性を宣伝する事になるかもしれません。

SDGsと価値観の在り方

 SDGsのその先にある未来でも、今までの様な、自由で民主的な国家の価値を維持できるのか、私たちはSDGsで試されているのではないでしょうか。SDGsを受動的に受け入れるのではなく、能動的に問題の意味まで吟味して活動していく事で、自由で民主的な価値を生かしていく事が出来るのだと思います。

 ネガティブな記事になってしまいましたが、SDGs自体は大切な活動だと思います。その崇高な志が、国家間のパワ―ゲームに利用されない事を祈ります。 



 

 




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