32 千差万別

怒涛の5月を終え、ようやくダラっとEUROを見れる環境になった。
ルーマニア良いチームだ。

6月はかなり厳しい月になっている。
日程的にもそうだが、メンタル的にも不安定。あと身体も不安定である。

夏場の芝生でスライディングをするもんではないな。
現役時代と変わらないくらいの擦り傷野郎になっている。
その前日には30℃近くの中サッカーをして、鼻血を出している。21歳あまりにもキッズすぎる。
この子供心忘れたくねーな。

メンタル面は落ち着いたらまた書きたいと思う。内容くそセンシティブすぎるけど

話は変わるが、
最近やけに𓏸𓏸ハラが流行っている気がする。
と言うか、ハラスメントハラスメントがあるらしい。怖い。Z世代怖い。

それに付随して、挨拶をしない自由を!みたいな主張もでてきている。

彼(等)の主張では常識が変わっていくので、挨拶をしないことも自由だ!気持ちの籠ってない場面での挨拶も多い!とのことらしい。

実際一理はあるだろう。
大学生のすれ違いざまにやる「おつかれっす!」などは確かに不要だろう。

ただ、おはようやお疲れ様ですなどの社交辞令を無くす必要はないと感じる。

挨拶はコミュニケーションの1つであり、会話の足がかりになるものである。ただでさえ、コミュニケーションが取れない輩共が増えてるZ世代(笑)から挨拶も排除すれば、地獄のような社会になることは目に見えてわかる。

また、挨拶をしない自由を振りかざすなら、挨拶をする自由も認められるべきである。

大多数の人は挨拶をし、その挨拶を無視されれば、マイナスな印象を持つだろう
しかし、前記の様な主張するやつはこの部分を執拗に叩いてくるだろう。いや、叩くの表現はずれてるな。漬け込んでくるであろう。
だが、挨拶を普通にする人間からすればその考え方がノーマルであり、否定されるのはおかしな話である。

ダラダラ書いてきたが、つまり挨拶をしなくてもいいけど嫌われても文句言うなって話である。
挨拶がいらないと思うのは自由で、行動するのも自由であるが、その思想や行動をどのように受け取るかも自由である

昨今様々な場面で囁かれる少数派意見や多様性(幅は広いが)の問題点は受けて側に半ば強制的にに受け入れさせようとすることである。

自己主張だけして、他人の主張は聞き入れないそんな奴らが蔓延りだしてる難しい社会になってきている。
そもそも21年しかこの世を知らないが…


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