小谷野監督…ありがとう


2022年11月20日

突如流れたアナウンス。


『小谷野拓夢監督 契約満了のお知らせ』


自分の中では未だにに整理出来ない。


彼はサッカーは常に認められなければ
価値がないからそうなるのは普通であり
仕方無いと言うと思う。


でも、ファンからしたら辛い別れだと思うし
より一歩前に接していた選手も同じ事を思うだろう。選手は彼が率いた3年間の中で様々な事を学び得て、自らの考えを一新した選手も中にはいると思う。



僕は初めて福山シティのサッカーを生で観たのは2020年の11月にあった笠岡での瀬戸内ドリームマッチ。


今福山でコールリーダーで大活躍中の
やなぎくんに『おい!たこ!そろそろ来いよ!』と言われて、岡山行きの寝台バスを予約して向かった。


自分は岡山にも福山にも何も縁もゆかりもないし、福山の土地や地理に関して何も分からない
水野勝成を日本史の教科書で習った位だ。


岡山駅に到着して、何も知らない空気を感じ
黄色いロングシートの電車に乗り向かった。

番線は違うが瀬戸の花嫁を聴いた時は
身体から震えた。自分が本当に行った事がない土地に来ているとさらに感じた。


やなぎくんと合流して試合を観戦
その時に様々な福山のサポーターとも出会い
挨拶したりして仲良くなれた。これが僕と福山シティの始まり。

試合開始と共にパスを後方に出したりして
明らかにフィールドを完全に支配する
そんな展開をするサッカーにゾッとした。


社会人サッカーなのに明らかにレベルが高い
見応えがあるサッカーで監督は檄を飛ばしたり
常に熱くなるサッカーを身体からも導いていた。


僕はそんな彼のサッカーが観たくて
試合が終わった頃にはまた観に行きたいと思うようになっていた。

福山シティの中で印象に残ってる試合は
二試合ある。

1試合目がユアスタでのヴラウヴリッツ秋田戦
2試合目がアイスタでの清水エスパルス戦


その後の天皇杯予選も広島第一球技場に僕は観に行っている。虜になった様にバスで13時間、往復26時間…普通に考えたら馬鹿だよ。でもそれをする価値が僕にはあった。


ユアスタでのヴラウヴリッツ秋田戦は
福山シティが初めてJチームとの試合


夜行バスで6時間かけて僕も現地に行った
ワクワクとドキドキで寝られなかった。

何故なら相手の監督が吉田謙監督だから。

ヴラウヴリッツ秋田の吉田謙監督は
僕が高校生の時にアスルクラロ沼津を応援してた時に観に行っていた時の監督で

アスルクラロ沼津の歴史を語るには重要人物でもあり、僕の思春期の全てがある監督で
とても思入れのある世界で一番好きな監督。

謙さん自体も常に考え常にサッカーの事を考え、謙虚だが誰よりもうちに秘める想いは誰よりも熱い。小谷野監督みたいな監督だから尚更面白かった。

謙さんのチームと敵にはなりたくなかったし
でもそれもサッカーなんだとワクワクしていた

さらにこの時は圧倒的堅守で首位昇格が決まっていた。そんなチームとの試合。


試合は最初は相手に対応出来なくて
開始早々中村亮太選手に決められた。
元アスルの選手だから悔しかった。


それでも左から駆け上がった吉井選手『現カマタマーレ讃岐』が福山シティとして最初のゴールを決めてくれた。同点。。


もしかしたら勝てるんじゃないか?と思わせてくれた。でも現実は甘くなかった。


3-1


小谷野監督の試合後はどのような姿だったのかは正直覚えていないけど、彼のサッカー人生において重要な試合になっていたんだろう。


福山シティは負けないチームだと思ってたけど、本当に相手は強かった、悔しかった。勝ちたかった。選手も悔しそうに挨拶しに来てくれた。相手は沢山のサポーターがいたけどこっちは手で数える程度しかいない。


でも一人一人が色々な想いを持って仙台に来た。だからこそ勝ちたかった。泣いた。沢山泣いた。初めてこんなに悔しいって気持ちを感じた。

幕を片付けてる時に相手のトレーナーに
『絶対川崎に負けないで、僕達の悔しい気持ちも胸に全力で戦って、謙さんに宜しくお願いします!!』って泣きながら叫ぶ様に言った記憶がある。そして書いてる今も僕は泣いている。


相手のトレーナーさんはありがとうね
絶対に勝つからと言ってくれた。


僕はこの時にこの悔しさは絶対に忘れないし
僕がこのチームを支えてやるんだって気持ちで
福山シティを心から応援しようと思ったきっかけとなった試合だと思う。


2試合目は清水エスパルスとの試合

2021シーズンは小学生の頃から好きな
清水エスパルスの試合も観に行くことが多かった。コロナ禍で娯楽が無かったのが大きな原因で友達も出来て行ったら楽しいから足を運んでいた。


そんな時に相手が清水エスパルス。


謙さんの次は清水エスパルス!?!?
次は僕の故郷のサッカーチームと戦いになった


僕が好きな人、チーム、友達が連続して
敵になっていくこの運命と葛藤と苦悩の連続。


この時の清水エスパルスは絶不調で話にならない位弱かったし、どうやったら勝てるの?って位ボロボロだった。

だからこそ勝てるんじゃねえか???
という気持ちを抱いてしまう。そう。本当に


相手のサンバの音色がスタジアムを覆う
僕達広島県リーグは楽器に関する応援が禁止されてたから『恐らく現在は解除』

楽器で応援する方法も分からない
何も分からないまま応援した。

僕はスネアドラムを叩いていたんだけども
『以前某国チームで何度も叩いた経験があるからやってみたかった』


心臓はバクバクで何をどうすれば良いか
本当に分からなくて後半少しバチバチ叩けるくらいだった『本当に申し訳ない。』


相手のスタメン普通にガチガチに固めてきたの未だに忘れていない。

今シーズンリーグ得点王のチアゴサンタナが
スタメンで出てる恐怖。


相手は確かに強かったけども
ヴラウヴリッツ秋田程の劣勢では無かったし
チームも果敢に攻撃出来ていた。

隅田選手が冷静にボールを保持していて
高橋大樹選手が果敢にトライしている。
インスタのトレーニング動画の効果か
チアゴサンタナと競り合えてた時は恐怖を感じた。

延長戦に備えていた時に
原輝綺選手が復帰戦初ゴールで敗北


呆気なかった日本平。 
呆然としていた。

試合後小谷野監督が膝から崩れ落ちて
芝を何度も叩きつけていた。

俺も悔しかった。何でそうも上手くいかないのかなとか考えながら…力が抜けてバスに乗り遅れた。


今年はJクラブ撃破という目標を掲げ
常に果敢にトライして目の前の問題を解決し
去年より明らかにチームが向上していたのに。


サポーターやファンに申し訳ないです
って言葉を何人かの選手が言う。

俺らも選手だし共に戦っていたいから
申し訳なさなんか無いし俺たちだって辛いし悔しいし、この想いをどこにぶつければ良いか分からない。そんな感情だった。


社会人リーグだから常に選手との別れがある
そして新しい選手が加入する。
勿論新しい選手だからそれぞれ特徴があり
それをマネジメントしていくのが監督。


ピータードラッカーはやりがいを生む方法、
責任を持たせる方法でやりがいを持ってもらうためにはこれらが必要であると言っている。

•生産的な仕事である事
•情報のフィードバック
•継続学習の必要性


小谷野監督がピータードラッカーの著書を読み
それをチームに活かしているのかは分からないが、選手各自に目標を持たせてその試合でやるべきタスクを与える。そして試合後にファンメンバー限定で見られる試合のフィードバックを通して現在抱えている問題点を抽出して解決させる。


常に学び常にこなす


彼が持つ組織化、及び小谷野イズムは
PDCAサイクルを常に循環させ、常に目的や目標を仲間と共有し、常に的を射抜き続ける様にブレない組織作りを、言わばスタートアップ企業に近い組織作り形態であったと僕は考えている。

彼のサッカー論を考えれば考えるほど面白い
しとにかく深い。


今まで日本には無い面白いサッカーを
三年間福山シティの為に見せてくれた事。

CSL昇格に導いてくれた事

ヴラウヴリッツ秋田、清水エスパルス、徳島ヴォルティスと戦いチームに希望を持たせてくれた事。

あらゆる難敵に屈せずに指揮官として
ピッチ内外でも沢山の振る舞いをしてくれた事

本当にありがとうございました。


僕はこれからも小谷野監督のサッカーを
日本でも海外でもどこでも良いので観たいし


彼が海外で監督資格を取り、将来はJクラブを率いて優勝させて日本を代表する監督になってほしいし、それを見ていたい。


小谷野監督の基盤を作り上げたのは
北陸大学かもしれないけど

基礎を現場で監督の立場から仕事をしたのは
福山シティが最初なんだと誇りを持って
言いたいから、これからもずっと続けて下さい


お願いします!!!!


小谷野監督3年間ありがとうございました!!


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