ガザ地区の子どもたちを想う

イスラエルとハマスの交戦は、10日の開始から昨日21日で停戦になりましたが、ガザ地区で双方の攻撃が激化して以降、少なくとも215人が亡くなり、うち100人近くは女性や子どもだといいます。家を破壊されたり家族が分断されたりした人達も沢山いると思います。

宗教紛争は、中世ヨーロッパの十字軍遠征から変わらず続いていることを考えると気が遠くなります。

ハマスはイスラエルの生存権を認めていないし、武装闘争の旗も降ろしていないので、米国はハマスをテロ組織に指定しています。
パレスチナの現状を規定することとなった1993年のオスロ合意で、ガザ地区がパレスチナ自治区となって後にイスラエルはガザ地区より撤退し、ガザ地区とイスラエルの境界には異様な壁がめぐらされています。
それから四半世紀以上が経って今なお、両者の隔たりは一向に埋まっていません。

それどころか、トランプ前大統領がイスラエル推しの外交を進めた経過もあると私は思っているのですが、長年のわだかまりがある上イスラエルがジワリと侵略する動きにハマスが反応した事から新しい対立になって出口が見つからず、正に目の前の映像で子どもたちが悲惨な目に遭っていることに愕然としながら、何もできない無力さが何とも悲しいです。
せめて目を逸らさないようにしなくては、別の世界のことにしてはいけないと思いました。

かつてオウム事件後の1998年ごろ私は、哲学者・中村雄二郎と宗教学者・町田宗鳳の「21世紀へのキーワード 宗教」という本をを読み、めからうろこの感覚がありました。
町田氏は「宗教は本来は人間の精神を解放させるものであるはずなのに、逆にそれを窒息させてしまうことが多いのは、聖なるものに神性と魔性の両方が備わっていることを往々にして忘却してしまうからである。」と言っています。

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町田氏は、ある意味で宗教は狂気をはらんでいると言います。宗教の宗とは基づくということですから、信じている教えに基づいて生きることになります。考え方、行動、物事の判断も全てが信じている教え通りなら「正義は我にあり!」になるからです。これはある意味で排他にならざるを得ません。
かと思えば、「私は神の鉛筆の芯に過ぎない」と言って奉仕を続けたマザーテレサのような人も宗教は生み出します。

2001年アメリカの同時多発テロ事件で、明らかに世界の価値観、というかアメリカを中心とした世界が変容しました。
私は2004年頃に、町田氏の「なぜ宗教は平和を妨げるのか-正義 大義の名の下で」を読み、本当に人類は宗教紛争を乗り越えられるのだろうかと暗澹たる気持ちになったことを覚えています。

『なぜ宗教は平和を妨げるのか』(町田 宗鳳):講談社+α新書|講談社BOOK倶楽部

【内容紹介】
アメリカ教・キリスト教とイスラム教、終わりなき戦い!!
宗教・民族・領土・政治・経済の原理が世界を複雑にし、国家間や民族間対立の溝を深くする。歴史をひもとき、正義の仮面の下で宗教を歪める人間のエゴを衝く!

2004年の筆者の記述より〜かねてからテロリストのゲリラ攻撃に悩まされているアメリカは、イスラム原理主義を「正義」に真っ向から対立する「邪悪」と決めつけている。だからこそテロリスト対策組織につけられた最初のコードネームは、「無限の正義」だったのである。後になって、イスラム教徒から批判を受けたため、引っ込めたものの、そこにあったのは「悪」を<対象化>させる構造であったことは明らかである。
しかし、イスラム原理主義をアメリカ自身が持つ世俗的原理主義の「投影」でないと、果たして言いきれるのだろうか。アメリカが中心となった市場原理主義が目覚ましい経済発展を遂げていく一方で、途上国の貧困がどんどん進んでいく。しかもその貧困国の大半がイスラム教圏にある。

●グローバリズムという大宣教命令
●世界貿易センターはカーバ神殿
●米大統領が失言した「十字軍」
●『コーラン』に記されている敵意
●何がイスラエルを怒らせるのか
●パレスチナは原理主義の交差点
●必ずしも平和愛好者でない仏教徒
●原理主義に走りやすいイスラム教
●紛争という家族の不幸
●人類は宗教を乗り越えられるか

そして2021年の今、改めて読み返すと、いまだ悲惨な紛争になっている事態の本質のようなものが私なりに少し見える気がしました。
世界の宗教布教活動はグローバリズムと共にありました。常に宣教し殉教への憧れを説き広めてきた歴史は経済活動と似ています。

宗教紛争の背景にはグローバリズムという名の経済戦争が横たわっているように思います。
グローバル経済には国と国、企業と企業、人と人、それぞれに勝者と敗者が存在します。
移動が自由だから弱い国の国民は強い国に移転していき、勤勉にしかも低廉な賃金で移民先の国民の職場を奪っていく事になります。
一方、企業自体も低廉な賃金労働者を求めて海外に工場を移転していく流れになります。すると国内が空洞化し失業者が増加してしまいます。こうして勝ち組であるはずの国民の賃金も低下してしまい、全体が敗者となってしまう仕組みができてしまいました。
99%の一般庶民と富裕層の経済的格差が生まれる構図になり、その負のエネルギーは分断と紛争を呼ぶことになります。

少し前から、そんな状況に疑問を感じ始めた敏感な人達は、人類と地球が持続していくために構造的で画期的な変革へのヴィジョンとしてローカリゼーションを実践し始めました。

そしてコロナは、まるで私達を示唆するかのように、むしろ笑うかのように移動を不自由にさせました。
グローバリズムからローカリゼーションへの考え方の転換は、むしろ必然になったわけです。

それは経済のためというより、自分の暮らしのそばに経済を持ってくることだと皆が気づき始めています。それだけで様々な恩恵があることは、すでに世界中でムーブメントになっているリノベーションによる地域創生プロジェクトや自然農の循環型農業、それにローカルフード・スローフード運動などが人気であることが示しています。オンラインで繋がることで可能性が広がることにも今まで以上に気がつきました。
ローカリゼーションは自分だけでなく、さまざまな立場の多くの人にとっても有益な、“ウィン・ウィン”の関係であり、様々な問題解決法を秘めています。
そこから派生して気候変動、地域創生、新規産業、貧困、薬物依存、生物種の絶滅といった問題にまで及びますが、だからこそ時間はかかります。でもローカルには関わる人の生活哲学があり、分断を生まない関係だからこそ持続可能なのだと思います。

今イスラエルやパレスチナで傷つき苦しんでいる人に対して本当に無力で情けないです。
でも、かたつむりのように遅くても、あの子どもたちが大きくなる時も地球が元気でいるように、少しでも貧困がなくなるように、ローカルの足元で1人1人が小さな積み重ねをしていくしか、もう他に為す術がないのだと思いました。今まで分断を克服できなかった歴史に比べれば、もしかしたら遠回りに見えて近道かもしれません。
それが新しいグローバルとして、せめて繋がっていってほしいと切に想います。

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