最寄りの駅のプラットホームに鏡がある。エスカレーターを降りて、ちょうど、各駅の2号車と3号車の停車位置の真ん中らへん。少し歪んでいて、慎重154cmの顔の高さに壁に貼り付けてある。屋外にある分の汚れがついているので、肌がちょうどいい具合に綺麗にうつる。この鏡はいつのまにかあって、確か、高校生の頃には、顔を写すのに使っていた。髪が崩れてないかしら、惚けた顔をしてないかしら。自意識高め系の私はプラットホームに降りるたびに、この鏡を覗き込む。各駅の2号者と3号車の真ん中らへん、歩行のリズムが鏡の場所を覚えている。毎朝毎晩、鏡かかなんか覗きやがって。キモいヤツだなんていわないで。猫も杓子も、この鏡に囚われるものは私の他にもいらっしゃって、ほら、老若男女結構色々な方がちらりと壁を一暼している。

鏡は、私たちの目に見えないリズムとなって、生活に入り込んでいるのだ。

さて、この鏡はいったい何十万の顔をちらりとうつしてきたのだろうか。街も駅も、変わることを免れることはできないが、せめてこういった鏡だけは残ってくれれば、なんとかやっていけるんじゃないかと

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