居住支援という名の社会貢献に出会えるまで
本記事は2016年1月16日、Livedoor Blogに書いた記事のリライトです。
記事のテーマは、不動産の仕事をしている理由。
記事は少し長いですが、ぜひ最後までお付き合いいただけたら嬉しく思います。
経済的な自立がしたかった
ボクが不動産業界に入ったのは平成5年。
ミニミニという賃貸仲介の営業マンとして働きはじめたのが始まりです。
特に不動産業界を目指したのではなく、自立するためにどうすればいいのかを模索した結果。
たまたま採用してくれたから。
応募した会社はどこもかしこも不採用になるなか、結果的に不動産業に行き着いたというのが本当のところです。
ボクは高校一年生のときに右足を切断しました。
悪性腫瘍(骨肉腫)という骨のガンができたため。
普段は義足をつけて生活しています。
長い闘病生活のなか、抗がん剤治療と義足による歩行トレーニングを受けながら社会参加を目指し、退院後は大学進学を考えていました。
しかし、入院の長期化や母親が看病に多くの時間を割いたせいか、両親の経済状況があまり良くないことを悟り、経済的な自立を目指しました。
パチンコ屋の店長に叱られた
問題は就職先が見つからないことでした。
もうこれは本当に大きな壁。
どれだけ悔しい思いをしたことか(笑)
なぜなら当時のボクは社会人経験がありませんし、杖をついた足の不自由な障害者。
加えて定期的な通院も必要。
定期的に会社を休むことが前提だから、そんな生産性の低そうな若者を好んで雇う会社などあるハズがありませんよね。
就職情報誌を片手に給料の良さそうな会社へ片っ端から電話をしましたがことごとく撃沈。
いくらやる気をアピールしても障害のことを説明すると話はそこで終了してしまう。
面接すら至らないのです。
ある日、岐阜駅前のとあるパチンコ屋さんに電話したことがありました。
面接をお願いします!!!と。
すると店長と思しき方が電話口に出て。
とても不機嫌そうな口調で応えてくれました。
「はあ??義足?杖をついてる?」
「おまえさぁ、そんな身体で仕事できるわけないだろ」
「だいたいパチンコ屋がどんな仕事かわかってるのか?」
と電話で怒鳴られて笑
実はパチンコ屋がどんな仕事か知らなかったんです。
でも、求人誌には高そうなお給料が書いてあったから電話してみました。
仕方ないとはいえ、あの厳しい言葉は心にグサッと心に刺さったまま。
でも今ではいい思い出です。
国家資格を受ける
最終的には機械設計図面を書くアルバイトに就いた。
しかしアルバイトの給料では自立にはほど遠いわけです。
バブル崩壊のあおりもあり、勤務先が倒産して。
不安定な身分に嫌気がさしたのでした。
身分の安定した正社員として就職するにはどうすればいいのか?
考えたあげく、資格を取ることにしました。
理由は単純。
資格があれば少しは就職に有利だろうと考えたからです。
資格を取るなら国家資格をと思い、宅地建物取引士に決めました。
しかし!
もともと勉強は苦手。
それに働きながらの勉強は大変で、しかも不動産の不の字も知らないから勉強はかなり苦労しました。
猛勉強の末に、運良く合格できたのち、正社員を目指して就職活動を開始しました。
不動産業に的を絞って応募したのですが…
現実は甘くなかったです。
不採用の連続でした(苦笑)
そもそも不動産業界での経験はゼロですから資格試験に受かっただけでは即戦力には見てもらえない。
そして不採用の本当の理由は僕の足の障害でした。
落ち込みましたよ。そりゃね。
あきらめかけたその先に
そして「これがダメならあきらめよう」と最後の面接先だった賃貸仲介の店舗に店長を訪ねたら、そこにたまたま社長さんが居て、これまでの経緯と事情を説明したところ、アッサリ採用を決めてくれました。
ミニミニ各務原店。
両親はとても喜んでくれたことをよく覚えていますが、こんな感じで不動産業のキャリアが始まったのでした。
ボクは障害が原因で就職先を選ぶことはできませんでした。
でも、結果的には良かったと思ってます。
そんな私を受け入れてくれたこの業界のおかげで今の僕があるのですから。
運が良かったのです。
病気や障がいがある人、高齢者、シングルマザーなどの住まいの支援ができるから。
居住支援という名の社会貢献に出会えたから。
いろいろあったけど、いま僕は幸せです。
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