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経営者は、資本主義に取り憑かれている。

こんにちは。株式会社var代表、ふるさとです。(@furusatojuku

先日、友人等と飲みに行っている時に考えさせられることが多かったので、自分なりに解釈しようと記事を書いています。自己分析しながら書いていくことにします。この記事は、自分とは異なる意見を論破したい訳ではなく、「自分にない意見をどう自分に組み込んでいくか?」という観点に則ります。

自分のために書いてるので、うまく伝わらないかもしれません。

それでは、早速いきましょう。まずはこちら。

「成長しても、また成長したいと思う。このサイクルには限りがない。だからこそ、等身大の目標や幸せを求めるべきだ。際限ない欲求は、不幸である」

呂律の回らない友達より

この指摘は、すごく納得できるものでした。上には上がいることはわかっていますし、キリがないということも理解できます。

しかし、僕はきっと重度の負けず嫌いなのだと思います。自分よりもすごい人がいたら、「勝負したい・勝ちたい」と思ってしまいます。勝ったところで何も得られないのだとしても、勝ちたいという気持ちが先行してしまいます。経営者にとっての勝負とは、「知名度や売上」となる訳ですから、そういう意味で、僕は資本主義に取り憑かれています。

また、僕の幸せの感じ方は、微分型なのです。日々の生活や日常に幸せを感じる積分型ではなく、昇進や資格合格などをはじめとする自己成長率(傾き)に対して幸せを感じるタイプなのです。どちらが優れているとかではなく、人間のタイプだと理解しています。

今思い返してみると、僕のキャリアは、フリーのエンジニアなのですが、初めて月報酬が10万を超えた時、すごく嬉しかった一方で、次の瞬間には、その喜びを忘れ、月報酬が50万欲しいと思っていましたし、それを達成したら100万欲しいと思っていました。

車も時計もブランド品も持っていない僕からしたら、稼いだところで使うものはそんなにありません。せいぜい、ちょっといい家に住めるとか、気にせずラーメン屋でトッピングができるようになるくらいです。別に、そんなに嬉しくありません。

「僕は、目標に向かう道中結果が出る"瞬間"に対して幸せを感じる人であり、目標達成後の状態には全く興味がない。」のだなと改めて感じました。

みんなで何か目標を定めて、そこに向かって走り切る。そして、その目標の成否を喜び、また次の目標を定める。これが僕のやりたいことです。

どこまで行っても満たされないという無限ループに入っている自覚もありますが、「それが楽しいのだ。」と改めて思いました。人にはタイプがあるのだなと。

また、僕にとっての「等身大の幸せ」とは、「自分より一歩先にあるもの」であり、一歩先に行けば、また次の一歩先が見えるようになるというものだと理解しました。

具体例で言うと、サッカー少年の自分がいた時に、県大会で優勝したいという目標があり、優勝したら次は、全国大会で優勝したい、次は、W杯、次は、、、、という風に志が向くのだと思います。

注目すべきは、「最初からW杯を目指している訳ではない」ということです。人に説明する際は、「W杯目指してます」という風にいうのがシンプルでわかりやすいと思うのですが、厳密には今そこを目指している訳ではないのです。なぜなら、以下の指摘に対して僕は何も言い返せません。

本気で上を目指したいなら、全てを捨てて挑む必要がある。今この瞬間も、飲みに来ている場合ではない。もし来ているならば、本気で上を目指すということと矛盾する。

ビールを飲みながら話す友人

これについては、言語化している中で出てきました。僕が目指すのは一歩上であり、頂上ではないとうことです。(結果的に、行き着く先は頂上なのかもしれませんが、上に登ること自体に喜びを感じます)

そういう意味で僕は、本田圭介や、どこぞやのベンチャー起業家のように、最初からテッペンを目指してひた走るタイプではないのだと改めて自己分析しました。

「等身大の幸せ」とは、自分で思ってたよりも意外と近いところにあるなと実感しました。

ただ、人によっては、「これくらいでいいや」と思うところがあるのかもしれませんが、「僕にはない」です。これが良いことなのか、悪いことなのかはわかりまんせが、現状、良いことだと解釈しておきます。

次に、こちらです。

「お前(ふるさと)は、売上や利益率に取り憑かれている。人としての幸せは、もっと別のところにある」

酔いの回った友達より

この言葉は、すごく刺さるものですし、僕自身もわかっているつもりです。確かに、僕も「特に、経営者は人としての何かを失ってる人が多い。変に迷走してりいる人も一定数いる。」と思っていました。だからこそ、この指摘はすごく心にきました。

しかし、経営者の仕事は、スタッフ全員の生活を保障することだと考えています。

「お金がなくても幸せだ」という言葉は、綺麗事です。売上を上げなければ、生活ができない。会社が安定しなければ、スタッフに高い給与も払えない。だから、売上にこだわる姿勢は、間違ってないと自負しています。

しかし、スタッフの理想を無下にしてまで、売上にこだわる姿勢(例えば、すごく稼げるけど超つまらない仕事をする)は、本末転倒だとも理解しています。

要するに、「実利」と「理想」のバランスの塩梅を取る必要があるのです。実利とは、売上高のような数字で、理想とは、人生という広い目線での理想のあり方・生き方です。

そして、「理想」を言語化することは、抽象的で難しい一方で、「実利」はシンプルに数字に表れます。つまり、「実利」の方がよりストレートに伝わってしまう手前、「数字に取り憑かれている人」として周りからは見えるのでしょう。そして、僕自身も気づくと「実利」ばかりに目が行きがちなのかと思います。(日々、色々なKPIを追っているのですから、当然と言えば当然)

かと言って、数字だけが全てではないと思っている自分もいます。

そこで、「理想」というものを的確に人に伝えられるような決まり文句を持っておく必要があると感じました。

先ほども言いましたが、僕は「僕は、目標に向かう道中結果が出る"瞬間"に対して幸せを感じる人」です。

そういう意味では、先ほどの指摘については、「僕は、目標に向かう道中と結果が出る瞬間に対して幸せを感じる人。その上で、結果とは数字に現れる。だからこそ、売上にはこだわるのだ。」と解釈することにしました。

とはいえ、「理想」と「実利」の塩梅を考える時、資本主義に囚われている僕は、「実利」にばかり目が向いていしまいます。だからこそ、時には社会主義的な目線で「理想」に目を向ける必要もあるのだなと感じました。

まとめ

僕をはじめとして、多くの人々は、目標という何かに取り憑かれています。目標とは、突き詰めていくと知名度や報酬という形で結果を成しますから、結果的に「資本主義に取り憑かれている」のです。

時に、取り憑かれすぎて「理想」を見失う瞬間があるのだと思います。とはいえ、「実利」を考えることもすごく大切です。

ということで、なんともない飲み会でしたが、すごく考える機会になりました。色々と言語化できたのでスッキリしました!終わり!


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