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「あいまいさへの忍耐力が高い=幸福度が高い説」について

 先日ホンマでっかTVの放送で話題になった「あいまいさへの忍耐力が高い人=幸福度が高い人」という説についてちょっとだけ触れたいと思います。

1.あいまいさへの忍耐力とは
「完璧ではないけど、今日はこれくらいでいいか。」と妥協することに対して、どれだけストレスを感じずにいられるかを”曖昧さへの忍耐力”なのだと私は思っています。

例えば『テストで100点取りたかったが、80点だった。』という事象で考えると

〇 → 平均点よりも高いし、これくらいでちょうどいいだろう。自分はよく頑張った方だ。
× → 自分はどうしてこんなに頭が悪いのだろう。死ぬ気で勉強して、次回のテストでは満点を取らくては。

ただし、高みを目指すことにストレスを感じない人は妥協する必要はないので、死ぬ気で頑張ってください()。

このままだと文字数が足りないんでちょっとだけ自分語りさせていただくんですけど。
私は今英語の勉強をしています。仕事でも使うし、プライベートでも役に立つであろうから。
中学英語からやり直さないといけないレベルの英語馬鹿なので、本来なら必死こいてガツガツやらないとダメなタイプの人だと思われますよね、しかし
私はというと呑気に一日10単語とか、15分リスニングとか、そんな感じの低いハードルを設定してやってます。
「最低、1日1時間はやらないと意味がない!」とか「こんなんじゃいつまでたっても英語が習得できない!」みたいなな焦りやストレスは一切ありません。
これも曖昧さへの忍耐力が高いと言えると思います。
一日10単語ならその行為自体にもストレスが無いから、完全完璧なストレスフリーでもあります。

とか言ってますけど、noteを始めたとき、何文字以上書かなきゃ…とか、綺麗で一切無駄のない文章にしなきゃ…とか考えてました。
けど、そんな私にnote公式さんはこう言いました。↓

名文や超大作を仕上げようとして、手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に世に出しましょう。
短い文章、下手な文章、ラクガキ、そういったものを恐れて手をとめる必要は何もありません。楽しんで発表し続けてさえいれば、そのうちなんとかなるのです。
表現力もファンも、あとから十分ついてきます。
最優先されるのは「作ることを楽しみ続けること」と「ずっと発表し続けること」です。

おかげで、下手くそな文章をnoteに書いたり、下手くそな絵をtwitterにアップしたりすることに抵抗がなくなりました。今後更に、いろんなことをやって発信していきたいなと思ってたりします。

要するにテキトーに生きればいいだけなんです。
皆さんももっと妥協して生きてみては?^o^

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