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ピアノ協奏曲第5番ヘ長調(サン=サーンス)

ようこそ、CLASSIC BAR VERSTECKへ。


さて、"本日のオススメ"は、サン=サーンス作曲の『ピアノ協奏曲第5番ヘ長調』です。(数字は2-261・名曲解説全集第2巻-P261)


カミーユ・サン=サーンス先生。1835年-1921年(86歳)の、フランスの作曲家ですね。

なんと!!!

サン=サーンス先生、初登場らしいです。
先生、大変お待たせ致しました。。

キュイ先生、エドゥアルト・シュトラウス先生と同じ年の生まれ、翌年にはドリーブ先生が生まれ、2年前にはブラームス先生が生まれていた、そんな時期ですね。


生まれて間もなくお父さんが亡くなり、母と叔母の下で育ちました。幼い頃から音楽の才そ示し、11歳でピアニストとしてデビューを果たします。

13歳で、パリ音楽院へ入学し、作曲とオルガンを学びます。

22歳には名誉あるマドレーヌ教会のオルガニストに就任し、20年間その地位にいました。

26歳ころには、教授職にも就き、フォーレ先生とはこの時知合います。

36歳ころには、フォーレ先生らとともに「国民音楽協会」を設立し、フランス音楽を広めるために尽力しました。

そんな先生、前半戦はシューマン先生やショパン先生、ブラームス先生などのロマン派の色濃い時期で、終盤はシェーンベルク先生やアイヴズ先生が活躍し、十二音技法が始まっている時代まで生きており、「長生きし過ぎた人」と揶揄もされたようです。

サン=サーンス先生は、大バッハ先生、ハイドン先生、モーツァルト先生、ベートーヴェン先生などで基礎をしっかり学んだタイプの方で、現代音楽へと変貌していく音楽界は少しイヤだったそうです。

さらに、生まれた子の死、妻との疎遠、母の死などの辛い事が重なり、そしてそもそも旅行が好きだったようで、46歳頃にはパリを出て、北アフリカへと渡ったそうで、最後はアルジェリアを生涯を閉じました。

この間も、受章・受勲などもがあり、作曲も続けられていました。有名な交響曲第3番は、先生が51歳ころの作品。先生、亡くなった年まで作曲は続けていました。


そして本日の曲『ピアノ協奏曲第5番ヘ長調』は先生が61歳ころの作品です。

11歳でパリの楽壇にデビューした先生の、50周年記念音楽会が催され、そこで演奏されるために作られました。

この曲は、解説によっては<エジプト風>の異名をつけています。これは2楽章の冒頭でピアノにより奏でられるエジプトを想起させる音階に端を発します。繰り返してくれるのでわかりやすいです。


曲は、とても良いです。

先生は、23歳ころの第1番から、およそ40年近くかけて5曲のピアノ協奏曲を書いていますが、雰囲気がダイブ変わっていきます。諸先輩方を参考に作っていた前半と比べると、フランスらしいというか、先生らしいというかが、第3番くらいから自由になり始め、第5番は完全に解放された感じです。

ぜひ。


本日の音源は、コチラからどうぞ。

本日もご来店いただきまして誠にありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。

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