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あなたは今、何を思うのだろうか


「ぐっと手を握るんです。そうすると、じわじわーっと掌から湧き出てくる。それをそーっと取り去って、そのあとにもう一度、手を握りしめます。爪が食い込む音。それを、海辺で波がさざなうように耳元で聞く。じーっと聞く。そうすると何かが見えてきます。その見えてきたものは、遠い幻の島のようで、あるいはどこか遠い遠い国のようで、はたまた宇宙の果ての名前も知らない惑星のようでもある。それが見え始めたとき、パンっと弾けるような音がします……」


目が覚めると、いつもよりも頭がすっきりとしていて昨日の仕事の疲れがとれたことを実感する。起きたばかりのぼくの目の前を一匹の猫が通り過ぎる。それはとても俊敏だが、猫ではない何か。つまり例えば、いささかイタチが過ぎ去った時の錯覚のようにも見えた。寝ぼけているぼくはいつの間にか、猫か否かの真実を考えるわけではなく、過ぎ去ったそれの残像ばかりを頭の中でずっと永遠というほどに反復させていた。過ぎ去ったばかりの本物を追いかけることを忘れ、そのたしなんだかつての余韻ばかりを追いかける日々。古い映画のテープの錆のような埃のようなもの。あなた方いずれかの過去に、そんな映像の名残りが蔓延るスペースを持っている人はいるのだろうか。


覚醒してから時間が経ち、目の焦点が定まってきたぼくは、玄関から家を飛び出す。ぼくが飛び出した家はもろく崩れ去りそうな、どこか歪んだような表情をしている。しかし、それが喜びを告げる表情なのか、今にも怒りそうな表情なのかは、今のぼくには読み取れない。それどころか、ぼくはそんなのお構いなしに前へ走り出す。何かがぼくを襲ってきそうで、その漠然とした不安自身が錯覚なのか、本当なのかもわからなくて、それさえも怖くて仕方がないのだ。前へ進んでいるときは考えるのを辞めているので不安が無い。そんなぼくは、ぼくが走るのを辞めてゴールした地点を見たときに、またもや不安を覚え始めるのだろうか。


今しがた、ぼくは思う。自分の信じ、進んだ過去の道標を誇りに思うしかない、のだと。


かつてのぼくの英雄は、寂しげに、でもどこか誇らしげにぼくから目を反らして告げる。「お前の感は当たらない。」と。でも否定的なそれは、紛れもなくこの世の真実であり、ぼくは思わず涙を垂れ流した。ぼくは思う。


「悔しいんですよ。あなたを肯定できないのが。あなたとともにこの世界でこの世界を見ていることができないのが。」


でも、見ていてください。あなたを偏愛するぼくの夢は幻ではなかったと、かつてのぼくはこの世界にはあなたのような人がたくさんいるはずだと勘違いしていた。ぼくの頭の中で、かつてのあなたの占める面積がどんどん減っていくとともに、ぼくはまた徐々に涙する。


どうしようななさとは、このことを言うのだろうか。