『少年時代の面白い日々たち』
こんにちは、タキと申します。小学生の時に起きた面白かった出来事を思い出しながら書いてみました。是非、読んで頂けるとありがたいです。まだまだ思い出す出来事があるのでどんどん書いていきたいと思っています。
「転機??Aとの出会い」
小学4年生の時である。忘れもしない出来事が多目的教室で起きた。理科の授業でペットボトルロケットを作って飛ばす授業中のことである。
同じクラスにAという男がいた。Aは図体がデカく運動神経発群で、クラスの、いや学年の番長的な存在だった。
僕はペットボトルロケットを飛ばすためにお行儀良く順番待ちをしていた。
突然「お前どけや!」と言う声が聞こえた。
「えっ?!」と僕が言ったのと同時にAのデカい足が飛んできた。
僕は蹴り飛ばされて遠くに吹っ飛んだ。
僕はその頃、背の順が前から2番目ぐらいだった。
そして、Aは僕の方を一切見ずにペットボトルロケットを楽しそうに飛ばした。
僕は圧倒的な力の差と理不尽さに泣いた。
しかし、話はここで終わりではない。
僕はAに泣きながら飛びついた。泣きながらAの腰に食らいつき、意地でも離そうとしなかった。力で振り飛ばされても食らいついた。何度も何度も。
Aが「さっきからうっとうしいな!!何やねんお前!しつこいねん!!」と声を荒げた。
結果、先生が止めに入って、僕は引き剥がされた。僕は泣きながら授業を抜けて1人で教室に帰った。
それがAとの出会いである。
「Aに訪れた奇跡の悲劇」
小学6年の夏である。Aと僕はチャリに乗って僕の家に向かっていた。空は雲ひとつない晴れだった。2人でダラダラとチャリに乗って、空を見上げながら話していた。
僕「雲、1個もないやん」
A 「ほんまやな」
僕「空をこんなに見上げるの久しぶりや」
A 「いや、マジでいい天気やな」
僕「良い天気や、今日何する?」
A 「オエッ、オエエッ、ヴェげろ、ヴェ、ヴェろごっ、、」
何気ない会話をぶち壊すように、突然、Aが呻き始めた。
僕は驚き、焦りながら「A!どうしたん?!」と聞いた。
Aはたどたどしく「鳥、フン、口、入った」と、どうにか口にした。
つまり、空を見上げながら話していたAの口に、たまたま降ってきた鳥のフンが入ったのである。
僕は大笑いした。
Aは喋ることもできず、悶え苦しんでいる。
僕はこの近くの公園に手洗い場があるのを知っていたから、急いでそこにAを連れて行った。公園についたAは、勢いよく蛇口に向かい、口を一生懸命に洗っていた。さっきまでの穏やかでのんびりとした時間が嘘だったように、Aは何度もうがいをしている。それを見て僕はずっと笑っていた。
Aはどうにか鳥フンを洗い取った。鳥フンが口に入った時の感想をAに聞くと、いきなり口が臭くなって、まず頭が真っ白になったらしく、鳥フンと理解してから、飲み込まないように口の中でキープするのがマジでキツくて、マジで臭いと言っていた。
一体何を言ってんだ!!である。
その後、Aは給食などを食べた後、「不味!これマジうんこの味するやん」とよく言うようになる。すると、周りが「お前、うんこの味知らんやん!」と突っ込みを入れる。それに対して、Aは「いやオレ、うんこの味知ってるから!!」となぜか自信満々に言い返すのである。みんなの頭に?が浮かぶと、すかさず僕が、「あのな、Aはほんまにうんこの味知ってんねん....」と喋り出し、鳥フンが口に入った話をみんなにするのである。聞き終えたみんなは、笑いながらAの主張を認めるのである。
「ドッジボール最強のイシノ君」
小学生の頃、休み時間によくドッジボールをした。
ドッジボールはボールが顔に当たってもセーフである。
僕たちはそれを顔面セーフと呼んでいた。
その顔面セーフを利用した最強のドッジ少年がいた。
イシノ君である。
イシノ君は丸坊主でとにかく石頭だった。
石頭のイシノ君は、相手が投げてくる全てのボールをキャッチせずにヘディングするのである。
ヘディングしたボールは宙高く上がる。
そして、緩やかに落ちてくるボールをイシノ君は簡単そうにキャッチして、「顔面セーフな〜!!」とお決まりのセリフを言ってボールを投げてくる。
強キャラ過ぎる。勝ち目がない。
結局、イシノ君の石頭作戦が強過ぎて、流石にそれは楽しくなくない?みたいな情に訴える系の説得で、イシノ君の石頭戦法は禁止になった。
「Aがうんこしか言わない時期」
僕は、小学校の番長的な存在のAと小学4年生の頃に仲良くなる。そんなAは中学生の時に「うんこ」しか言わない時期があった。
兎にも角にも、Aに何を聞いても、「うんこ」しか言わないのだ。僕とAが共通の友達のミドリを駐輪場で待っている時の会話だ。
僕「昨日何食った?」
A 「うんこ」
僕「今日何する?」
A「うんこ」
僕「Aの家、今日行ける?」
A 「うんこ」
僕「A、うんこって言うのやめてくれ」
A 「うんこ」
僕「いや、マジで、お前、うんこしか言ってないやん」
A 「うんこ」
僕「お母さんにも言ってるの」
A 「うんこ」
僕「いや、さすがにもういいって!」
A 「うんこ」
僕「ちょっ、本当にやめて」
A 「うんこ」
僕「マジでもうやめてくれ、頭がおかしくなる」
A 「うんこ」
この時期のAは、一体どういう状態だったのだろうか。反抗期の変形なのか、ある種のストレス発散だったのか、今だによくわからない。まぁ、わからなくていいか、今思い返しても全くわからないことがあるのは良い。
「自然学校前日に起きた悲劇①」
小学5年生の頃である。自然学校という、学年みんなで行く、4泊5日の野外活動がある。当時、最も楽しみにしていた行事だった。
自然学校の前日に僕たちは学校のグラウンドでケイドロをしていた。ケイドロとは警察と泥棒に分かれて追っかけ合う遊びである。
僕は泥棒になった。
泥棒の僕は、給食室から飛び出している排気口の下にしゃがんで隠れていた。僕は走って逃げるのではなく、隠れるタイプの泥棒だった。
辺りを見回すと、みんな追っかけ合いをしている。僕はしめしめと思っていた。
すると、突然!!
警察のタケノ君が「ワッ!」と言いながら僕の目の前に現れた。
僕はびっくりして、その拍子に、ピョーンと勢い良く飛び跳ねた。
すると、その勢いそのままに、頭が排気口の角に直撃した。
プシャーと頭から血が吹き出した。
あまりにも予想外の事態に僕は焦った。アドレナリンが出ていて痛みは感じない。遊んでいる時に、こんな量の流血の経験が無く、どのような処置を取ったらいいのかわからなかった。
僕は血を垂らしながら、その場で立ち尽くした。
そんな僕に対して、タケノ君は「一応、捕まえとくな」と言って、僕をタッチした。
えっ!!この状況で、まだケイドロできる?!僕はそう強く思った。
僕はなぜか、血を噴き出しながら、タケノ君に肩を掴まれ牢屋(バスケットゴールの下)に連れて行かれるのである。
連行中、タケノ君は「とりあえず牢屋で血が止まるまで座っとき」と言った。
優しいか優しくないんかわからんねん!!てか、何でずっと泥棒扱いされてんねん!!
僕はそんなことを思いながら、バスケットゴールの下に座らされた。そして、タケノ君は別の泥棒を探しにどこかへ走って行った。
「自然学校前日に起きた悲劇②」
タケノ君が泥棒を追いかけている最中、血塗れの僕に気づいた友達が集まってきて「タキ、おい大丈夫か?」と声を掛けてくれる。僕はケイドロを続けるか辞めるかを迷っていた。頭が切れているのは分かっているけど、痛みもないし、血も止まってきていたからだ。
迷った挙句、僕はある決断に至る。
それは、ケイドロを続けよう!であった。
アホである。続けんな!お前は早く家に帰れ!!
僕は、牢屋から友達に助けを求めた。
少しすると、足の速い友達が警官を掻い潜り、僕をタッチして生き返られせくれた。
乾いた血を顔につけながら僕は一生懸命に逃げだ。
警官の2人が僕を捕まえようと追いかけてくる。
僕は逃げながら、マジの泥棒の逃走劇みたいだなと思った。
「自然学校前日に起きた悲劇③」
なんだかんだケイドロを続けた僕は、最後までみんなと遊んだ。
その頃には血は止まって、乾き切っていた。
家に着いた僕を見て、母がびっくりしている。
理由は簡単である。
息子が真っ赤だからだ。
僕はすぐに救急病院に連れて行かれた。
車の中で、母が「明日、自然学校やのに、ほんまにどうするの」と嘆いた。
僕はハッとした。明日、自然学校があることを全然考えていなかった。やばい、明日自然学校だ、何も用意してない、ずっと血だらけでケイドロしていただけだ。マジの泥棒してただけだ。僕は車に乗りながら、どうしたものかと、傷のある頭を抱えた。
「自然学校前日に起きた悲劇④」
病院について、先生が頭の傷を診てくれる。
先生は「んー、どうしようか、縫おうか、止めようか」と言いながら悩んでいる。
先生の話を聞くには、僕の傷の大きさだと、縫わずにホッチキスみたいな器具で塞ぐこともできるらしい。僕は縫うよりはホッチキスみたいな器具で閉じられる方が痛くないかなと思い、そっちをお願いした。
僕は、ホッチキスみたいな器具で傷口を閉じられることになる。
その時の痛みや光景を覚えてない、とにかく一瞬で終わったのを覚えている。
施術が終わった後、先生は「仮止めみたいなものだから、1週間くらいは安静にして下さい」と言った。
僕は、えっ?!と思った。なぜなら、明日から自然学校だからである。僕は「あの明日から自然学校なんですけど」と言った。
それを聞いて、先生は「ダメダメ!自然学校には行けないよ」と言った。
僕はそれを聞いて、愕然とした。あんなに楽しみにしていた自然学校に、タケノ君に驚かされて排気口に頭を直撃させて血を噴き出しから行けないなんて。そんな、そんな、そんなこと....
僕は悔しくてその場で、泣いてしまった。
行きた過ぎて泣いたのだ。
痛くてではない行きたくて泣いたのだ。
先生も僕の母も対応に困り、診察室は謎の空気に包まれた。
しかし、僕は諦めなかった。
僕は先生に絶対に激しい運動をしないから自然学校に行かせてくれと訴えた。
泣きながら先生を説得した。
僕があまりにもしつこい、または止めても勝手に行く可能性があるため、聡明な先生は条件付きでどうにか自然学校に行く許可を出してくれた。条件は、接触を伴う運動や激しい運動をしなこと、必ず、毎日、付き添いの保健の先生に診てもらうことであった。
僕はその条件を飲み、どうにか自然学校に行けることになったのだ。
頭にガーゼをつけて、包帯を巻いて、次の日に僕は自然学校に行くことになった。
「自然学校前日に起きた悲劇⑤」
頭が切れた僕は、どうにか条件付きで自然学校に行けることになる。
結果的に、僕は何の問題なく自然学校を終えることができた。条件を守った上で自然学校を満喫した。毎日、夜になると保健の先生にもチェックしてもらった。
自然学校の4日目くらいに外コースと中コースに分かる企画があった。外コースはサイクリングやレジャー系の運動をする。中コースは粘土細工をする。僕は外コースを選んでいたが、怪我のため中コースに行くことになった。
まぁ、粘土細工も楽しそうだと思っていたら、友達2人が、俺もそっちに行くと、わざわざ外コースから中コースに変更してくれた。僕は何だか嬉しかった。男子のほとんどが外コースの中、僕ら3人は中コースを満喫した。
僕は、マイナスに思える事柄でも、絶対にマイナスになるわけじゃないんだなと思った。僕は頭の傷で思わぬ体験をたくさんした。それはとても楽しかった。
「ピンクのホッピングと夕焼け」
小学校3年生のある日のことだ。5人くらいで公園で遊ぶ約束をした。約束した時間にみんな集まってきた。タザワ君はピンクのホッピングに乗って跳ねながら登場した。
タザワ君はずっと跳ねていた。
さぁ、みんなで何して遊ぼうかとなっている最中もタザワ君はずっと跳ねていたし、鬼ごっこ、虫取り、ごっこ遊び、探検、どの時もタザワ君は跳ねていた。
僕はこんなに跳ね続けて大丈夫なのかな?とタザワ君を見ながら思っていた。
たくさん遊んで解散になった。みんな各自の方向に帰っていく。けど、ホッピングに乗ったタザワ君だけが、まだ公園の周りをウロチョロしている。
「どうしたん?」と声をかける。
タザワ君はホッピングから降りて、ホッピングを脇で挟むようにして持って僕を見た。
タザワ君は、吐息のような声で「帰り道わからんねん」と言った。
ホッピングに乗って跳ね過ぎて帰り道がわからなくなったと思って僕は笑ってしまった。
「跳ね過ぎて帰り道忘れたんちゃう?」と言った。
タザワ君は笑った。一緒にケラケラ笑った。
タザワ君が帰り道を思い出すまで、ピンクのホッピングに乗ってるタザワ君を案内した。
夕焼け空だったのを覚えてる。
「夏休みの宿題 最終日に作った工作」
小学4年生の時の夏休みである。
僕は夏休みの宿題を早めにやらない。
夏休み最終日になって慌てて宿題をやり始める。
明日学校なのに、ワーク系の宿題、読書感想文、ポスター、工作が残っている。
それを最終日に一気に片付けるのである。
小4の時の工作が酷い。
紙粘土を買ってきて、丸めて、絵の具の赤で2本ピューっと線を引く。
僕は、それを野球ボールだと言って提出することにしたのである。
強行突破である。
そんな風に、毎年、なんだかんだ宿題を最終日で終わらしてきた。
工作の宿題で提出した野球ボール、それと今書いているエッセイが繋がる。このエッセイもあの時と同じ野球ボールなのかもしれない。
形を変えて、僕は未だに野球ボールを作っているのかもしれない。何だか少し怖くなってきた。
けれど、まぁいいじゃないか!あの手短に作った野球ボールで工作の宿題はどうにか乗り越えたんだから。同じように、今日もまたあの野球ボールみたいなエッセイで乗り越えればいい。とりあえず作って提出して乗り越える、今日は何だかそう思う。
「Aとポケットモンスター」
小学生の頃、僕らはゲームボーイでポケモンの『エメラルド』をしていた。とても懐かしい。Aも一緒にポケモンの『エメラルド』をしていた。Aとは学年の番長的な存在である。
Aは最初のポケモンでアチャモを選択していた。
ポケモンの楽しみ方として友達同士で進捗を確かめ合ったりする。「どこまで進んだ?」「何捕まえた?」「こいつ育てた方が良いかな?」「3つ目のバッジどんな感じ?」とかである。
そんな感じでAに「ポケモン進んでる?」と尋ねた。するとAは「タキ、聞いてくれ、ポケモンが言うこと聞かんねん」と言った。
「言うことを聞かない??」
意味がわからなかった。なので、クラスにいるポケモンの攻撃力を最大値にまで上げるくらいポケモンに詳しい友達に聞いてみた。友達が言うにはジムバッジが揃ってないのにポケモンのレベルが高過ぎるとポケモンが言うことを聞かなくなるらしい。それはレベルの高いポケモンを交換で貰って無双することを避けるための設定なんだろうなと思った。
レベルが高過ぎるポケモンを交換で貰ったんだなと思った僕は、Aに「交換でポケモン貰ったやろ?それがレベル高過ぎるねん」と言った。Aは「いや、おれ交換なんかしてないで」と言った。いきなりミステリーになった。「えっ!?交換してない?どういうこと?じゃなんで言うこと聞かんの、ちょっとポケモン見して」と僕はAのゲームボーイを借りた。
Aのジムバッジは1個だった。Aの連れているポケモンを見た。すると、一体だけしかポケモンがいない。その一体はなんとバシャーモだった。
恐るべきことにAはアチャモを2個目のバッジ前にレベル42のバシャーモにしていた。
僕はそれを見て爆笑した。Aは他の仲間を増やさずにひたすらにアチャモを育て続けていたのである。
いや普通、もっと満遍なく育てるだろ!ツバメとかポチエナとかを育てつつアチャモも育てるだろ!Aはポケモンすら番長脳でクリアしようとしていた。Aは交換ではなくポケモンのレベルを上げ過ぎて言うことを聞いてもらえなくなっていた。
Aはずっと最初の方の草むらでアチャモがバシャーモになるまで育てた。その過程を想像するだけで笑ってしまう。今でも笑えるのである。想像してほしい、レベル42のバシャーモがレベル3のポチエナを倒してもらえる経験値の少なさを。
人には色んな進め方がある。正確で正解に見えるやり方や、不確実で面白いやり方もある。どんな進め方も後から振り返ればいい思い出である。
「Aとの1月1日」
小学5年生の時の1月1日のことである。僕の家の新年は母が作ったお雑煮を食べる。それ以降、親戚で集まることもなければ、家族で何かするわけでもない、特にすることがない。
僕は暇で仕方なかった。僕は何人かの友達に電話をした。当時は家電話である。「ごめん、今日、おじいちゃん家行くわー」「ごめん今日は家族といるわー」「ごめん、今日は遊びに行ったらあかんって言われてて」と断られ続けた。
1人だけ遊べる友達がいた。それは学年の番長的な存在のAである。Aは電話越しに「おお、いけるで」と言った。
とりあえず、学校に集合した。学校に向かいながら公園を見て回ると人っ子1人いなかった。新年に暇な奴は僕とAくらいだった。
僕とAは学校に設置してあるバスケットゴールの下に座った。
僕「あけましておめでとう」
A「おう、あけましておめでとう」
僕「何する」
A「何もないな」
僕「みんな家族とおるんか」
A「そうやろなー、じいちゃん家行ったりしてるんちゃう」
僕「うん、みんな電話でそう言ってた」
A「おれらだけかー」
僕「2人やとすることないなー」
A「ボールとか持ってきた?」
僕「持ってきない」
A「ほんまに公園に誰もおらんかった?」
僕「2丁グラも4号棟の公園も誰もおらんかった」
A「駄菓子屋は?」
僕「駄菓子屋閉まってた」
A「そうか」
僕「どうする」
A「暇やな」
僕「暇やな」
A「帰る?」
僕「帰る?」
A「帰るか」
僕「帰るか」
終わりのような会話をして僕たちは解散した。
僕とAは何もない新年を迎えた。
「自家製ねりけしの結末」
小学生低学年の頃、ねりけし集めが流行った。
ねりけしの中でも、匂いが付いているねりけしがあり、みんな、匂い付きねりけし同士を互いに交換して多機能筆箱に入れとくのである。
僕も匂い付きねりけしを交換したいのだけど、そもそもねりけしを持っていなかった。なので、僕は消しカスを集めて、スティック糊の液を少し垂らして、こねて、自家製ねりけしを作った。
僕は自家製ねりけしを既製品のように扱い、みんなの匂い付きねりけしと交換していくのである。
材料は消しカスのため、僕は自家製ねりけしを量産して、大量に匂い付きねりけしを集めていった。
多機能筆箱の中は、様々な匂いがするねりけしで一杯になった。
夏の日である。
鉛筆を取り出そうと多機能筆箱を開けた、強烈な匂いが鼻を襲った。
嗅いだことのない匂いだった。
その匂いの正体は、
匂い付きねりけしの混ざり合った匂いだった。
密閉されていたのと、暑さで、異臭を放っていた。
異臭があまりにもキツかったため、僕はなくなく、匂い付きねりけしを捨てるハメになる。
僕は自家製ねりけしという、消しカスの寄せ集めのねりけしを既製品扱いして、匂い付きねりけしを大量に集めた罰だと思った。
日本昔話のオチのような結末を迎えて、僕は全てのねりけしを失った。
悪どい商売は最終的に痛い目に会うのかもしれないと、僕はねりけしから学んだ。
「サナダ君とフルーツポンチ」
小学6年生の頃に大好きだった給食はフルーツポンチだった。フルーツポンチはクラスのみんな大好きで、いつもフルーツポンチの余は取り合いになっていた。
フルーツポンチが給食に出たある日のことである。僕と同じクラスにサナダ君という男がいた。サナダ君はいつも先生の質問に手を挙げて答える勉強の出来る子だった。だけども、ガリ勉という感じではなく、みんなが知らない雑学を言ったり、マジックを披露したり、性の知識で圧倒したりなど、クラスの皆んなが一目置く存在であった。
そんなサナダ君には特技があった、それは吐いたフリである。みんな何かあったらサナダ君に吐いてよと言って、サナダ君はいつも元気満々に吐いたフリをして場を沸かした。そんなサナダ君はフルーツポンチおかわりジャンケンに2回勝利してフルーツポンチを2杯食べた。そしてサナダ君は給食の牛乳も大好きだったので、余っていたパック牛乳を2個飲んだ。
給食の時間が終わり掃除の時間になった。サナダ君は教室の前の廊下を掃除をしていた。僕は下駄箱掃除をしていた。掃除の時間が終わって戻ると教室の前に人だかりが出来ていた。
何事か?と思って人だかりを掻き分けた。
すると四つん這いになって下を向いたサナダ君と真っ白なフルーツポンチが廊下に広がっていた。
ことの経緯を友達から教えてもらうと、サナダ君は廊下を掃除していて、別のクラスの仲の良い友達が通りすがりに「サナダ吐いてよ!」と言ったらしく、サナダ君はいつも通り全力で吐くマネをしていた。その後はお察しの通りだ。
どれだけサナダ君が吐くマネが慣れているからと言っても"食い合わせ"ってのはある。3杯のフルーツポンチとパック牛乳3つは食い合わせが悪過ぎる。
先生がやってきて皆んな教室に戻っていた。僕が見る限りではサナダ君は泣いていた。サナダ君は悔しかったのだろう、こんなに極めた芸を失敗してしまうなんて。あの芸達者のサナダ君でも太刀打ちできなかったのだ、食い合わせには十分気をつけて食事を摂ろうと思う。そんなことを書きながら思っている。
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