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『居場所ボランティアで見たもの』

「不意な始まり」

大学1年生の頃だ。本格的な夏が始まろうとしていた。急にパン屋のバイトがクビになった僕は途方に暮れていた。同じ映画サークルで同級生のKの家で「次のバイトどうしようかなー」と言っていた。

そんな僕にKが突然「遊ぶだけで、2000円貰えて夜飯食えるバイトあるけどする?」と聞いてきた。

「えっ、そんなんあるの?」

「うん、今からできるよ」

僕は手持ちのお金もなかったし、何より飯が食えるってのが響いた。何もわからないままに、とりあえず「する」と言った。「じぁ、今から行くか」と僕はKに連れられて、自転車で京都の三条に向かった。

団地に囲まれた公園に着いた。公園では子供たちが遊んでいた。僕は「ここで何するの」と聞いた、するとKは「子供の居場所造りボランティアをする」と言った。僕はあまりにも予想してなかった返答に驚いた、そしてなんか面白そうとも思った。

KはKが参加していた子供の居場所造りボランティアに僕を連れてきたのである。

この公園の近くに市民活動センターがあって、そのセンターの部屋を借りて、毎週2日、地域の子供たちと、勉強したり遊んだり、一緒にご飯を食べたりしているらしい。子供は小学低学年から高校生までがいて、大学生や社会人がボランティアでスタッフをしていた。

Kは教育に興味があり、学部が教育文化学科だった。出会った時から、鴨川で子供たちを集めて青空教室を開くと言うような奴だった。僕はそんなこと一切考えてなかった、僕は商学部である。僕は2000円とその日の飯を食いにノコノコとやってきたのである。そんな動機だったのだが、言ってしまえば、僕とKは、大学1年生から5年間、この居場所ボランティアに参加することになる。腹が減って来ただけの僕が、学校でも家族でもない居場所や空間を作るにはどうしたらいいかと思考するようになる。思考は侵入である。とにかく、その居場所で起きたことをどうにか書いてみようと思う。断片的だが、枝を1つずつ集めるみたいに書いていこうと思う。


「意志と動物①」

市民センターの広い畳の部屋で、小学4年の女の子のリンが小学5年の男の子のコウヤに蹴られた。リンは怒った。リンは、部屋にある移動式の黒板と壁の間に、コウヤを挟んでやり返す。それを機に、やり合いはドンドンと過熱していく。最終的にリンは怒りを爆発させて、一方的に、コウヤに襲い掛かる。そろそろ止めないと怪我する可能性が出てくる。それを見ていた、この居場所ボランティアを仕切っている地域のおじさんの高田さんが止めに入った。そこにいた僕は、感覚的にリンを止めたらヤバいと思った。だから、まだ冷静なコウヤを別の所に連れ出そうとした。しかし、高田さんはリンの手を掴んで動きを止めた。リンは自由を愛する。リンにはそれが理不尽に感じて許せなかったのだろう。「何で私なん。コウヤが先にやってんから、コウヤに言えよ」と叫んだ。高田さんもそれに対して、そこを統率するためにも、折れずに怒りを示す。「暴力はあかん、一旦、落ち着いて話し合え」と言う。リンの手を掴みながら、別室に連れて行こうとした。リンは激昂して、泣きまくっている。高田さんはコウヤとリンを含めた3人で話し合いをしようとするが、リンは「何も話さんから!」と頑なな姿勢を見せる。高田さんも負けじと話す。リンが「お前は関係ないやろ!お前が入ってくんなよ!」と高田さんに言った。高田さんも「関係ないことないやろ!」と怒鳴る。すると、リンは怒ってセンターから出て行った。高田さんが「どこ行くねん、ご飯は食べへんのかいな?」と聞いた。リンは「食べへんわ!」と言った。

僕は心配になって、出て行ったリンの行く末を見ていた。家に帰らず、このボランティアのご飯を作っているセンターとは別の場所にある調理場に向かっていった、ずる賢い奴だと思ったし、家に帰れないのかもとも思った。しかし、ご飯はできてしまっていたらしく、調理のスタッフたちが盛り付けのためセンターに戻ってきため、調理室は誰もいなかった。リンは行き場を失い、センターの近くで歩いていた、僕はその後ろをつけた。「ご飯食べんの?」と聞いては、「食べへん!」と返事が返ってくる。僕は「まぁ、食べんでもええけど、センター戻ってきたら?」と問いかける、「もう帰る」とリンは言った。僕は「そうか、わかった」と言って別れた。僕はセンターに向かいながら、逆方向に歩いているリンの方を振り返って見る、すると、リンもこっちを振り返って見ている、また振り返ると、またこっちを見ている。次もまたこっちを見ていたら、そっちに行ってやろうと思い、振り返る、するとリンはこっちの様子を伺うようにして見てる。はぁーとため息をついて、僕はリンの方へ行く、もうエレベーターで上に上がっていてもおかしくないのだが、リンはいつもより長くポストを覗いていた、そのおかげで追いついた。「センターに戻ろう」とリンに言った。「ふん」と言ってリンは帰る素振りをする。けど、いつもエレベーターで帰るのに、なぜか階段で上がっていく、そんなの一度も見たことがない、「センターに戻らんの?」とさらに聞いても、リンは階段を登って行った。僕はセンターでご飯の準備などですることがあり、センターに戻った。

ご飯の準備をして、僕たちはご飯を食べていた。

調理の方が僕に、リンちゃんが屋根に登って危ないと言ってきた。僕はご飯食べるのを止め、公園に向かった、公園には屋根付きベンチがあって、2メートル弱くらいの高さの屋根にリンが登っていた。普段そんなことはしない、あえて、人の目につくことをしていた。僕は動物だなと思った。人間は動物であって、見せ方を知っている。年齢なんて関係ない。生きるための身の振り方は、すでに膨大な刷り込みによって知っているのではないかと思った。知っているより、知ってしまっている。結局、リンにとっては今、センターしか居場所がないんだと思った。リンにとってはセンターは大事な居場所だ。そんなことわかってる。リンにとっては、他のみんなと違って格別で大切な居場所だ。リンにとっては自由にできる居場所なんだろう。
リンは意志を曲げない、曲げることが優先順位の一番下にあるような、そんな奴だ。そんなリンを甘やかすのが、この居場所だ。けど、そんな自由な姿に、多少なりと元気付けられている。僕は、ずっと元気をもらっていた。ずっと、リンの自由さに勇気をもらい、見て、笑っていた。笑ってしまっていた。何かが吹っ飛ぶように笑っていた。そこまで自由なら気持ちが良いや。もっといっちまえ、どこまでも飛んでいけと思う。だから、リンは今も、センターに戻るために自らを危険にさらし注目を集めている。


「意思と動物②」

リンは屋根の上にいる。僕は、屋根の下からリンに向かって「降りてこい、飯食うぞ」と言う。するとリンは「スーちゃん来てる?」と聞いてきた。僕は「スーちゃんはさっき来たよ」と伝える。リンは「スーちゃんを呼んできて」と言った。スーちゃんとは、みんなから慕われていて、年上なこともあって、子供たちのまとめ役みたいな中学3年生の女の子である。僕は「わかった」と言って、センターに戻り、食事中のスーちゃんに事情を説明して、リンが呼んでれるから来てほしいと頼んだ。

スーちゃんはみんなからたまに、お母さんと呼ばれているみたいだ。三条の子供たちのお母さんだ。みんなスーちゃんに話を聞いてもらいたがる。それはこの居場所に居座りついたスタッフにも言えることだし、ここにくる地域のおじさんやおばさんたちも言えることだ。スーちゃんは賢い。人の気持ちに敏感だ。何を言ったら悲しいか、何を言ったら嬉しいかを感覚的に理解している。自虐もするし、相手を褒めたり、いじったりもする。だからみんなから話しかけられる。けど、それだと、自分のことを考える前に誰かが話しかけてくるのかもと思った。そんなことをずっとしている。いつの間にか、自分の人生を他人に捧げる側になってしまってるんじゃないかと思う。みんなからお母さんなんて言われている。バカやろー!まだお母さんじゃないっての。僕はそんなことを考える。僕はそういう時、見えない流れみたいなのがスーちゃんに集まり過ぎているように感じる。だけど、たった今、リンをセンターに戻して欲しいと頼んでいるじゃないか。みんなが言う、お母さん扱いをそのまま享受してるじゃないか。何だよバカやろー。誰がいつ、スーちゃんの1人の部分に寄り添っているんだよ。

複雑で、絡まっていて、一概に言えなくて、考えたら考えるだけ何もできなくて、泣きそうになって、まぁ、仕方ないよなとか言って、普通に過ごして、忘れていく、そんなことが繰り返されている、一度立ち止まれ、死んだっていい、上等だ、僕だよ、僕、僕の話、死んでやれ、スーちゃんが別の顔を持てるように死んでやれ、なぁ、おい、忘れんな。

スーちゃんと一緒に公園に向かう。スーちゃんは屋根にいるリンに向かって「リン、どうしたー、おりておいで、一緒にご飯食べよ、センターにもどろー」と投げかけた。僕が驚いたのが、その時の声色である。聞いたことがないスーちゃんの声。甘く、ゆっくりとした、強さを一切排除した、小さい声なんだけど確実に聞こえる声、胸の奥底を揺らすような声。その声を聞いて、リンの返答はほぼないが、リンがスッと降りてくる。そして、スーちゃんの背中に抱きついた。言葉を交わしていない。何が何だか。スーちゃんの声色がリンの身体に直接訴えたのだろうか。リンに必要だったのは言葉でも意味でもなく声色や身体だったのかもしれない。僕は、あの誰もいない静かな夜の公園でスーちゃんの声色に居合わせた。この世界には言葉でも意味でもなく、声色で動く世界もまたあると思った。僕の世界の見え方は少しズレた。

僕と、リンをおんぶしたスーちゃんと3人で公園からセンターに戻る。夜。22歳のバカと、中3のお母さんと、小学4年の自由の女神が3人で一緒に、ある場所に帰っていく。この場所は何ですか。3人が向かうこの場所は何ですか。何なんですか。教えていらないです。教えていらないです。教えられた瞬間に帰れなくなるから。訳のわからないままでいいです。訳のわからないままでいいです。3人で帰っていく。言葉は交わさない、ただただ、帰っていく。得体の知れない居場所に。


「何とも言えぬと蒸し暑い」

僕は公園で小学校高学年と中高生たちとずっとサッカーをしていた。リンとヒーちゃんは暇そうだ。低学年の女の子から高校生の男の子までが一緒になってサッカーをする時もある。けど、今日は中高生が激しくサッカーをしたそうで、そういう日はガチでサッカーをする。すると小学4年のリンと小学2年のヒーちゃんはサッカーに入れない。

リンは「やることがない、暇!」と言って、僕の横でだれている。僕はサッカーをしつつリンと話す。リンが「遊ぼう」と言ってくる。「いや、今は無理だ」と断る。居場所運営の視点からすると、スタッフが少なく、僕しか公園にいない場合は大勢でサッカーをするのが有効な手段なのである。リン1人に付きっきりになるわけにはいかない。あと、僕自身がサッカーをしたい。

ご飯の準備になって、サッカーは終了して、みんなセンターに戻った。

僕はリンの様子を見ていた、ふと、なんとなく、ご飯をリンの横で食べてみよう思った。リンの隣でご飯を食べていると、リンが僕にだけ聞こえる感じで「ご飯食べたら、鬼ごっこしよう」と言ってきた。僕は「いいよ!片付けが終わったらな」と言った。するとリンは、本当に嬉しそうに「やったー!よっしゃー!」と言い放ち、近くにいたヒーちゃんに、獲物を仕留めた狩人が村人に成果を見せびらかすように「ジャニ(ジャニとは僕のあだ名である)がご飯食べたら、鬼ごっこしてくれるって!ジャニが遊んでくれるって!」と伝えていた。僕は幸せ者である。僕はリンと、しばらくの間、密なコミュニケーションを取ってなかったんだなと思った。遊んでくれるなんて言葉を言わしてるようじゃダメだし情けない。いつだって、僕が遊んでもらってるんじゃないか。

ご飯を食べ終えて食器を片付け後、リンと一緒に鬼ごっこをした。今度はサッカーを断って、また夜にしようと中高生に伝える。リンは鬼ごっこ中なのに、珍しく、やたらと甘えてくる。僕がリンの横でご飯を食べようと思った感覚は、これを察知していたのかも知れない。

リンが背中に抱きついてきた。辺りには誰もいない、リンと2人の時間、日が落ち、薄暗く、疲れと暑さでボーッとする、意識がゆっくりと遠くなる。ギュッと僕の背中にリンがひっつく。汗のベタつき、鼻にこびり付く臭い、長い髪が体全身に纏わり付く、味噌汁のついた手が首元に染み込む。憎しみも汚さも美しさも半一体となって馴染み合う。湿度が高く蒸し暑い。汗が絡みつき、呼吸を合わせて同化していく。ペタッとくっつく。全部と言っていいかはわからない、でも、全部を受け入れて溶け合っていく。その時、この世界に僕とリンは存在しない、なんとも言えぬ存在だけがそこにある。


「帰る場所と動き」

ここの居場所ボランティアは、小学生と中高生で部屋が別れている。基本的に小学6年生までが小学生の部屋にいて、中学生になると中高生の部屋にいる。けど、何人かの子供は、馴染み深い小学生の方から急に雰囲気が違う中高生の方に行きたがらない。ずっと小学の部屋でみんなをまとめていたスーちゃんは、中学3年生になっても中高生の方にはあまり行かず、小学生の方にいた。

スーちゃんは小学生の部屋で夜ご飯を食べようとしていた。すると、高田さんが中学生は中高生の部屋で食べなさいと言った。それに便乗して何人かの小学生がスーちゃんに、あーだこうだと言っている。スーちゃんは言い返すわけでもなく、センターから出て行った。

人は決められた分類をあっさり守り、分類しづらいものを簡単に咎める。

スーちゃんは公園のベンチでポツンと座っていた。それに気づいた僕は、何か吸い寄せられるようにスーちゃんのところに向かう。スーちゃんに、「どっちの部屋で食べるの?小学生?中高生?」と問いかけた。スーちゃんは宙に浮いたような寂しそうな声で、「どっちでもいい」と言った。スーちゃんは本当にあらゆることがどっちでもいいと言う感じだった。さらっとしていて掴みどころがなかった。「今日はアキちゃんも小学生の方で食べるらしいし、小学生の方で食べたら?」と言うと、「じゃそうする」と素っ気ない返事が返ってきた。しかし、みんながまたとやかく言って、スーちゃんは中高生の部屋で食べることになった。分類通りの場所に帰ったわけだが、いつだってそこが帰るべき場所ということではない。スーちゃんが、ほっとひと休みしてご飯を食べれる場所が帰る場所だ。周りが決めた場所だけが場所じゃない。そんなことを考えると、ふと、僕もどこに帰ったらいいかわからなくなって怖くなった。

スーちゃんの力になれるのかという、考えるだけ難しくなるようなことを考えるか迷う。歴然とある不平等を前に縮こまりそうになる。けどいつだって、縮こまる僕を前に動き出すのが、ここの子供たちじゃないか。動き出して動きになれ、ただの動きになればいい。


「リンとアイ」

小学4年のリンには2つ上のアイというお姉ちゃんがいる。僕がスタッフとして来るずっと前から、リンとアイの姉妹はこの地域に住んでいで、ここの居場所に来ている。

アイは、誰よりもこの居場所ボランティアに来る新しい人に厳しい。新しく来る小学生や大学生スタッフを儀礼的に選別している。アイは、ここの居場所の荒さに耐えられないのなら、元から来ないほうがいいと思っているように感じる。アイは細かく人を観察していて、人の発言や行動に敏感に反応している。そして調子に乗ってる奴が嫌いだ。偉そうで我が物顔でいる奴には痛烈な言葉を浴びせる。

そんなアイは、1番早くセンターにやってくる。アイはこの地域で起きたことをずっと見てきてる。ここで起きる様々なことがアイを通過して、アイを媒体にして表出している。媒体は忘れることができないんだ。ここで起きたこと、家族の中で起きたこと、自分の中に起きたこと、それらを見て、すぐにケロッとできないんじゃないかと思う。アイの強い言葉や暴力は、アイがしてるんじゃない、させられているんだと思ってる。だから僕はアイを責めない。抱きしめてやる。


「偶然と走る子供」

年に1回、居場所ボランティアの子供たちと旅行に行く。今回は、海に入りに、夏の福井県若狭町に泊まりに行った。僕はちょうど、その旅行の日が誕生日で、旅行先で21歳を迎えた。これは書きながら自分で驚いているのだが、これを書いている今日も僕の誕生日で、24歳になる。この話を書こうと思った時は、この話の中の自分が誕生日だったことを全く意識してなかった、後から思い出して書き足している。何も大したことではないが、偶然が祝いに来てくれたみたいでなんだか嬉しい。

子供たちは泊まりやら海やらでテンションが上がっていた。しかし、昼は雨が降ってしまって、あれだけ楽しみにしていた海に入れなかった。夜に雨が止んだので、せめて砂浜で花火でもするかと、この活動を長年仕切っている高田さんというおじさんが言い出した。みんなで手持ち花火をするために、ぞろぞろと、夜の砂浜に向かう。砂浜に着き、辺りを見渡す、真っ暗で何も見えない、向こうに海があることが音と気配で分かる。バケツやチャッカマンを用意して、手持ち花火が始まる。けれど、子供たちの意識は夜の海に向いている。僕は妙な騒めきを感じ取った。

突然、子供たちが夜の海に向かって走っていく。退屈な建前から逃げるように、子供たちはその場から走り去っていく。大人たちが危ないと後を追う。僕は、そのまま逃げてしまえと心の中で願った。あの時の自分もそう叫んでいる。と同時に、周りの大人と同じように子供たちの後を追う僕がいた。危ないし、溺れて死んでほしくないと、体は反応のままに追っていた。夜の海とあの時の自分の距離が相反する。あの時の僕がこっちを見ている。不意に、僕の顔が明るくなって、あの時の僕の姿を掻き消すように、心臓に破裂音が響いた。夜空で花火がパチパチと散っている。近くの花火大会らしい。花火大会があるんて誰も聞いてなかった。僕は立ち止まり、一瞬、夜空の隅に広がる色を見つめたが、そんなことしてる場合じゃないと、足を早めた。「お前ら、勝手に海に入るんじゃないぞ!」と大きな声で叫んだ。少しも返答がなくて心配になる。先が暗くて見えない。海にそのまま逃げ切っているかもと思ったし、死んでしまうかもとも思った。ようやく追いついた。そこには、海に足をつけながら、夜空の花火に目を奪われて立ち止まる子供たちがいた。僕はその瞬間に居合わせた。

僕は偶然を見た。生と死が入り混じった濃密な瞬間、誰にも邪魔されない生と死がそこにあった。生と死のどちらに転ぶなど偶然なのである。生も死も変わらない地点がある、そこに偶然があるのなら。


「恥ずかし過ぎるあだ名!」

はじめて居場所ボランティアに行った日の事である。部屋に入ると当時小学生6年生のスーちゃんという女の子がいた。

スーちゃんは初めてやってきた僕を見るや、ジャニーズJr.の◯◯に似てると言った。僕はその◯◯を知らなくて、今でも名前を覚えてない、故に◯◯である。スーちゃんは、その頃ジャニーズJr.が好きだったらしく「◯◯に似てんねんけど、やば!」とテンションを上げていた。けれど僕が「そんなに似てる?」と聞くと「似てるけど、◯◯の方が断然カッコいいけどな!」と言われ、なぜが僕は少し怒られるハメになる。

すると突然、「じぁ、ジャニーズな!」と僕はスーちゃんに言われた。

「ジャニーズ??」

「うん、今からジャニーズって呼ぶ!」

「えっ!!!!」

そして僕は本当にジャニーズというあだ名になってしまう。僕はジャニーズはヤバいって、ジャニーズってあだ名はヤバいって、1人でジャニーズって呼ばれてるのヤバいってと思った。ジャニーズを1人で背負い切れるはずないじゃないか!後、側から見たら、絶対、子供たちに自分のことをジャニーズって呼ばせてる奴だと思われる。ジャニーズの応募に書類で落ちて拗らせた奴だと思われる。痛い奴だと思われる。

そんな思いは伝わるはずもなく、僕はジャニーズと呼ばれ、ジャニーズで振り向くようになる。あんなに緊張のする振り向きはない。だって、ジャニーズと呼ばれて自分だと思って振り向くんだぞ!

次第に僕は、ジャニーズからジャニと呼ばれるようになる。ジャニーズからの解放で僕はほっとしていた。
しかし、今度はである、僕がこの居場所に参加して3年ぐらい経った頃、この居場所に初めて参加する年下の大学生スタッフが、僕を、子供たちが呼んでるあだ名のジャニで呼ぼうとする、そして、そこにさんを付ける。

するとどうなるかというと、僕はジャニさんと呼ばれることになる。いやいや、ジャニさんはもうジャニさんがいるからダメだろ!ジャニさんはあのジャニさん以外呼ばれたらダメだろ!もうほんとに恥ずかしかった。だって、だってだぞ、ジャニさんで振り向くんだぞ!ジャニさんと呼ばれて自分だと思って振り向くんだぞ!

今でも僕はこのあだ名で呼ばれている。こんなに色々と言ったが、僕はこのあだ名を実は気に入っている。


「タイムスリップをした日」

僕は小学生たちと一緒にご飯を食べる。少し小さめの椅子に座る、机に肘を乗せて顎に手を添える、隣には小学4年生の男の子が座っていて、周りを見れば小学生たちがご飯前に喋っている、主食と副菜とデザートとお茶が運ばれて机に置かれる。ここの居場所運営を仕切っている60代の高田さんが前に出て何か話している。小学生の頃の教室での給食、前に立つ先生、同級生たちの声の騒めき、頭がボーッとしている、フーッと息を吐く、自分の中の小学4年くらいの記憶と感触が蘇ってくる。蘇って、ペタッと今の僕と重なり合って、僕は小学4年生くらいの僕になった。

少しして、誰かに話しかけれ、僕は現実の僕になった。僕はこの出来事をタイムスリップだと思った。タイムスリップできた!と喜んだ。再びタイムスリップしようとしてもできなかった、環境の条件と僕の状態が一致する必要があったのかもしれない。タイムスリップと言っているが、単に記憶を鮮明に思い出しただけなのかもしれない。けど、その記憶は身体的なものだったように思える。身体が覚えているみたいな。それと小学生の頃と似たような環境で思い出された事が重なり合ってタイムスリップ出来たんじゃないかと思っている。意識をそのままにして過去に戻れたら何をする?みたな会話があるが、それが実際に出来た感触だった。

そう思うと僕たちはほとんどのことを忘れてないのかもと思った。単に記憶を引っ張り出すことが出来てないだけなのかもしれない。忘れてるんじゃなくて、出し方を知らないだけ、秋風に吹かれた時、ある日の似たような心地良い秋風に吹かれた日を丸ごと思い出すような、僕たちは忘れてなく、それらはそこにあるのかもしれない、立ち寄ってみる、あの時のままではない、時間と共に劣化はしている、その部分を修繕する、その時に必要な材料は言語である、欠けた部分を言語の補修パテで補完する、剥がれた塗装に言語の塗料を塗る、取れた箇所は言語のネジで固定する、それは作り直すこと、それは元の様相を残したまま形を変形させて行くこと、何も手を付けないで、打ちっぱなしコンクリートみたいな、廃れた商店街みたいなまま置いといてもいい、でもなぜ作り直すのか、自らの記憶をなぜ作り直すのだろうか、僕らにとって記憶とは帰る場所なのだろうか、動物が自らの巣を手入れするように、僕たちは記憶を手入れする、記憶が巣だとしたら、人間の帰る場所は記憶である。今日もまたある記憶が欠け、ある記憶を運び、ちょこちょこと記憶の修繕を行う、その流れ、そんな日々、記憶を咥えた僕たちが地面を歩いている、どこまでも行くわけではなく、どこかに留まるわけでもない、巣と外の往復を繰り返す、そんな僕たち、奇妙な動物。

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