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金メダルを12年ぶりに獲ったウルリケ・マイファルトと16年ぶりに獲ったアンソニー・アービン

ウルリケ・マイファルト(西ドイツ=当時)は陸上史に残る選手である。
(Ulrike Nasse-Meyfarth 英語であれば メイファース と読むのだろうが、日本では昔から マイファルト と読んでいる。)

というのも16歳と28歳で、オリンピックの同一種目に金メダルを獲ったからだ。
1968年のメキシコオリンピック、走り高跳びはアメリカのフォスベリーによって新しい時代を迎えた。
現在では、誰しもが跳ぶ背面跳びを最初に始めたのがフォスベリーである。
とはいうものの、4年後のミュンヘンオリンピックでも背面跳びをマスターしていた選手は少なく、自己ベストが1m85だったマイファルトはホームの熱狂的な応援を背に1m92を跳び優勝。16歳の金メダリストとなった。

●ウルリケ・マイファルトの主な戦績
1972年 ミュンヘン五輪 ①1.92m
1974年 欧州選手権 ⑦1.83m
1976年 モントリオール五輪 1.78m 予選22位敗退
1978年 欧州選手権 ⑤1.91m
1980年 モスクワ五輪 ボイコット
1982年 欧州選手権 ①2.02m
1983年 第1回世界陸上 ②1.99m
1984年 ロス五輪 ①2.02m

岩崎恭子がバルセロナオリンピックで14歳で金メダルを獲った後、自分の泳ぎが出来なくなり、アトランタオリンピックには出場しているが、バルセロナ以後、金メダルタイムを更新することは一度もなく引退した。
洋の東西を問わず、若き金メダリストが壁にぶち当たるのは同じようだ。
マイファルトも、1976年のモントリオールオリンピックでは決勝に進むことが出来なかった。
このときの記録を調べてみると予選通過ラインは1m80、マイファルトは1m78しか跳べずに22位に終わった。
西ドイツは、1980年のモスクワオリンピックを、日本と同様アメリカに追随しボイコット、マイファルトはモスクワの地を踏むことが出来なかった。

が、この後徐々に復調していく。
1983年、ヘルシンキの世界陸上選手権では、ブルガリアのタマラ・ブイコワと壮絶な争いの末2位。
1984年、ロサンゼルスオリンピックはソ連、東ドイツなど東側諸国が報復ボイコットし、オリンピックでのブイコワとの対決は見ることはできなかったものの、マイファルトは12年ぶりに同一種目での金メダルを獲得。
優勝記録は2m02と好記録だった。

同一種目で、12年のブランクを経て再び金メダルを獲った例はマイファルトが唯一である と長い間言って来たが、2016年のリオデジャネイロオリンピックでこの記録を上回る金メダリストが現れた。

競泳男子50m自由形において、19歳と35歳で金メダルを獲ったのがアンソニー・アービン。
同一種目で16年のブランクを置いての金メダルは、ウルリケ・マイファルトの12年を超える。

19歳で迎えたシドニーオリンピック。
50m自由形で金メダルを獲ったアービンは、白人と黒人の両親を持つハーフだが、初の黒人系金メダリストとして注目された。
22歳で一度は現役を引退した。
その際に両腕に鮮やかな入れ墨をしたが、現在も彫ったままだ。
シドニーの金メダルはオークションにかけ、04年のスマトラ沖地震の被災者のために寄付したというが、その額は17000ドル。

その後、ロックバンドで活動するなどしたものの、酒におぼれ、自殺未遂をしたこともあるというが、どん底の時期をへて2010年にプールに戻ってきた。
大学院に入学し、水泳の動作解析などを研究するうちに泳ぐ意欲が沸いてきたと言う。
そして、リオデジャネイロオリンピック。
35歳5カ月での金メダルは競泳個人種目で最年長となる。

昨年9月 競泳金メダリストの「挫折」と「復活」と題してNHK BSでアンソニー・アービンの特集が放送された。

38歳になった金メダリストは東京オリンピックをめざすとしている。
が、東京オリンピックの開催延期が決まり、2021年に彼は40歳になる。
果たして、東京のプールで泳ぐことはできるだろうか。

●アンソニー・アービンの50m自由形
2000年 シドニー五輪 ①21.98(ゲイリー・ホールJrと同タイム)
2004年 アテネ五輪 出場なし
2008年 北京五輪 出場なし
2012年 ロンドン ⑤21.78
2016年 リオデジャネイロ五輪 ①21.40

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