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8m40は戦後5人目 陸上競技のなかなか破ることのできなかった日本記録

戦前の日本陸上界に南部忠平さんという大選手がいた。
札幌の円山競技場で毎年行われている南部忠平記念陸上競技大会は、南部さん(以下敬称略)の出身である札幌市で、彼の業績を記念したものだ。
南部は、1932年のロサンゼルス五輪の三段跳びで金メダルを獲ったことは広く知られている、が、同じ五輪の走り幅跳びでも銅メダル(7m45)を獲った。
この前の年(1931年)10月27日、後に国立競技場が建つ地にあった神宮競技場で行われた競技会で、世界新記録となる7m98を跳んでいた。
ちなみに同じ日の三段跳びでは、アムステルダム五輪金メダリスト織田幹雄が15 m58の世界新記録を出している。

日本国内で、日本人による世界新記録が一日に2つ出ることは極めて稀であり、今後もあり得ないだろう。
南部の世界記録は、ベルリン五輪の4冠王ジェシー・オーエンスが、1935年5月25日ミシガン州アンアーバーでの競技会で、8m03を跳ぶまで、4年近く世界記録だった。が、日本国内で、この南部の7m98を超える選手はなかなか現れず、1970年6月7日、山田宏臣(故人)が8m01を跳ぶまで38年7カ月破られることがなかった。

1979年7月6日に順天大に在学中の臼井淳一が8m10を跳び、2人目の8mジャンパーになるも、この記録も1992年5月5日に森長正樹が8m25を跳ぶまで破られなかった。
そして、森長の記録も、2019年の8月17日に橋岡優輝が8m32を、城山正太郎が8m40を跳ぶまで27年も日本記録として残っていた。
なんと1931年から88年間に、日本記録保持者は6人しかいなかったことになる。

●男子走り幅跳び 日本記録変遷
7.41 南部忠平(満鉄) 1929. 5.19
7.45 南部忠平(美津濃) 1929.10.17
7.57 南部忠平(美津濃) 1930. 5.24
7.64 南部忠平(美津濃) 1931. 4.29
7.67 南部忠平(美津濃) 1931. 6.28
7.98 南部忠平(美津濃) 1931. 10.27
8.01 山田宏臣(東急) 1970. 6. 7
8.10 臼井淳一(順天大) 1979.7.6
8.25 森長正樹(日本大学) 1992.5.5
8.32 橋岡優輝(日本大学) 2019.8.17
8.40 城山正太郎(ゼンリン) 2019.8.17

南部さんの38年7カ月にはやや及ばないものの、38年3カ月破られなかった日本記録もある。
男子円盤投げの川崎清貴の60m22で、1979年4月22日に出されたもの。
2017年7月22日 堤雄司が国士舘大競技会で60m37の日本新を記録、2019年、湯上剛輝が62m16まで記録を伸ばした。
もっとも、円盤投げの東京五輪の参加標準記録は66m00であり、世界はもう少し先だ。


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