最近読んだ漫画(6)私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!

ついこの間、部屋の片付けをしていたら、自分が高校の時の写真が出てきたのだが、一目見たその感想は「若い!」ではなく「え、こんなに子供だったの?」だった。当時は高校生にもなればもう大人ぐらいの気持ちだったのだが、大人から見たら全然まだ子供だったのだ。それなのにスポーツ漫画に出てくる高校生ときたら、どいつもこいつもド根性やら天才やら老成した人格者みたいなのばかりで、実態とは全然違うようなぁ……と思ったらこの漫画のことを思い出した。

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」っていうタイトル、どう見てもラノベ風で自分の好むテイストではないし、アニメ放映時期にちらっと漫画を読んだら、ぼっち(=ひとりぼっち)を自虐的に書いてる感じで、どうも馴染まなかった。ところが最近久々に見たら話が全然違っていて、さりげなく書かれた描写の意味が後々になって大きな意味を持ったりと、高校生の何気ない日常が書かれているのにも関わらず深いドラマ性を持って読めたのだ。

まぁドラマ性って言うとちょっと大袈裟だけど、登場人物の隠された心情を、何気ない描写やセリフから酌み取るのが面白かった。多分これ、気づかずにスルーしてギャグ描写だけを楽しむに人もいそうだ(それはそれでいいと思うが)。そんな重層的な描写が面白くて、何回も読み返しては新しい発見をしている。

自意識と他者の狭間で悶える高校生

この作品を知らない人に簡単に紹介すると、オタク趣味の自意識過剰な女子高生・黒木智子が意気揚々と高校に入るも、過剰な自意識ゆえ他人からの目線が気になりうまく振舞うことができず、クラスで孤立してしまう……という話で、ここだけ読むと「うあぁぁぁ!!くぁwせdrftgyふじこlp」と自分を思い返して悶える人が続出しそうだが、この主人公がかなり変な趣味の持ち主で、ウケると思ってやったことが盛大に外したり、逆に真面目なつもりが変に受けたりと、そのギャップを笑うコメディが初期の展開だった。でも、それはキョドる痛い人を同じく痛い読者が自虐目線で笑う路線で、人によってはツラくなって全く笑えないのではないかと思っていた。

しかし、途中から展開が変わり一挙に物語が広がる。一言で言うと主人公が化けるのだ。とは言っても、本人が急に頼もしい存在になるとか、一躍クラスの人気者になるということはない。修学旅行で主人公がなんか変なヤツと良い意味で一部の人に知られるようになり、それがきっかけでそれまでモブキャラだったクラスメートが、徐々に名前と性格を持った存在として主人公にの前に現れるのだ。かくして俄かにキャラクターがリアルな個性を持った多様な存在として生き生きと動き出すのである。それもようやく高校3年になって。

例えば修学旅行で同じ班のキャラで、最も主人公に無関心だった"絵文字"こと内さん、ちょっとした行き違いで主人公が同性なのに自分に性的な興味を持っているのではないかと勘違いして、ことあるごと主人公を見ては「キモいキモい」と言っているのだが、繰り返すごとにやがてその「キモい」は拒絶ではなくなり、キモかった行為を自分に対する興味と受け取るようになり、やがて主人公をもっと知りたい仲良くなりたいと思い始める。テキストで書くとこの心情変化は明解に聞こえるが、漫画ではこの描写は実に仄かなもので、ある時ふと「あれ?いつの間にかこのキャラ、主人公に好意的になってる?」と読者は気づくのである。このセンスが控えめ且つ秀逸なのだ。

終わりある日常を生きる

もう一つ例を挙げる。"ゆりちゃん"こと田村さんは、もともと表情変化の薄いキャラクターとして造形されているため、周りへのそっけない態度はいつものことのように最初は見えるが、徐々にその態度には主人公は自分と一番仲良くしてくれなきゃ嫌だという心情が裏にあることが明らかになっていく。主人公が下の名前で呼んでくれないことで拗ねたり、自分の知らない主人公の中学時代を知っている"ゆうちゃん"に対して、自分はこれだけ仲がいいんだアピールを延々してしまうなど、クールな見かけと裏腹の幼い自意識がまろび出る瞬間が実に高校生(=子供)っぽい。

こうした表に描かれている態度と裏腹のハッキリとは描かれない内心の動きを、勘のいい人は読んでいて早めに気づくが、人によってはかなり後で気づくのではないかと思っていて、それを読み返して確かめたりする面白さは、ちょっとほかの漫画では経験がなかった。

多様なキャラクターがそれぞれ抱えた自意識を持て余しつつもお互いを受け入れていく様を見ていると、内心では5ちゃんねるの書き込みのようなゲスいことを考えている主人公も、その他のキャラクターも、皆同じようにクラスメートとの関係性に悩む平凡な高校生なのだと分かる。そしてそれはきっと部屋で見つけた写真の中の自分だったのかもしれない、と思うのだ。

そんな主人公が自分の居場所をようやく見つけたのが高校3年生で、それも終わりが見えているというのは、楽しい中にもどこかほろ苦い寂しさがある。スポーツも恋愛も特殊能力も劇的な展開もない平凡な日常が、ここまで共感を持てるドラマになっているのは、このいつかは終わる日常をキャラクター達も読者も頭のどこかで予感しているが故だろう。

ところで、主人公はまだ気づいていないが、自分がクラスの人たちに受け入れられたのは、苦手な担任が修学旅行で同じ班の人たちに「仲良くしてあげて」と言ったことがきっかけだったということを、どれだけの読者が気づいているだろうか。これだけ各々のキャラクターのあどけない自意識を繊細に描く作者なのだから、きっとこの伏線もどこかで回収されるのかもしれない(そしてそれはきっとこれまでのようにごくさりげない形で)と思って先の展開を楽しみにしている。

作品はガンガンONLINEにて2011年より連載中。



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