新iPadのCMが壊したもの

朝起きてみたら新しいiPadが出ていて、ふーんと思ってTwitterのタイムラインを見ていたのですが、どうも皆が話題にしているのは製品そのものではなく、CMらしいというので、さっそく見てみました。

https://youtu.be/ntjkwIXWtrc

もうね、乾いた笑いしか出てこなかったです。Crush!と題されたそのムービーが言いたいことは実に単純で、その意味を理解できない人はいないでしょう。アップルがここで言いたいことは、アーケードゲーム機やインク、楽器やカメラ、そういったクリエイティブな道具を、プレス機で圧縮して潰してできたものがiPadで、これがあればつぶしたものでやろうとしてたことは何でもできちゃいますよ、という意味。

これに関してSNSではいろんな意見が出てて、クリエイティブへのリスペクトがないとか、ものがもったいない、いやもったいないという感性は日本人特有だから欧米人には響かない、TikTokではやったネタのパクリだ(そんなのあったかは未確認)、単なる広告にすぎないのにそこまで怒るの怖い、とかまあほんといろんなバリエーションがありますが、総じてネガティブな意見が多かったです。

でもね、広告って「イメージ」の世界なんですよ(フリーレンみたいなセリフだな)。広告が提示するものって、単に見栄えのいい芸能人やおしゃれな映像や製品じゃなくって、絵・音・カットのつなぎ合わせ・タレントのイメージ・製品の見せ方や使用シーン、そういった具体的な視覚や聴覚を刺激するものを使って、企業や製品が持つコンセプトやイメージを見る人に提示する。ブランド戦略にうるさい企業であればあるほど、そこに思想やメッセージが込められているものなんですよ。それが「イメージ」なわけです。

ライフスタイルが中心にあったかつてのアップルのCM

ここでちょっと、これまでのiPhoneのCMを見てみましょうか。ちょうどここに歴代iPhoneのCMをまとめたものがありました。

もちろんiPhoneとiPadではターゲットにする層は違うし、このCM集を見てみたら、これまでにない薄さだとか性能アップだとか、ゲーム機やカメラの代替になるとか、メッセージとしてCrash!と近いものを前からやってたじゃん、と思うかもしれません。

でも、全体として一貫しているのは、人種・性別・世代を超えて、職場でなく生活の中にあって日常を豊かにするものとしてiPhoneが紹介され、かつスタイリッシュなアイテムとしてiPhoneの価値と「イメージ」が作られている。カラーバリエーションやサイズバリエーションを提示するのも、個人の嗜好に応じて選べる、ある意味ファッションと同じように自己表現するアイテムとして、iPhoneを認知させようとする意図があるからこそですよね。言い換えると、そこには個人のライフスタイルが中心にある。iPadはそこにプロフェッショナルユースが加わるのでしょうけれど、基本は同じですよね。

もう一つ紹介しましょう。アップルの最も有名なCMに1984というものがあります。これはジョージ・オーウェルの「1984」という小説で描かれた、中央集権社会で人間の個性が奪われた未来を、当時IBMが業界を支配していたころの「コンピュータはビジネスで使う画一的な道具」というイメージになぞらえて、個人が自分らしさを取り戻すための道具としてMacintoshを提示して見せたCMです。大変な評価を受けました。

また、1997年から始まったこれまたIBMを意識した「Think Different」というキャンペーンも(ThinkとはThinkPadなどにも残ってるIBMのキャッチコピーです)、圧倒的シェアを誇るDOS/V(今でいうWindowsマシンのことです)に対して、シェアもコスパも劣る、けれどスペックだけでは語れない、人のクリエイティビティを刺激したり、所有者のライフスタイルを示す記号として、Macの製品を位置づけようとしたブランド戦略といえるでしょう(ジョブズ復帰前のアップルはMac互換機を出すなど迷走してた)。

当時出た、カラフルな透過プラスチックを使った初代iMacは、道具としてコンピュータをとらえている人には、単なる子供だましだったかもしれないけれど、持っているだけで楽しかった人って多かったと思います。ま、それで見てたのはネットのエロ画像だったのかもしれないけれど。って、それは週刊アスキーで連載してた「電脳なをさん」のネタでしたね……と思ったら唐沢なをき先生が今回のCMについて「電脳なをさん」新作を書き下ろしてました。さすが。

ともあれ、「単なる道具」ではないそれ以上の「何か」であることを、人々にイメージさせようとしたのがアップルで、その「何か」に私たちは価値を見出していたはずなんですよね。

アップルが壊したもの

上で見たこれまでのアップルのブランド戦略からすると、新しいiPadのCMは製品のブランディングはおろか、企業の姿勢そのものの転換を予感せずにはいられなかったです。端的にいうなら、アップルはCMのなかでクリエイティブな機材を壊したけれど、本当に壊したのは機材が表象するクリエイティビティそのものであり、そこにコミットしてきたこれまでアップルが作り上げてきたブランドイメージではないかと私は思いました。

そういう私の意見にすごく近いと思ったのが、音楽家の高野寛さんのここから始まる一連のツイート。

https://x.com/takano_hiroshi/status/1788171871923716499

この中で、今回新発表されたLogicにAI機能が搭載されたことを引き合いに出して、アップルが目指しているものがこれまでと変質しているんじゃないか、とそう指摘しています。背景には最近話題のAIがクリエイターの仕事を奪うのでは、という懸念があるかもしれません。

そして、「次のMACはそこそこのスペックでいい」という言葉で締めて、高野さんにとってもはやMacは単なる道具になったことを示唆しています。たしかにここ数年のアップル製品は、早くなった・軽くなった・画素数が上がった・SOCのコアが増えた、とかスペックの話ばかり。まるでWindows PCみたい。

アップルが今後、再び人々のクリエイティビティを刺激し、ライフスタイルを変革する何かを提示できるのでしょうか? これまで人間のアートやクリエイティブを作ってきた楽器や機材は、使っている人にとっては単なる道具というにはあまりにも記名性が高いものだったはずです。じゃなきゃアビーロードのコンソールの音が出せるプラグインだとか、ビンテージシンセを復刻とか、そんな製品がこんなに巷に出回らないでしょう。それらは出来上がった作品と同じぐらい、クリエイティブに使う道具にも歴史と文化的価値があったということなんじゃないかなと私は思います。アップル製品もそうだったんじゃないですか?

近年のAIに関する否定的な意見や起きていることを踏まえてあらためてCMを見ると、次に壊すのはクリエイターそのものなんじゃないの?と、ふとそう思いました。LogicのAI対応という話を聞いたから思ったんですけれどね。ま、新しいテクノロジーが出てきたときにおこる反発の一つかもしれないとも思いますけれどもね。あ、でもいうほど新しいiPadに新しいテクノロジーないか。

でも自分の中ではもうアップル製品にこだわりないかもなぁ。Win/Macの両刀遣いだし、MacもiPhoneも数世代前のものをわざわざ買って使ってるし。

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