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電柱(ランダムワード小説)

わたしの父は、すぐに電柱に登る。
これ、なかなかイイな、とか言って、お母さんが制する間もなく、登る。そして、ほら、イイぞ、どうだ?とか言う。どうだ?って登らないよ、誰も。
この間の水曜日、テストの点数が悪くて、しかもそのことで隣の竹下にからかわれて、ちょっと泣きながら帰っていたとき、電柱の上から父に呼び止められた。どうした?暗い顔して。普通の子どもならびっくりして、おしっこちびって、走って逃げるよ、と私は電柱を蹴った。
見ろよ、よく見えるぞ。なにが?街だ。
わたしが小学校も高学年になり、急に生理がきたり、身長が伸びたり、胸が膨らんできたら、父はいつもよりも高く登るようになった。
中学生になり、バレーボール部に入り、友だちと部活帰りにマクドナルドに行ったり、初めての彼氏ができたりしたら、また少し上に登る。
わたしの成長に合わせて、いや、もしくは、わたしと父の距離が開くのに合わせて、父は電柱を上へ上へと登っていく。
わたしはそのころになれば、もちろん父の呼びかけは無視していた。父もいつしか声をかけることもなく、その辺のカラスや何かみたいに、静かに、電柱の上にいるのだった。
父の会社が傾き、早期退職し、郵便物を配達する孫請けみたいな会社をひとりで立ち上げ、制限速度内のワンボックスカーを運転し(それは父によく似合った)、母も働きに出て、なんとなく家族の形が崩れ、色が薄くなり、それでも同じ家で同じ夜を過ごす関係は変わらず続いていっても、父はときどき、電柱に登った。
東京の大学を出て、東京の名の知れた会社に勤め、同期と付き合い、やがて結婚の話が出て、なんとなく上手くいかなくなったころ、わたしは一日だけ有給休暇をとって、帰省した。
父はもちろん、母にも伝えずに、ふるさとというにはあまりに平凡な街に戻ってきた。中学時代の親友に会うつもりが、幼い子どもが熱を出したとかいう理由で、わざわざ帰省してきたのに、予定をなくしてしまっていた。
文庫本を買ってスタバで読んで、インスタを見て、そんなことをしているのが馬鹿らしくなった夕方になって、実家に帰ってきた。
いつもの電柱に父はいた。電線に触れそうなくらいの高さまで登っていた。
お父さん、ただいま!
わたしは声を上げて言った。もう何日も声を出していないみたいに、その声はうわずった。
父は、わたしを認めると、おかえり、と言ったが、あまりに声は小さく、わたしには届かなかった。
薄暗闇に父の笑顔が浮かんだのは見えた。遠く、空に溶けそうな。
七十七歳になり、感電死するまで、父は電柱に登り続けた。わたしが結婚して、父にとっての孫を生んで、たまに帰省したり、実家の近くに住んだりすれば、父はたぶん感電死しなかったと思う。

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