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諏訪遺跡の「スワタイプ」縄文土器 ー 日立市郷土博物館の収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります」から
日立市郷土博物館の収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります-日立市内遺跡調査成果展-」(2024.3.23~5.12)を見に行きました。
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諏訪遺跡の縄文土器35点が、日立市指定文化財30周年を記念して展示されていました。指定文化財の土器全てがずらりと並んださまは圧巻でした。この記事では、鈴木裕芳氏の論文「諏訪遺跡出土土器群の再検討」(文献[1])に基づいて、展示された土器に解説を加えてみたいと思います。
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スワタイプと七郎内Ⅱ群土器
東北の大木式土器の系統に七郎内Ⅱ群土器という類型があります。縄文地に有節沈線(施文具の押引きではしご状の模様をつけた沈線)で文様を描くのが大きな特徴です。主に福島県から栃木県・茨城県の北部に分布し、東関東の縄文時代中期中葉の土器の中で重要なポジションを占める土器です。諏訪遺跡の発掘は、七郎内Ⅱ群土器の位置づけが確立してゆく過程で、起点の一つとなったものでした。
諏訪遺跡からは、胴部を縦の隆帯で4分割して、その間に上下対弧文やX字文を施文した多数の土器が発掘されました。鈴木裕芳氏は、諏訪遺跡の発掘調査報告書(文献[2])の中で、これらの土器をスワタイプと仮称しました。さらに文献[1]においては、諏訪遺跡および周辺の土器をスワタイプを含めたいくつかの系統に分類し、関東の阿玉台式土器を基準とした時期による変遷を整理しました。阿玉台Ⅰa式~阿玉台Ⅳ式並行期の特徴は、次のようにまとめられています。
阿玉台Ⅰa式並行期:
原体圧痕文の施文される土器とされない土器がある。「沈線文系統」と「原体圧痕文系統」は未分化の状態。原体圧痕文とは、縄を押し付けて土器表面を凹ませた線状の文様。これに対して沈線とはへらなどで表面に刻んだ線をいう。
阿玉台Ⅰb式並行期:
「沈線文系統」と「原体圧痕文系統」への分化がはじまる。
原体圧痕文は「沈線文系統」にも残るが、特定の器形や粗製的な土器に多用される。
「七郎内系統」と「スワタイプ系統」が出現する。
阿玉台Ⅱ式並行期:
「七郎内系統」が顕在化する。
「沈線文系統」「原体圧痕文系統」「七郎内系統」「スワタイプ系統」が並存する。
「スワタイプ系統」は「七郎内系統」や阿玉台式の影響で変容する。
阿玉台Ⅲ式並行期:
「スワタイプ系統」はこの時期を最後に確認できなくなる。
「原体圧痕文系統」は粗製土器に痕跡を残す程度(文様要素としては以後も残存する)
「沈線文系統」と「七郎内系統」の折衷的土器が増える。
阿玉台Ⅳ式並行期:
「沈線文系統」「七郎内系統」が並存する。
「沈線文系統」の最盛期。
ここで、「沈線文系統」「原体圧痕文系統」「七郎内系統」「スワタイプ系統」は、いずれも大木式土器の流れを汲む土器を、文様の特徴によってグループ化したものです。スワタイプには七郎内遺跡の土器と重なる部分、異なる部分がそれぞれあり、有節沈線も多用されています。諏訪遺跡は「スワタイプ系統」か「沈線文系統」のみです。
それでは、展示されている土器を各期ごとに見てゆきます。
阿玉台Ⅰb式並行期
諏訪遺跡の土器は、阿玉台Ⅰb式並行期から確認できます。
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土器の番号は文献[1]の図中の番号に対応させています。スワタイプは、胴部に垂下する4本の隆帯の間を沈線の上下対弧文やX字文で結びます。No.9は口縁部にコの字型の交互刺突文があり、茨城県の宮後遺跡(文献[3])に見られる宮後タイプの土器とも共通します。
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阿玉台Ⅱ式並行期
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No.22は、口縁に幅広の無文帯をもち、その下に楕円区画隆帯文があります。また楕円区画の下には有節沈線の連続逆U字文が見られます。無文帯の拡幅や粘土紐で加飾した橋状把手はⅠb期(新)に始まり、Ⅱ期から盛行します。胴部の4分割やX字モチーフはⅠb期と共通していますが、楕円区画隆帯文はⅡ期の特徴です。
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No.24の土器の底には豆の痕跡が発見されたとのことです。
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No. 30もスワタイプ系統ですが、阿玉台の枠状区画を口縁部に借用し、X字文も変化するなどの変異が見られます。
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No.25は楕円区画に古相の特徴が見られますが、橋状把手に粘土紐の加飾がある点から本期に分類されています。
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阿玉台Ⅲ式並行期
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諏訪遺跡ではこの時期の土器が少なくなります。他の遺跡では、スワタイプ系統はこの時期で終焉するとのことです。
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No.44~46は埋甕として用いられました。埋甕とは祭祀的な意味合いで住居の出入り口付近に逆さまに埋められた土器です。乳幼児の遺体または胞衣をおさめたと言われています。
阿玉台Ⅳ式並行期
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阿玉台Ⅳ式並行期には、沈線文系統が中心になります。そのうち古いタイプでは粘土紐による加飾が盛んに行われます。新しい時期になると加飾が沈静化し、大木8b式に近い様相を示します。
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分類不明の土器
文献[1]の実測図に対応するものが見つからない土器がいくつかありました。器形や文様から時期と系統を推測してみました。
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「スワタイプ」の展示を企画して下さった日立市郷土博物館の皆様に深く感謝いたします。
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
日立市郷土博物館
所在地:茨城県日立市宮田町5-2-22
休館日:年末年始、月末の月曜日、その他臨時休館日
閲覧時間:9:30~16:30
料金:無料
参考文献
[1] 鈴木裕芳「諏訪遺跡出土土器群の再検討」茨城県史研究 第59号 (1987)
[2] 諏訪遺跡発掘調査団「諏訪遺跡発掘調査報告書」日立市教育委員会 (1980)
[3] 財団法人茨城県教育財団「茨城県教育財団文化財調査報告188:宮後遺跡」(2002)
七郎内Ⅱ群土器とスワタイプについては、文献[3]のP608~617のほか、以下の文献にも詳しいです。
・千葉県教育振興財団文化財センター「らくがく縄文館–縄文土器のマナビを楽しむ–」図録 P24~27 (2021)
・千葉県教育振興財団「東関東自動車道水戸線酒々井PA埋蔵文化財調査報告書 酒々井町墨古沢遺跡 旧石器・縄文時代編」P495~501 (2007)
蛇足
収蔵資料展では上の内遺跡から出土した浄法寺類型の土器も見られました。浄法寺類型とは新潟の火焔型土器の影響を受けた土器で、胴体の上半分に粘土紐の隆帯と沈線による褶曲文を描き、口縁に大型の突起を取り付けます。下半分には縄文を施文します。主に栃木県の那須地方や福島県に分布しますが、茨城県内の出土は大変珍しいと言えます。この土器は上を向いた円筒状の突起を有しており、福島の土器の影響が考えられます(関連記事)。
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