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備忘録-作品を作るということ-

まず最初に、つい先月小説を一作書き上げた。

一年近くに渡って書き続け、ようやく終わった。

この記事は執筆していた当時に感じたこと、考えたことを振り返れるように備忘録として記す。

なぜ書いたか?

書き始めたのは社会人一年目の4月末、会社は中小企業だったがベンチャーということもあり、そこそこ忙しない日々だったと覚えている。

地方の会社だったが、北は北海道、南は沖縄からと全国各地から千差万別様々な人が集まっていた。そんなこともあり、意見や価値観の違いによる衝突は日常茶飯事だった。かく言う私もその衝突にしばしば巻き込まれ、エンジニアだったが会議や打ち合わせに使う時間の方が多かった。

多分、そんな生活に疲れ出したのが書くきっかけになったのだと思う。正直な話、高校、大学と来て、自分の周りにはある程度価値観が似通った人ばかりしかおらず、まさに社会というべき環境は初めてだった。

仕事が終わり疲れて家に帰って、夕飯を食べて、アニメ・映画・漫画などを見たり読んだりする毎日がふと怖くなった。こんな生活を後何十年も過ごすことよりも、この生活に自己やアイデンティティが介入する要素が少なく、自分が薄れていく気がしたからだ。何か自分だけの自分ができることが欲しかった。

その何かは深く考えることなく小説執筆になった。元々消費するだけのオタクになりたくないという気持ちがあって、自ら作品を生み出したいと大学生時代の頃からぼんやりと考えていた。アニメ・映画・漫画を摂取したり、消費するだけの受け身の状態にどこかしっくり来ず、何か行動はしたいと思っており、それを後押ししたのが上記の自己喪失感だった。

(大学生になった頃にひどく文学が好きな先輩と知り合い、その人に認められたいという気持ちで、当時からネタや設定でメモ帳を埋めていたこともあり、それを昇華させたくもあった。)

しかし、それほど小説を読むというわけではなかったため、読書力や表現力、文章力は全くなく(この記事をここまで読んでいるなら、筆者の文章力がその程度とわかるだろう・・・)、書くにはあまりにも力不足だった。

また読むといっても、明治から昭和にかけてのいわゆる「文豪」の作品しか読んだことなく、海外作品も世界的有名どころしか触れたことがなかった。だからこそ、富んだ表現や深い心理描写がどうしてもそれらとの比較になってしまって、天と地ほどの差を感じずにはいれなかった。

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↑こんなあたりを読んでた(後は「1984年」とかのディストピア文学とか)

でも、そんな過去の妄執や文豪との差よりも自己喪失の方が怖かった。

書き続けれたワケ

書き始めて早速気づいたのは、一日に何千文字も書けないということだった。初めてということもあってか、事前準備やプロットを練ること無く、ましてや物語の最後をどう締め括るかなんてぼんやりとしか考えていなかった。常に行き当たりばったりでストーリーを紡ぐというおそらく執筆で一番やってはいけないことを続けていた。登場人物の人柄も一貫性がなく、気分屋ここに極まれり状態だった。

そのせいか、一日たった五百字程度しか書けなかった。書く時間も一日一時間ぐらいしか取らず、執筆を馬鹿にしてるとしか言えない日々を過ごしていた。そんな赤ちゃんな歩みでもなんとかほぼ毎日歩むことができた。

理由としては、新人賞の公募に出すのが目的というか目標になっていて、それに対してある程度の時間的余裕(毎年ある公募をいくつか調べ、まだ公募の案内は出ていないが、出る想定で動いていた)があったからだ。執筆期間が一年ぐらいあったらまあなんとかなるだろという気持ちや塵も積もればなんとやらの精神で、心の余裕もあったと言える。

また、SF好きの友人の助けや応援があったのも大きかった。ちょうど執筆しているものがSFだったおかげで、身になる意見や感想を適度に貰え、執筆という火に薪を焚べ続けてくれた。どんなに短くても少なくても毎日続けることが大事だと教えてくれた。(たびたび書かなかった日はあったけど・・・)

そして、何よりも書いているという充実感が平凡な生活に自己を確立してくれたからだ。入社当時はそこそこできるエンジニアだと思っていたが、日が増すごとに上司や先輩の圧倒的技術力、単純な自分の知識不足がわかり始め、自分はいなくてもいいんじゃないか・・・と加速度的に自己喪失感が増し始めた。だからこそ、書いている自分が消えてしまうのが怖く、一文字でも書いて自己の存在を保ちたかった。

書き終えて

書き終えたときには達成感なんてものはなかったけど、推敲するために印刷して、それらしい厚みをクリップでとめた時はなんとも言えない達成感が徐々に溢れてきた。自己というわけではないが、何か自分を保つような安心材料が生まれた気がした。

大学時代の先輩に読んでもらうために、閉まる直前の郵便局へ走ったことを鮮明に覚えている。

推敲はすぐに着手できず、書き切ったことへの達成感で浮かれてたり、燃え尽きていたのかもしれなかった。それか読み直して自分の作品の幼稚さや陳腐さを見つけるのが怖かったのかもしれなかった。結局、公募締め切りのギリギリになってそれっぽい推敲をして投稿した。なんとも締まりが悪かった。

その先輩と友人の二人に読んでもらって、感想をもらったときは「面白い」を取ってつけたように言われた。その二人はどちらも人並み以上に小説を読んでいるせいもあってか、ストーリー構成や表現に対して厳しめだった。やはりというかそうだなという納得の指摘で、改めて自分の力不足を感じた。

今後

実は今次回作を書き始めている。またしても自己喪失感に見舞われているわけではないと言い切れはしないが、書くことの楽しさ、書き終えた時のあの充実感や達成感を再び得たいという気持ちが強く勝っている。前作は割と重く暗い作品になってしまった(精神状態と作品がリンクしていた・・・)ので、今回はジャンルを変え、面白さやエンタメ性を追求しようと思う。

それと、もっと作品を読まないとなと感じているため、積み本を消化している。古典的な作品だけじゃなく、現代作品にも触れ、自分の世界を広げたいと思う。

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  ↑最近は中国SF読んでる。短編なのでとっつきやすくていいよね。

プロットやストーリー構成の参考書物を書店でパラパラしたが、どうもピンと来ないので、とりあえず作品が書けなくなる壁にぶち当たるまで、赤ちゃんのような歩みの自己流を続けていくこととする。これがいいかは分からないけど、まあ止まるよりも書き続ける方が今はいいと思える。もちろん、感想を頂いた先輩と友人の意見は真摯に受け止め改善していく所存。

公募の選考が終わったら、どこかに公表して多くの意見や感想を貰う機会を設けたいなとはぼんやり考えている。

次回作も公募に投稿するつもりなので、皆にいい報告ができるように精進していきます。

※2021/07/13 追記

残念ながら新人賞落ちてしまいました・・・

でもまあ、初めてにしては最後まで書き切れてよかったかなと思います。これからも書き続けて、いつか芽が出るように努めていきます。

一応供養ということでカクヨムにて公開しています。
お暇なときに読んでいただけると嬉しいです。また、コメントお待ちしております。

https://kakuyomu.jp/works/16816452221346487592

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