悪役の黄色い靴下
求婚待ったなし。お嬢様はわたしと相思相愛。いやはやわたしとしたことが。この黄色い靴下はたいへんイケており、ことさらに彼女のハートを射抜いてしまう。それゆえお嬢様はわたしに夢中で、夜も眠れない。ああお嬢様!お嬢様!お嬢様——と、一方通行の恋に狂い続ける悪役を演じたことがある。シェイクスピア『十二夜』のマルヴォーリオという、哀れな執事のこと。
黄色いロングソックスを履いて、お嬢様が自分に惚れ込んでいると勘違いして大暴れ。恋に一途なことは褒められがちだけど(心からのお褒めかは別として)、大暴れしすぎて多大な迷惑をかけてしまったら、残念ながら悪役だ。
演じるにあたって、いかに気持ち悪くあれるかを突き詰めた。気持ち悪さの才能を引き出すことに必死で。劇中で「お嬢様!」と20回くらい言った。劇の中で20回なので、練習も含めたら何千回と言っているのではないか。実は、「お嬢様」という台詞には奥地があった。「おぅおじょうさま!」といった具合に発声を揺らしてみたり、「お嬢様」と言う前にニチャァと笑ってみたりして気持ち悪さのバリエーションを築き、日に日にその気持ち悪さは増すいっぽう。
悪役。作品によっては、ミステリアスさやクールさを強調して描かれることもあるけれど、わたしに課せられた悪役としての使命は、見る者の心の底に眠る嫌悪感や不快感を極限まで引き出すこと。それでいて滑稽で笑える存在でいること。おもしろと気持ち悪さのバランス。やはり人生は演劇ではない。こんなバランス、現実世界では求められないだろう。わたしにとって演じる行為は、どれだけ現実世界から乖離できるかとイコールだった。現実と乖離しているものだから、スポットライトがどれだけわたしを照らして強調したとてわたしはそこにいなかった。本名のわたしも、無論瀧本緑もそこにいない。
かなうなら、もう一度舞台に立ちたい。もう一度、サッカーブラジル代表のホームユニフォームみたいな色の靴下を履きたい。据わった声でまともなことをしゃべり、受注するために必要な情報を揃え確実に数字を上げていく、そんなまっとうな日々も大好きだけど、様々な「お嬢様」を駆使して口説き続ける時間も、たまには送りたい。
働きたくない、布団から出たくない、今日ご飯作れへん(明日も)、掃除めんどくさい、もうソファーで寝ていい?だれもおらんし寝るで、昨日もラーメンだったけど今日もラーメンでいいかな——そういった日々のつまづきの根源に、自らの過去への憧憬があると思っている。舞台に立ったのは『十二夜』を含めて人生で2度しかなく、悪役を演じたのは最初で最後。わたしにとっては特別で、憧憬の対象となる思い出だ。
悪役の黄色い靴下を履いた2019年の冬。コロナ禍突入前ギリギリのあの季節、あと2か月遅ければ開催できなかった公演。憧憬に誘われ過去の写真を漁ってみると、わたしの顔はやけにテカテカしていて、ああそうか「ドーラン」を塗っているのだ。お顔がテカテカなわたしの隣にいるのは、この時期に付き合っていた元パートナーのようだ。笑っているけど苦い方だな。この舞台を境に急激に関係が冷却に向かったのは、わたしの演技がうますぎるあまり、彼女の心の底に存在していた、開ける必要の無い扉をバッタンバッタン開けたからだと信じたい。きっと才能があるので、もう一度舞台に立ってもいいですか?なんにせよ、むやみに扉を開くのはよくないらしい。
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