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夏と酒と自由と愛 -TWICE 『Alcohol-Free』-

 夏、海に出かける。太平洋でも日本海でも、果ては大陸につながる広大な海はあまりに開けていて、コンクリートジャングルに両肩を囲まれて暮らす我々を、水平線に解放する。山だってそうだ。きっと富士山の山頂にたどり着いたなら、見上げた景色は一面、空の青。Sky's The Limitとはよく言ったものだと思う。

 勤め人(完全週休二日制)が解き放たれるのは祝日や連休である。じっさい日本の夏には、海の日がある。山の日もある。しかし世界の夏には、TWICEのカムバックがあるのだ——

 ジョンヨンが本格復帰し、完全体TWICEとしてのカムバック。作詞作曲は、Nizi Projectの影響で日本人気が高まる一方である、餅ゴリことJ.Y.Park。他でもない、TWICEの生みの親である。彼が前回作詞したのはかの『Feel Special』であり、あの楽曲は含蓄のある歌詞、切なくとも前を向く意思を表現したメロディ、MVの視覚的な美しさ、何よりリリースしたタイミングなどにより、TWICEを「表現者」として確立するにあたり大きな役割を担った。

 しかし今作『Alcohol-Free』はどうか。カップラーメンの出来上がりを待たずに、歌詞について考えることをやめてしまうような内容。「アンタとの恋愛で、飲まんでも酔ってるねん、一滴も飲んでないねん、ホンマ、ホンマやで」(ミサモの出身に倣って関西弁を用いた)の一言でほぼすべて片付いてしまうし、MVにも笑いどころとも言えてしまう箇所が何か所もある(ダヒョンとミナによるバーテン再現コンテスト世界王者ダンスなど)。しかし、含蓄もないし、今更TWICEがやる必要、ないでしょう?と声を上げるのは尚早である。オタクは考えてこそオタクである。誰かにとっては価値を持たないものに、その想像力と考察力を用いて魅力マシマシにして喰らう、それがオタクというものである。というわけでTWICEの「飲んでないアピ」新曲から、夏と酒と自由について、改めて考える。

夏と酒とノンアルTWICE

 この曲が3年前の夏にリリースされたという事実を受け止めるところからまず始めなければならない。TWICEの夏と言えば、この『Dance The Night Away』のイメージが色濃いものであろう。「夏だ、海だ、踊りあかそう」というコンセプトは誰もの胸を確実に射貫く。まさに開放的な、理想的な夏の像。冒頭でも書いたが、私たちが夏に求めるもの、それは解放である。では「解放」に沿うならば、むしろタイトルは『Alcohol』でいいのではないか?という疑念が浮かぶかもしれない。そもそも勤め人――いや勤め人に限らず――は酒を「うっぷんを晴らし」たり、「嫌なことを忘れ」たり、そういった用途で用いることが多い。しかし今作はノンアルである。「これはお酒ではありません」。

 タイトルのハイフンの先に続くのは「自由」である。では「酒により嫌なことを忘れて自由になる」ことは果たして自由と言えるのだろうか。ひょっとするとそれは「酒に支配されている」のかもしれない。たとえ昨今の情勢下であったとしても、私たちは成人さえしていれば、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで、簡単にアルコールを手に入れることができる。実は酒との距離感はいつだって近くて、視界に入るものなのだ。しかし敢えて、アルコールからの解放状態を選ぶ彼女たちの姿はすべての抑圧に対する自由の舞いにもみえる。

 ではその自由を支える、アルコール以上のものはいったいなにか。やはりそれは「愛」である。彼女たちはノンアルと言いながらも、どうやらずいぶん酔っぱらっているようだ。ジヒョは徹夜しても眠くないらしいし、ダヒョンは道に迷っている。結局酔っているじゃないか!どういうことなんだ!...と。ここで「愛」について考えることになる。

 彼女たちは、愛情に酔っているようだ。心の揺れを、南国情緒あふれる緩やかなトラックが際立たせていく。

あなたは目で飲む私のシャンパン、私のワイン、私のテキーラ、マイゴリッタ

 夏と言えば、その昔「(きみの食べる)わたがしになりたい」と歌ったスリーピースバンドがいた。人類を何かに投影するといった時点で、その思いの強さは本物である。直喩にしろ暗喩にしろ、比喩表現には大事なことがこめられているぞ!と現代文でさんざん教えていただきましたよね。

 彼女たち、ことに酒の名前を連呼するサナやモモは明らかに酔っぱらっているので、語気に強さは感じない。しかしこうして「明らかに酔っぱらっている」ことをMVひいては楽曲全体で表現する、TWICEの力量に屈服せざるを得ない。2番始まったところの謎ステップどうなってるんだ。

コールもできないこんな世の中じゃ

 とてもじゃないが、「ナジョモ、サジミ、ダチェツ...!」と大々的にコールできるような日々が、すぐに訪れるとは思えない。2019年、大阪城ホールの比較的前列、「体育館でTWICEを観ているみたいだ」と思ったあの距離感。ジヒョに叫んでも届かない声。それでも別によかった。

 誰もが何かに抑えつけられている気がしている。二度目の夏が来たけど、手放しで解き放たれるには到底及ばない情勢。海に行くにも山に行くにも、何か後ろめたさを感じるのであろう。そもそも、TWICEが海を越え来日することが許されていない。私たちは長らく、必死に画面の中に映るTWICEを追っている。それでもTWICEは去年の夏から、『Fanfare』『Better』『Kura Kura』とハイクオリティな日本語楽曲を連発してきた。日本活動の手をここまで緩めないのはどれほどありがたいことか。以前「熱情は冷めても愛情は残る」というようなことを書いたけれど、熱情が「落ち着く」のはカムバにおける感情の爆発の序章にしか過ぎないということを、今回思い知らされた。カムバは祭祀である。

意味の先にあるもの 

 多くの人の心をつかんだ『Feel Special』は、あまりに意味を含んだ楽曲だった。自分たちの背景にあるものとごく近いテーマを歌うことは表現者としてのランクを一段上にあげる一方で、彼女たちに何かを背負わせることにもなる。

 『Alcohol-Free』で歌われるのは、まさしく意味の先にあるものである。直感で語りかけられる、夏と恋のすばらしさ。それらがもたらす自由。彼女たちもまた、理不尽な形での抑圧を何度も受けてきた。それでも「9人で」乗り越えてきたという自負の強さ。そしてそれを知っているのは、悔しいけれどほかでもない餅ゴリなのであろう。結局見事なソングライティングだといえよう。

 さてあなたは、夏に何を思いますか?私は、過去最高ビジュアル(当社比)のパクジヒョの美しさに酔いしれています。一滴も飲んでないです。


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