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限りある人生と忍び寄る30代の影エッセイ

 誕生日でもないのに、30代が刻一刻と迫っていることについて怯えている。おそらくこの手のことを考えずに生きれば、いろいろ楽になるのではなかろうか。2時間の残業で4時間分疲れるような生き方をしている気がする。一人暮らしをしてから思考を凝らす機会が増えた。というか一人でいる時間は常に何かに思いを馳せている。その間も絶えず脳内では何かしら巡っており、何かしら巡っているということはそれらを巡らせているものがいるということだ。海馬だろうか。わからない。それらが活発に働いているので多分人間としてのコストパフォーマンスが悪くなっている。自分一人で思考を巡らせると、鳴門海峡のように渦を巻き、それらは無限に回り続ける。けれど誰かに話すことで,、その思考はときに終着点をみることもあるだろう。「きみも大概こじらせてるよね」と言ってもらえることで救われる思考の渦もあるのだ。方法は問わずとも、思考には必ずどこかでピリオドを打たなければならない。ここ最近マッチングアプリをテーマにした短編集の執筆を進めているが、それもある意味自分とマッチングアプリの関係性に折り合いをつけるためなのかもしれない。「誠実気取ってるけれども誰とも真剣交際に発展する気がないってことはヤらないだけでヤリモクの人たちと本質的には変わらないよね」という思考を自分の中に持つことでどうにか平静を保ち、マッチングを繰り返すことができているように思う。

 私の愛するGLAYが、THE FIRST TAKEに出演した。しかも曲目は『Winter, again』だ。高校2年の時、文化祭のカラオケ大会でこの曲を歌った。その縁か、過去2回行ったライブのアンコール、『HOWEVER』との日替わりで演奏されたこの曲をどちらも引き当てた。正直『HOWEVER』が一番好きだが縁があるのはこの曲で、TAKUROが書いた「誰もが抱く悲しみの、終着駅は何処にあるのか」という歌詞は、自分の執筆行為に対し未だに強い影響を及ぼしている。私はおそらく、どんな小説家の言葉より、TAKUROが書く詩に影響を受けている。言葉を使った表現で「かっこいい」と思うとき、ベースに常に彼の歌詞がある。その中の最たるものがこの曲の上記のフレーズなのだ。リリースから22年。初めて聴いたのはだいたい10年前だ。あの時はまだ中学3年生で、30代なんて考えもしなかった。けれど時は過ぎ、2021年に私はたどり着いてしまった。

 ミュージカル『RENT』はゼミの講義で初めて触れた作品だ。その作品としてのクオリティ、「今しかない時間」を尊ぶメッセージ性、そのすべてが衝撃で、そしてゼミで触れたおかげでその衝撃を同じ熱量で分かち合える仲間たちがいてうれしかった。私は大学のゼミでの日々を未だに忘れることができない。作品に対し強い興味を持ち、意見を持つことが必須として求められ、誰かとともに深く考えを巡らせることが当たり前の空間。人生で唯一戻りたい空間はあそこだ。卒業論文だってもう一度書こう。それくらいの思い出がゼミには詰まっていて、専門はシェイクスピアながら、うちのゼミでは学びの中で触れたこの『RENT』をハイライトとして挙げた同期も多かった。そして、その『RENT』を生み出した悲劇の劇作家、ジョナサン・ラーソンの伝記映画『tick, tick, BOOM!』がNetflix製作で発表。映画館で先行公開されていて、一足先に観に行った。30代への焦燥感が、限りある命への焦燥感へ変わっていくさまは衝撃的だ。ジョナサン・ラーソンの人生が、『RENT』そのものだったわけである。学んだ記憶を掘り起こそうとしても遠い。もう遠くに行ってしまって、来週のゼミでこの映画を語ることもできない。週明けを迎え、私は会社で見積書を作っていた。こうやって金を稼ぐ。ここに一つも悪いことなんてない。そのはずである。しかしながらどうやって焦燥感は降りかかってくる。それでもその正体は、30代が近いからではない。人生がそもそも限りあるものだからなのだ。

 各々に与えられた人生のコンセプト、その選択肢は限られている。髪色をド派手に変えようが、あのTWICEたちだって、幾度となくコンセプトを繰り返している。それでも、その積み重ねに私たちオタクは涙する。もし自分がアイドルだったならば、推すことができる人生だろうか。「推す」に値する人生を生きることで、焦燥感に対する答えを提示していきたい。

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