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「あなた」への歌 - back number 『水平線』

 2020年8月20日、YouTubeでのMV公開からはや一年。ようやく、back numberの『水平線』が各種ストリーミング・配信サービスで解禁、音源として聴けるようになった。私自身、YouTube MUSICを使用する習慣もなければ、MVをバックグラウンド再生する習慣もないのでこの曲を聴く機会は決して多くなかった。
 
 back numberの音楽は、日常に溶け込ませてナンボのものだと思っている(それは、ここで何度も言及しているように「半径が小さい」音楽を作っていることを彼ら自身も自負しているからだ)。それもあって、『水平線』について文章にするのも正式な音源化がなされるまでは控えていた。するとYouTube限定公開の効果もあってか、あれよあれよと言う間に再生回数は9000万回近くなっているではありませんか。コメント欄では楽曲そのものへのコメント以上に各々のストーリーが語られる時期もあったりして、たとえ恋愛でなくとも、彼らの音楽は人に何かを語らせる、物語を浮かび上がらせる力があるということを改めて感じる。

 back numberは、その言葉と美しいメロディにより、人々の心に、いや脳裏に情景を描くタイプのバンドである。ということで『エメラルド』以来となるback number長文、いきます。

寄り添うことについて

 one room partyに行けなかったので、私の中でのback numberのライブというのは永遠に2019年の武道館で止まってしまっている。あのライブは本当に良かった。依与吏さんが言葉に詰まり、ああステージに立っているのがしんどいと思っているんだろうな、それを毎秒毎秒克服しようとしているんだろうな、本当に人間そのものだなと思える時のback numberのライブは本当にいいもので、この日も一旦そういうモードに入りかけていたけれど、「寄り添うバンド」になる決意を語ってくれた記憶がある。毎回このことを書いている気がする。

 正直HIPHOPやブラックミュージックに傾倒するようになりback numberの音楽は今や自分の趣味の王道にはないはずなのに未だに彼らの音楽を事あるごとに聴き、信じてしまうのはこの依与吏さんの言葉と、『SISTER』という楽曲の存在があるからなのだ。

地下鉄の窓に映り込む/疲れ切った逆さの君が/君の為にこの歌を歌ってる

 恋愛に寄り添うことは並大抵のことではない。だからこそ失恋ソングは愛され、有難られてきたものだ。今年だって『ドライフラワー』がメガトン級のヒットを飛ばしている。何より、back numberはそこに対する熱量が尋常じゃないバンドだ。キャリア初期には失恋ソングしかないアルバム(『あとのまつり』)を作っているし、近年でもなお、情けない自分への賛歌(『HAPPY BIRTHDAY』)もヒットさせたりしている。今のback numberが『高嶺の花子さん』みたいなマインドの曲をやる必要あるのか?と思ったがどうやら需要はあるらしい。
 ただ、需要があったとしても、もう彼らは『MAGIC』で明らかにネクストフェーズに突入した。メンバー3人とも結婚し、奇しくも今般のパンデミックが、失恋だけが人生の禍根でないことをありありと見せつけてしまった。恋愛を含めて、全ては生きてこそ、という社会の中で、喪失がクローズアップされていった。

 上述の恋愛色の強さから、back numberはある種、スポーツ系のタイアップから遠い場所に位置するバンドに思えてしまうが、清水依与吏氏は中学時代に陸上競技は4×200mリレーで全国大会に出場、8位入賞しその記録は未だに群馬県記録だという、根っからのスポーツマンである。
 さらに『SISTER』が、彼らの地元、群馬開催の2020年インターハイ開会式で演奏される予定だったということもあり、インターハイへの思い入れの強さはひとしおだったのだろう。あくまで歌詞はこのパンデミックに生きる誰の心にも刺さるものであるが、『水平線』が今までの楽曲と明らかに違うのは、明確なターゲットが存在したということである。この曲は確実に、あの時涙を飲むこととなった高校生たちに向けて書かれている。

 ただ、この曲は多くの人に届くものだ。今回の配信リリース時の「この曲を必要としてくれている人に対してより近いところで寄り添うことが出来るように」というコメントにもあるように、ただ真っ直ぐに人の心へ近づいた本作は、依与吏さんの優しさが余すことなく溢れ出ている。ずっと誰かの後ろ姿を追いかけるような視点を感じるのだ。依与吏さんは誰かに寄り添うとき、きっと後ろから駆け寄って肩を優しく叩いて、抱きしめる人なんだろうな、と勝手に思った。
 『水平線』では、優しさが全解放された結果、普遍性を獲得しているのである。どれだけ売れたといってもニヒルな恋愛ソングや、女性視点の歌詞が優れたバンドというのがパブリックイメージであることはまだ変わらないのだろう。色々な感情を排して、純粋にファンとして言及するならば、このような歌詞の曲が9000万回近く再生されている事実はシンプルに嬉しい。

「YouTube限定公開」の是非

 いちおう、言及しておきたい側面である。この曲を公式に聴けるプラットフォームは、1年近くYouTubeのみであった。この方式をとった理由は依与吏さんの「俺たちはバンドマンなので慰めでも励ましでも無く音楽をここに置いておきます」というリリース時の声明が全てこめられている。「置いておく」という言葉。彼らにとってこの曲は収益を放棄してでも届けたかったものであるし何よりその思いが強いことは、YouTube premiumに加入せずこの曲を再生すればわかる。広告が流れないのである(=収益化していない※YouTubeの規約が変わったみたいで収益化せずとも広告が流れることもあるらしく、公開当初の話です)。
 ただ、「アクセスが容易な状態で」という言葉が公式サイトにはあるが、YouTubeは果たして「音楽を聴くこと」のアクセスが容易なプラットフォームなのか?という疑問はある。誰でも無料で聴ける側面がある一方、あれは動画なので、本作のメインターゲットである高校生たちのデータ通信量が心配だ。依与吏さんの思いを100%尊重するのもそれはそれでいいチームだけれど、中庸も大切なのではないのか?人の心の近いところに寄り添うなら、色々な人がちゃんとアクセスできる手段を作る、そこを説得するのもチームなのではないかな?1年後に配信リリースするならなおさら…という少しばかりの疑念は、書き記しておく。

 けれども、これはあくまでマーケティング的な話で、このYouTube限定公開という手法、back numberのもつ「物語性」という観点からはかなり美しいものであると思う。

 YouTubeしか聴けないという「限定性」と、依与吏さんの「置いておきます」という言葉。すっかりいつでもどこでも聴くことができるようになった音楽だけれど、辛さを抱えた人が『水平線』に「辿り着く」という過程がより明白になると思う。巡り巡って辿り着いた先の音楽に救われる——そういう体験を、これほどまでに売れたのちでも実現できるという点では、やっぱりこの曲の公開方法はこれがベストだったのだろうな、と思わざるを得ない。アクセスの容易さではなく困難さに言及している気が、しなくもないが…

長すぎるお気持ち表明

 3000字を超えていて引いた。それほどまでに思い入れが強く愛すべきバラードなのだろう。私は依与吏さんのエゴが強く出ている曲がやっぱり好きだ。『瞬き』然り、人生論をはっきり述べてくれる歌詞に、ああこの人をずっと好きで追いかけてきて良かったなあと思うし、だからこそ恋愛ソングを楽しめている節がある。

 『水平線』はようやく日の目をみた。誰でも、何千万回と再生できる環境が整った。紅白歌合戦で聴きたい曲だな。何度でも依与吏さんの優しさに触れたい。たぶん作った本人たちはあんまり多くを語らないから、たくさん語るのはオタクやファンの役割だろうし、これからもちゃんと言葉にしていきたいものである。

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