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愛憎芸 #15 『大友康平のRISE』

 もう聞かなくなった音というものがたくさんある。私は2020年の7月から2021年の5月までコインランドリーに通っていた。せっかく洗濯機を買うなら良いものを買いたい、けれど初期費用がなかったためだ。結局旧SANYOの白物家電ブランドを吸収した、AQUAの3万円程度の洗濯機——ごく普通のものを購入したのだが。昨日久しぶりに、たった一度だけ使用したことのあったコインランドリーの前を通って、中を覗くとおじいさんが一人でいた。ちょうど、書いている小説にコインランドリーを登場させたところだったから目が留まったのだがその実はあまりに凡庸な風景だった。何も特別ではなかった。けれどそういう光景こそ切り捨てられないことを私はもう知っていた。

 あのとき、洗濯という行為を日々のスケジュールの中に組み込む必要があったし、それらは雨が降ったらリセットされた。生きづらいね。生きづらいけれどそこら中にコインランドリーはあって、意外と洗濯機の所有率が高くないことを知ったのは東京に出てきてからだった。あの、特有のゴウンゴウン、という音の重なり。洗濯機自体は家にあるものと大差ないが、洗濯機が並び、ともに音を立てる姿は洗濯機購入後味わうことのないものだった。何かを得ることは何かを手放すこと。私はもうあの音を聞くことがないのかもしれない。3万円の洗濯機が故障するまでの間は。

 大友康平の『RISE』がやっとのことでストリーミング解禁されているのに1万回くらいしか再生されていない。この曲はアニメ『MAJOR』4th seasonのOPテーマなわけであるが、カラオケでこの大友康平のモノマネをする野球部出身者は自分だけではないことをInstagramのストーリーズで知った。平凡。

 ただ、この曲の恐ろしいところはご本人のそれはモノマネの比じゃないというところだ。ふつう、モノマネというのはそれを成立させるために誇張して行われるが、大友康平のそれはモノマネを超越している。有名な「お"お"わ"ら"な"い"ゆ"め"を"」と全て濁音がつくイントロは勿論だが、全編通して異次元のビブラート、声質のまま歌唱は続く。水曜日のダウンタウンで「大友康平普通に歌える説」というのがあったがアレは入口でしかないし、なんならHOUND DOGのヒットソング『フォルテシモ』でさえ序の口だと思わされるほど、『RISE』はヤバい。また、カラオケで真似しようとするとそのキーの高さにも度肝を抜かれる。とてもハスキーボイス+ビブラートを保ったまま歌える曲ではないのだ。

 本物は、想像をゆうに超えてくる。カタールW杯で、日本中が「本物の」本田圭佑の言動を90分越えで浴び、衝撃を受けたように。人間は一人一人唯一無二、時に唯我独尊である——『RISE』を毎朝聴くたびにそのことを思い知らされる。YouTubeにまともなカバー動画が転がっていないのもそれを裏付ける証だ。

 それにしても、大友康平の歌詞の、『MAJOR』ひいては茂野吾郎に対する解像度の高さよ…この4th seasonは主人公の茂野吾郎が高校卒業後、アメリカに行くタイミングの章。アニメ『MAJOR』のOPテーマは3期までロードオブメジャーという、このアニメのために作られたようで全くそんなことのないバンドが歌っていた。『心絵』をはじめとしこの作品のパブリックイメージの一部であった彼らの活動が止まったことに伴う交代劇。しかも往年のロックスターが歌うってどうなのと思ったら茂野吾郎のキャラソンが届けられていたという奇跡。大友康平、去年の紅白でドラマーをしてましたね。結構お年を召していて、2020年の配信ライブでこの曲を歌っていた姿を観るとさすがに人間らしい歌唱をされていたけれど、ディナーショーがあったら観てみたい。『RISE』はほんとうにすごいのだ。私は毎朝聴いています。

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