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妬みから自己肯定、そしてしがらみからの解放へ。back numberの歌詞、その昇華を紐解く

オシャレではないけど唯一のダサさで君が笑えたらいい
『アイラブユー』


 back number最新アルバム『ユーモア』を、清水依与吏が綴る歌詞から紐解いていく。いかにしてバンドはその核を生かしたまま大衆化したのか、「心の一番近い場所で歌うこと」と彼らはしきりに言うが、そもそも人に寄り添うこととは何なのか。彼らはスーパースターであってヒーローではないということ。そしてなぜ今の時代、back numberはもう一度ブレイクしているのか。清水依与吏の歌詞の変遷、そして今のback numberに存在する確かな価値を考える。

ルサンチマンから得てきた共感

 清水依与吏の歌詞は時折、かなり偏った語り口で「持たざる者」に寄り添う節がある。『そのドレスちょっと待った』は元カノを結婚式から奪い去る(という妄想の)様を描いたインディーズ時代の楽曲。ライブ定番曲なのでback numberのファンたちはこの曲で「パン!パパン!フー!」をやっている。

今教会のドアを足で開けて君の手を強く握って走り出す勇気なんてものは無いよ
だから言いたいことは山ほどあるけど仕方ないキリがないし
こんな歌とモヤモヤした気持ちで申し訳ないが
お祝いの言葉に代えさせていただきます
「そのドレスちょっと待った』

 また、ライブ本編最後の曲として定番化している『スーパースターになったら』や紅白歌合戦でも歌われた人気曲『高嶺の花子さん』もそうだ。『わたがし』の「わたがしになりたい」という思想、『泡と羊』の自己採点しまくってはすっ転びまくっている主人公——とにかくみんな、拗らせてるしどこかダサい。そんな彼らをおもしろおかしく思い側から笑っているのだが、でもこういうところ、自分の中にもあるかもしれないなと思ってしまう。そうやって不遇や恨みつらみ、つまるところダメさにおもしろみ——ある種のユーモア——を見出してきたのが、清水依与吏の歌詞の特別さである。『ネタンデルタール人』はその歌詞世界を存分に楽しめる楽曲だ。

ねえ僕は本気を出しきれてないだけだよ
なるべく油断しながらうかうか待っててよ
大器は晩成なんだよって ジュラ紀から決まってるんだよ
さあ晩成を始めよう
『ネタンデルタール人』

 なんでもこなしてしまう、全て持っている(と思い込んでいる)「あいつ」を妬んで妬んで、でもそんな自分は終わりにして、先に進もう!という、達成未遂の応援歌。彼は「これから」の話をしている。スーパースターに「なったら」ということだ。ベストアルバム『アンコール』以前のこの手の曲の歌詞は、妄想の世界の中を描くし、その一方で完全でないからこそあるのびしろを希望として描いている。励まし方がかなり特異だ。(この方向性でかなり似通ったメッセージを発し続け、大衆から支持を受けているのが実はCreepy Nutsなのだ)

呼んでもないのに息を切らしてやってくるスーパースター

 back numberが憧れを公言しているMr.Childrenの『HERO』と比較してみる。この曲の主人公は「例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして/僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」と自らの無力さを嘆きつつも「でもヒーローになりたい/ただ一人君にとっての」と歌い上げる。さらりとしている。この曲がラブソングたりうるのはこのスマートさ、さりげなさにあると思う。その視線は相手に向けられているのである。この詩を清水依与吏のフィルターに通すと「幸せとは/星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく/大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ」になる。体中から汗が噴き出している。

 また、「スーパースターになったら迎えに行くよきっと/君が待ってなんていなくたって/迷惑だと言われても」と迫ってくる。その目は充血してやいないか。欲しい時に気がつくと隣にいるヒーローがMr.Childrenなら、呼んでもいないのに息切らしてやって来る自称スーパースターがback number。さりげなさなんてミリもないではないか。いや、そもそもヒーロー像が明確に違うのだ。泥臭く不器用で場合によっては迷惑、そんな不器用さを頭に入れておきたい。

(ただ、女性目線の歌詞の楽曲についてはこの限りではなく、『エンディング』『ハッピーエンド』『助演女優症』そして今作収録の『赤い花火』や『黄色』等は非常にスマートな歌詞である)

ありのままの自分をおもしろがること

 「あるがままの心で/自分のままで生きさせて」と歌うのは『ベルベットの詩』である。この手のテーマにほぼ触れず、『最深部』よろしく内省を主題にしていたであろう前作『MAGIC』から一転、今作『ユーモア』の主題には「ありのままでいること」の肯定が置かれている。

 そして『ヒーロースーツ』は、その一つの到達点といえる。

戦隊モノだったら僕は何だろう
まず赤じゃないし んー 焦げ茶とかか
『ヒーロースーツ』
気の利いた主題歌はいらないさ
胸の中にある言葉と音色そのままで
『ヒーロースーツ』
なんにもないただの男が君を救うこともあるさ
『ヒーロースーツ』

 まさに、今のback numberのモードで歌われる『ネタンデルタール人』だ。異なるのは嫉妬している自分すらも愛してしまうであろうところ。3つ目の引用部に至っては「変わるんだ」と叫んでいた『スーパースターになったら』に対する一つのアンサーとも捉えられる。

男らしくなった新しい僕で 迎えにいくから
『スーパースターになったら』

 NHKのニュースウォッチ9で、back numberの特集が組まれて驚いた。さすがに朝ドラ主題歌だからってやりすぎだろう、そもそもニュースで取り上げるということはどこかにニュースバリューがないといけないし、いったい何に着目するのか?と。ただ、その内容で納得した。ニュースウォッチ9が選んだトピックのひとつに、おそらくどの音楽番組の特集でも触れられなかった、「固定観念からの解放」というものがあったのだ。back numberの歌詞を「女々しい」と断じるのではなく、である。心の中にある言葉を一言残らず言ってしまう(わたがしになりたい僕は言う)その歌詞は、男らしさの呪縛をはじめとした固定観念から解き放つものだといい、それがZ世代の心をも掴んでいる、と。かつては(今もライブで声高に歌っているけれど)「男らしくなった新しい僕で」と言っていた彼らが「なんにもないただの男」と今の自分で生きることを提示する方を採ったように、社会も少しずつではあるが移り変わってきており、その結果、メジャーデビューから12年の時を経てもなお、新しいファンを増やし続けているのである。

 ニュースバリューまで得て、彼らに関する様々な要素が急速に花開いて、正しく評価されるようになったという感覚が、ここ2年ほどずっとあった。

 そのはじまりはおそらく『水平線』のヒットにあるだろう。

自分の背中は見えないのだから 恥ずかしがらず人に尋ねるといい
心は誰にも見えないのだから 見えるものよりも大切にするといい
『水平線』

 インターハイの機会を失った高校生へ向けて書いた、彼らがYouTubeに「置いておいた」楽曲。概要欄に記された「長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました」という清水依与吏の言葉。愚直に紡がれていくうそのない歌詞。誰もがありのままの自分を愛することができるように。ありのままの自分、それはつまり人に見えない心。それを愛することの尊さという、バンドがずっと核心として大切にし積み重ねてきたものの、アルバム曲の殻にこもっていたり、照れ隠しのルサンチマンで蓋をしてなかなか外に向くことのなかったメッセージ。この曲の素直さがそんな壁を打ち破った結果、代表曲が塗り替わったのだ。『クリスマスソング』以来二度目のブレークは、バンドがずっと持っていたメッセージをフルに解放し、それが時代にもフィットしたのなら当然の結果といえる。

いま、バンドの核心が朝ドラで歌われている

 『アイラブユー』は朝ドラ主題歌になった。紅白で、冒頭に引用した歌詞がアカペラで歌われた。もう一度引用してみる。

オシャレではないけど唯一のダサさで君が笑えたらいい
『アイラブユー』

 彼らがずっと歌い続けてきたことが、朝ドラで毎朝歌われている!本当にカッコいい誰かにはなれない。それでも君に愛されたい、それどころかワナビーじゃなくて与えられる自分になりたい!なりたいではなく、そんな自分でありたい!そんな惚れ惚れするような愚直さこそが「唯一のダサさ」ではないか!2009年からバトンが繋がれてきた、あの曲やあの曲やあの曲の主人公たちがたどり着いた、現時点での到達点がこのアルバムであり、『アイラブユー』なのだ。

 情報の海におぼれ、他人との比較、評価にさらされることを避けられない2020年代。一番大切な自分を守って欲しいという願い。彼らの歌詞に縋るというほどでもなく、気づけば隣を歩いている。さりげない、とは言わない。それらは時に目が充血しているかもしれないし、マラソンのあとみたいに息を切らしているかもしれないからだ。しかし『ユーモア』の楽曲たちをふまえると、彼らが自分の一歩後ろにいて背中を押してくれている、そんな気がするようになったのである。

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