見出し画像

愛憎芸 #33 『SSAW、それぞれの熱』

 自分探しをインドでやって、スパイスの香りとえらく違うオーラを纏った別人が帰ってくるというのはビートルズ以来続く伝統である。いま、転職活動がさらに進んでおりまともに自己分析をやっている。社会的な自分探し、それが自己分析。学生時代その存在自体にドン引きしあまり手をつけなかったそれを実際にやってみると、つまるところ自分がしてきた選択の一つ一つ、その源流を辿る旅だった。むかし、丸太町橋で鴨川を眺めていたら道ゆくジジイに賀茂川の源流はどこなのか説かれたことがある。なぜ、そのおじいさんのことをジジイと呼ぶかというと、ジジイの話が全くのホラだったからである。その時わたしは深い納得を得て、得て、調べた。そしたらまるっきり嘘だったのだ。咄嗟にジジイ、と口をついて出ていた。しかしジジイに悪気があった確率は何%だろう。誰にもそれを指摘されずにジジイがそこまで来たのならばジジイにとってそれは真実だ。未来永劫、ジジイが亡くなっても、わたしが死んでもそれは真実。誰も触れないというのはそういうこと。それは幸せかもしれないし、不幸せかもしれない。誰の物差しでそれをはかっているの?

 少なくとも、今わたしにはエージェントという壁打ちの相手がいて、行きすぎた自己分析を制し、それを自分探しとせず転職の手段とするために導いてくれる。人生において伴走者は必須だ。おそらくわたしは、二度と自分一人で走ろうとしないだろう。そもそもプロの小説家やマンガ家の傍らにさえ編集者がいる。マラソンランナーの先にはペースメーカーがいて、大迫傑たちの前にさえ先導車がいる、そういうことなのだろう。全部終わってからではこの気持ちは書けないと思って、書いた。書かなければ忘れる気持ちが多すぎる、最近はそんな日々。きっと、年が暮れてから気づくことがたくさんあるのだろうと少し先を見据えたくなるほどに、近くの予定が詰まりまくっている。それももうすぐ片が付きそう。

新代田FEVER、お初!

 それほど忙しくとも!愛しいひとたちのためには時間を使うべきなのだ。愛しのLaura day romanceのワンマンライブに行った。"Show, Sales, Ad-lib, Wasting" @新代田FEVER。自分が新代田FEVERに行く日が来るとは!なんだかんだ大手のバンドやグループを推してきたのでハコは小さくてもホールということが多かったのが、ローラを好きになってからはベースメントバーしかり、小さくて良いライブハウス、をたくさん訪れている。このFEVERも音が良いライブハウスだった。花月さんの声も、演奏もつぶし合わず絶妙に響き渡る、それを体感できることこそローラのライブに来ているといったものですよ。

 仕事着でライブハウスに来てしまったと思ったらそれなりにそういう人たちがいて、それを見て、その人たちの日々を想像する。ローラは決して万人に知られているバンドではないから、おそらく彼らの日常においてローラは彼らだけのもので(それはわたしもそう)、朝起きてプレイリストを再生したり、職場の最寄り駅の階段を上がる時にSad numberを聴いていたりという日々がある、それを感じて体が少し火照る、熱。そう、まさに『Fever』の歌詞、「それぞれの熱をもって」!ワンマンライブは特別。「違う」人たちがそれぞれの人生を持ち寄る、ばらばらのまま。そのことに価値があるんですというのは源さんが歌にしてくれている。

 四季があったおかげでローラが季刊EPを出してくれたのだ。それで太陽系にまで感謝が至るのは論理の飛躍か?今は夏だから、贔屓目かもしれないが夏EPの曲たちが染みる。『潮風の人』凄すぎるでしょう、曲でしょ!?なのに都会と海辺の町のあいだにある鉄道や山や物理的・心理的な距離やがすべて詰め込まれていて、確実に風が吹いている。改めてライブで聴くとどの曲にもパワーがある、という月並みなものになってしまうが、やはりあの森道市場の、川島さんが脱退するライブという現場を観たわたしにとっては、3人(といいつつサポートメンバー含めて演者は7人いたけれど)になったローラがちゃんとバンドを続けてくれて、迅さんが言うように「前かがみに演奏を窺う」ファンが大量にいる、サビで手を掲げることもなくただ楽しい、音で揺れている、そんなわたしにとっての素敵なオーディエンスの中にいられる時間をまだまだ見れること、それらへの感謝、つまるところ「続けてくれてありがとう…」が、シンプルな感想だった。ニンマリしながら、井の頭線にしかならない、どの路線にもトランスフォームしない井の頭線に乗ってそそくさと帰った。新代田駅のホームに、ラベンダー色のローラTを着た人がたくさんいて面白かった。京橋駅とかじゃないのに、小さな駅に小さな熱、たくさん。FEVERで『Fever』、聴けて良かった!

 『ひらやすみ』6巻に出てきた味噌汁がやっぱり素敵で、味噌汁というものはほんとうに偉大だ、と思いながらにんじんを切っていった。すっかり包丁の扱いにも慣れた、ということは、と振り向くと、人生が動くよ、という大号令がどこか遠くから音より遅い速度くらいでわたしに近づいてきている、ような。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?