見出し画像

奇跡みたいなバンド(Laura day romanceのこと)

 頭の中に思いつく限りでLaura day romanceについて綴っていきたい、それはやっぱり23時前まで働いた後に聴いた『夜のジェットコースター』の泣きのメロディ、つまるところ「ヒールが脱げてしまったなら裸足のままでこの痛みでさえも届かない悲しみ持ってレールの上」なのか『sad number』の「しま〜えば!」の愛おしさなのか『rendez-vous』の「今夜!」に感嘆符がついていることなのか、一体何がそんなに突き動かすのか、しかしわたしはもう気がつけばずっとこのバンドの虜だかれこれ5ヶ月くらいはもうずっと。いつも書いているエッセイ「愛憎芸」でも日々言及しているがついに足りなくなってしまった、けれどこのバンドについては形式ばった紹介noteとかで語りたくない感情で語りたい。聴いてたら書きたくなっちゃった。書きたい。

 夜のジェットコースター、というくらいだからやっぱり森道はceroも気になるけれどLaurasを観に行った方がいい気がしてきた。Lauras、なんていい一人称だろう、彼らは自らをLaurasと呼び、愛しのHomecomingsの皆さんもまたそうやって呼んでいる、からわたしもLauras、と呼びたい、ローラズ。しかしLaurasは実はまだライブ会場でグッズを手売りしていることもあって、本人たちに「ローラズの〜」と発声することには非常に照れを覚える、照れても、伝えなければいけないこともあるのだけれど、そうだよアリーナとかに立つようになったら手売りはできなくなるだろうし、でも花月さんは相変わらずフリマとかされるのだろうか。

 書いていたらプレイリストがwinona〜Waltzのライブ黄金コンボを再生していた。ふたつとも奇跡みたいな曲。そう、奇跡みたいな。このバンドを形容するにはこの言葉が1番適していると思う。出てきたばかりの頃のKing Gnuを知った時わたしはしきりに「超弩級」という言葉を使っていた。確かにLaurasもそうなのだが彼らのサウンドはどちらかというと奇跡みたいだ。それは時にサブコンテクストで奏でられているメロディにも、歌詞にも宿っている。奇跡を身に纏っているバンド、それがローラデイロマンス…

 Laurasは昨年夏から季節ごとにEPを出していて、先日春盤がリリースされてそれらは完結した。春で完結て。学校くらいちゃうのそんなん。あと年度。それとLauras…その中でも『アイデア』はとびきり奇跡みたいな曲だった。腕を大きく振って、歩きたくなる曲。つまるところ希望です。この曲の中でわたしたちはずっと旅をしているような気がする。ああだから旅ってこんなにもてはやされるんだ。人生の全てが希望であるはずはなくともそれでも星の中を歩くように実はそれらに囲まれているはずでして、そんなことをこの曲を聴いている時に考えている。「毎日は溢れる」のですな、なるほど。車窓から少しだけ欠けた月が見えたり、その月を道すがらもう一度見直したり、コインパーキングの「空」の字が欠けていたり。逆に家々の窓に映る電車の姿を眺めたりした。そうやって歩いてる。

 あまり長くなると冗長なのでこの辺でやめるんですけど——なんせ『sad number』の終わり方はとても潔いですから——わたしがこのバンドに触れた最初の曲は『happyend』でした。この曲は、いやどの曲もなのだが、歌詞とメロディのハーモニーがすこぶる美しいのであります。だって「ジャック・ケルアックも驚くドラマチック」って歌詞とその後のギター、それを聞いた時に『オン・ザ・ロード』の文庫本の表紙が私は頭に浮かんで、それだけで視界がパツーンと開けたんです。そして歌詞の気持ちの強さというかこれも潔さかな、「大切なんて雨の日に思い立ったから言ったんでしょ」ってもう……Laurasの歌詞、花月さんが書いていることもあるし迅さんが書いていたり共作だったりもするんですけど世の中にあってありがたいフレーズなんですよねいい歌詞のどれもが。最後にいろいろ引用してリンク貼りまくって終わります。この記事は随時更新されます。こんだけ書いて、わたしはまだワンマンに行けていないのです。行ったライブ全部対バン。それでヤバさを感じてください。

 いま(2023年5月現在)Laurasは東京で頻繁にライプに出ていて、意外とチケットが取れます。近くで観れるうちにたくさん観ておこうと、わたしは思っております…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?